妄想を書き連ねれば、
それなりの面白いものになるはずだ。
だけど、プロの妄想は素人の妄想と一味違う。
何が違うのだろう?
それは、これまでなかった妄想ということだ。
新しい妄想だから、
おもしろいってなるのだ。
あるいは、これまであった妄想と同じだけど、
もっとも強度のある妄想ということだ。
程度の甚だしさがプロなのだ。
そして、これが一番大事なことであると思うけど、
「誰もが妄想して楽しい妄想」であるということだ。
つまり、開かれた妄想ということだ。
どういうことかというと、
閉じた妄想というのは、
特定の人にしか効果がないと思うわけ。
そういう妄想をはじめから持っている人しか反応しない妄想というわけ。
プロの妄想というのはそうじゃない。
そういう妄想を持ってなかった人も、
巻き込めるだけの妄想ということだ。
それはつまり、
「わかりやすい妄想」ということでもある。
わかりやすいとは簡単なことではない。
複雑でややこしくても、
順を追っていけば、誰でもその奥底にたどり着けるということだ。
つまり、
引き込める妄想ということだ。
興味が最初はなかったのに、
それを見ているうちに、
どんどん自分もわかる、そうだ、
となる妄想がプロの妄想である。
どうしたらそういう妄想がわいてくるのだろう?
僕は、
世の中にあるあらゆる妄想を知るべきだと思っている。
そしてそれらを分析することだ。
閉じている妄想と、開いている妄想に分類するべきだ。
妄想の内容や質が問題なのではない、
誰でもそこに至れるように導線があることが、
僕は重要だと思う。
えー、そんなこと考えたことがなかったけど、
たしかにこの人と同じ立場になったら、
こういう妄想に陥ることはよくわかる、
となれば、
誰でもそこへ連れていけるわけ。
そして、それを知ってしまったあとでは、
もはやそれがなかった認識に戻れないものが、
プロの妄想というものじゃないだろうか。
我々は妄想をたくましくする。
だが一人でもやもややっているのではない。
それはただの仙人だ。
集団妄想をつくるのが、我々のするべき仕事である。
2025年06月26日
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