2025年03月09日

【薙刀式】「流す」側

僕は流れてくるものを受け取るから、フッ軽でなければならないが、
逆に流す側とな。
上流と下流みたいなことか。

ラクダエンさん:
> 「ペンは腕」のオンバランス型は抽象ベースだから、あらかじめモデリングされた思考を具現化することで文章になる、つまり「流れてくる」のではなく「流す」側なのだ


古い例えで恐縮だが、
マザーコンピュータみたいなデカいやつが、
「ピピピ…計算中…計算結果、出マシタ」
とパンチテープを吐き出して、
博士がビッとちぎって読んで、
「馬鹿な…人類は滅亡するだと?」
みたいな、
マザーコンピュータが自分だということかー。
抽象化をしてると。

まあ、だから不動でないといけないよね。
マザーコンピュータが一番弱いのは地震だな。

(マザーコンピュータはPCクラスになってなくなったか、
というと実はネットによって巨大サーバに繋がっただけだ。
なので今のサーバーがマザーコンピュータなのだ。
そういえば未来SFで、
砂漠にあるサーバーセンターに、
洪水を起こすことでAIに反乱する人類、
という短編を見たことがある)


抽象なのか具体なのか、
一人称なのか三人称なのか、
小説なのか舞台なのか、
色々異なるけれど、
自分がそこにどっしりといるか、
自分が動き回って拾いに行くか、
という違いかもしれない。

そもそもペンの持ち方から発生した今回の認識の違いであるが、
僕のペンの持ち方は、フッ軽重視のオフバランスだ。


あ、ちなみにカット割どうなってんだろ。
僕は拾いまくりに行くので、
それぞれのアップや裏側にカメラを回り込ませるために、
色々動き回るんだけど、
支配者だから見えてるのか。
あるいは抽象化されてるからあとは各自でニョキニョキと具体化せよ、
なのかしら。
posted by おおおかとしひこ at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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