2025年03月13日

脚本「理論」ってそういうことよね

Twitterから。
> 私が音楽理論を勉強しているのは音楽理論が嫌いだからで、最終的に
「こんなクソみたいなもん一切いらねーよバーカバーカ」と言うためである。

https://x.com/mio20200701/status/1899627361089569095

理論を100使ったからといって、
素晴らしいものを「新しくつくれる」わけではない。
理論は、すでにある素晴らしいものを、
「分解して理解する」ための方法にすぎない。


理論もくそもない、
めちゃくちゃなものをつくったとき、
それが偶然めちゃくちゃ良いことがある。

桑田佳祐は楽譜を読めないし、
トムクルーズは字が読めないし、
子供の描く絵は天才に見える。

理論を学んで逆にそれを守ることをしすぎて、
つまらなくなることもある。
優等生はモテないのだ。


だけど、天才たちの所業には、
一定の法則がある場合がある。
全てではないが一部にある場合がある。
それを解剖して勉強しておくと、
「ここ進研ゼミで出たやつだ!」ってなるわけだ。

理論に沿ってつくった建築物は、
地震で倒れることはないだろう。
だけどそれが名建築と言われるかは別の話だ。
名建築と言われるものだって、
地震で倒壊するのはよくある。

つまり、理論と名作かどうかは、
実は関係がない可能性もある。


骨格や筋肉や内臓がめちゃめちゃなつき方をしている、
最強生物はいるかもしれない。
だけど、ほとんどのロボットをつくるときは、
骨格や筋肉や内臓の位置を参考にするだろう。

武術の型と組手でも、同じ議論は無限にされてきた。


じゃあなんで型や理論をやるのかというと、
「こういうのがある」と知るためだ。
知らないより知ってた方がいいでしょと。
そして、武術や芸術の場合、
「それを自分で再現できる」まで、
練習するのも大事だよね。
技として使えるわけだからね。


シドフィールドの三幕構成理論は、
絶対ではないと僕は思う。
ただ、おもしろい脚本は、
大抵無意識に三幕構成になってるだけだ。
空気抵抗がある前提の空飛ぶマシンは、
どれも流線形になるようなものだと思う。


理論を知ることは、
「それ前提でやってる人たちがいる世界に、
別のもので切り込むため」だ。
理論を100使ったものを作るためではない。

あなたは、100の理論をこえた、
101個目のオリジナルホールドをつくらないといけない。

そしたら、
101個目が理論に加わるだけのことだ。
理論はつねに後付けだからだ。



長嶋茂雄がなぜホームランを量産できたのか、
実は分かってないと思う。
理論が追いついてないはずだ。
そういうのをスポイルしないまま、型も学ぶのだ。

僕は天才型作曲家なのだが、
かつて作ったCMソングを、
音楽理論で曲げられたことが数回ある。
結果、キャッチーさがなくなって、後悔している。

キャッチーなものがすべて文法を守ってるわけではない。
「外しのオシャレ」なんて普通じゃんね。
あとは、外したらハズレなのか、
外したら良いのかだけだ。

その、外しを自覚してるかしてないかのためだけに、
理論があるだけのこと。
外してるやつをアタリに持ってく時も使えるな。
posted by おおおかとしひこ at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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