2025年06月23日

執筆は上澄みをつなげたもの

調子のいい時と悪い時がある。
結局、出来上がったものは、
調子のいい時のものを全部つなげたものだ。


これは、リアルな人生とは異なる。
リアルな人生というものは、
調子のいい時と悪い時が交互にやってくるものだからだ。

一方、調子の悪い執筆というのは、
まじでつまらなくしか書けない。
なので、うまく書けるようになるまで待ち、
あるいは書き続け、
調子のいい時だけつなげて書いたようにする。

もちろん、その中で主人公が調子よくなったり悪くなったりするけど。


つまり、我々は嘘がうまくつけたところだけを、
つないでいる。


執筆中に、うまく書けない部分が出るのは当然だ。
うまく書けるまで、何回も書き直したり、
うまく書けるまで待ったり、
とりあえず適当に書いて次を書いて、そのうち戻ってきたりする、
などとして、
調子の悪いところで長居しない、
という方法論があると思う。

で、そのうちリライトでもっとうまく書き直してゆく。

何が言いたいかというと、
「プロのうまく書けている作品というものは、
毎日書いたものをつなげたものではなく、
上手につぎはぎしたものである」ということだ。

授業の作文程度しか書いたことがない人は、
「前から始めて最後までたどり着けば完成」と思っている節がある。
まあそれしかやったことがなければそうなるだろう。

はじめから書かなくてもいいし、
順番に書かなくてもいいし、
連続して書かなくてもいいんだよ。
最後にちゃんとなってれば。
そういう柔軟な書き方があってもいいぞ、
ということを言おうとしている。


先日書いたやつは四章構成で、
第二章のハイライトから書いた。
で、第一章を書きはじめ、
そのあと四章の結部を書いた。
これでゴールが見えたので、
それに必要なことを第二章三章で書こう、
と計画して書いた。
そういう書き方をしてもいいのだ。


ゴールが見えていないのならば、
センタークエスチョンもうまく提示できないだろうし、
何に重点を置けばいいのかもいまいち分からない。
ラストを前提とした逆算も難しくなる。
最初から順番に書くことが、ベストのやり方とは限らない。

しかも我々は日々調子が変わるので、
毎日書くことは僕はあまりやらない。
調子のいいときに進み、悪いときは別のことをする、
というやり方を使っている。

そういう風に決めると、判断が楽になることもある。


出来上がったものは、
まるで最初から最後まで一気通貫して書かれたような、
ほんとうのところはつぎはぎのものである。
最初から書いてるのにまるでつぎはぎに見えるのとは、
真逆だ。
そういうやり方をやってみるとよい。
posted by おおおかとしひこ at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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