2025年06月25日

世の中で最も偉大なものは物語である

と、僕は考えているのだが、
今の時代はほんとうにそうだろうか?


金? 政治や経済? 投資?
つながりや人脈?
この世を解明する理論?

何が一番偉大なもの?
僕はその中でも文化が最も大事だと思い、
その中でも物語が一番と信じてきたのだが、
どうも最近世の中がそうじゃないような気がしている。

フィクションの物語よりもリアルな出来事で大変なことが多すぎて、
フィクションが弱くなっている気がする。
また、
物語を売るというよりは、
キャラクターや芸能人を売るほうが、
「儲かる」ことに気づき、
物語よりもショウであればなんでもよし、
みたいに商売がなりかかっている気がしなくもない。

シリーズものが優秀なのは、
新しくプラットフォームをつくるコストを避けられることだし、
ファンが確実に金を落とすから、
新しいコストをかけなくてよいことにある。
だから、シリーズものが続く間は、
文化としては止まっていると僕は思うのだが、
商売としては回転しているから良いではないか、
となってしまう。


何がもっとも偉大なのだろう。
戦争を平和に変えた指導者だろうか?
世界を変える科学の発見や、発明だろうか?
人類の問題を解決した何かだろうか?
哲学だろうか?

僕はしょせん平和な時代の元禄時代生まれだから、
文化を第一に置いているだけなのだろうか?

よくわからなくなってきた。

とはいえ、
つまらない映画はつまらないし、
面白い映画は面白い。
それだけだと思う。


面白い映画を書くべきだ。
何をどう面白いと思うかが大事だ。
これまで面白いと思われてきたものの歴史がある。
それを踏まえてもよいし、無視してもよい。

知らないゆえに踏み越えられることがあり、
それが次の時代をつくるなら、
それは正義まであるかもしれない。
あるいは、先人を踏まえたうえで、
正しく継承して面白く発展するものがあってもいいかもしれない。

何がおもしろいと思っているんだ?
脚本というものは、
その発表の場だと思ってよい。


今、これを俺は面白いと思う。
今、これを俺はしょんべん漏らすほど面白いと思う。
今、世の中にはこんな面白いものがあって、それよりも俺はこれを面白いと思う。

それを書くべきじゃないか。
つまり、頂点を目指さない物語は、
日和っててつまらないと思うよ。
適当にお茶を濁している文化はつまらない。
まじめにまっすぐ楽しませようとしているのが、
おもしろい文化だと思う。
(「楽しむ」には、笑ったり喜んだりするだけでなく、
怒ったり悲しんだり感心したり、たくさんの感情がありえる)


世の中で最も偉大なものは物語である。
それは、何がおもしろいのかを、
世界でもっとも突き詰めているからだ。

その挑戦を、称えたりひどいと評価したりすれば良い。
posted by おおおかとしひこ at 07:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック