いろいろ構想して書き出すとする。
最初はばーっと書ける。
ためたものの上澄みがあるからだ。
だけどそれがなくなってきたとき、
執筆の速度が止まる。
経験的には、10%くらいが上澄みかな。
つまり、いろいろ蓄積してためておいた情熱やテンションで、
10%くらいまではがーっと書ける。
しかしその上澄みがなくなった瞬間、
どろどろした、まだフィルタで濾されていない、
何かが残ったままになる。
しばらく発酵を待って上澄みになるまで待つと、
また上澄みだけで勢いで書けるようになる。
しかしそれが枯渇するのは最初より早く、
これを繰り返すと、
全然掘っても出てこない、という状態になる。
さて。
この、上澄みが消えた瞬間からが本番だ。
つまり、上澄みで書くのを期待せず、
次に上澄みがわいてくるまで待つことなく、
どろどろの何かをかき混ぜならが書いていく方法論を身に着けよう、
ということを言おうとしている。
それは、アドリブで書け、ということだ。
アドリブとかライブ感だと、つい適当なことをやるだけ、
と思っている人がいるかもしれない。
そうではなくて、
キャラクターを自分におろして、
目の前の状況をそのキャラクターがクリアしていく様を、
アドリブで書く、
ということを意味している。
単にめちゃくちゃなアドリブではなくて、
計画的なアドリブということだ。
(もちろんプロットに計画があるから出来るのだ)
上澄みは、そんなものを見なくてもアドリブでバンバン書いていける状態のことだろう。
それがなくなると、
プロットを眺めながらじゃないと出ないし、
眺めても出なくなるものだ。
書けなくなる状態は、すぐに来てしまう。
それでも、
そのキャラクターの気持ちになると、
かき混ぜが起こり、
書けることがあるよ。
その塩梅の経験を積まないと、
何言ってるかわからないと思う。
でも、
あるキャラクターで書いてて書けなくなったら、
それは上澄みが尽きた状態だと思って、
ほかのキャラクターから見た視点で書いてみるのだ。
そのうち元のキャラクターも何か言いだして、
歯車は回りだすことだろう。
上澄みがなくても、
これまでの勢いと計画を混ぜ合わせていけば、
書けることは多少ある。
全員を触ってしまったあとは、
このやり方は難しくなる。
だからこれに頼る人は、
困ったら新キャラを出して無限につないでいく方法論をとりがち。
なので、全員触ったあとは、
そのキャラクターが隠していることはないか、
そのキャラクターがまだ言ってないことはないか、
などのように掘っていくといいと思う。
プロットとかみ合い始めると、
またストーリーは動き出すだろう。
書くエネルギーはどこからやってくるのか分からない。
だから急に書けなくなることもあるし、
なぜだか書くことが沸いて沸いてしょうがないこともある。
それが尽きたあとも、
書き続ける淡々とした力を付けていこう。
困った経験があるほど、
切り抜けた経験が積まれていく。
(切り抜けられなかったやつは死んだ)
もちろん、構想しているときは上澄みをたくさん蓄えたいものだが、
これは初期のうちになくなる。
そのときに最後まで駆け抜けられる程度の、
かき混ぜができるようにしておく。
取材はこういう時に生きるんだよな。
2025年06月14日
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