前記事から独立して考える。
序破急は日本型の話に向いてる気がして、
アメリカ型の三幕構成と喧嘩するかもなと思った。
つまり、メアリースーの原因が、
三幕構成で書くべきシナリオスタイルなのに、
序破急構造で書いてしまってるから、
というのは一つ言えるなと。
序破急と三幕構成は、
日本人とアメリカ人の、
「環境」の考え方を反映してると僕は考えている。
日本人は自然は神で、
人間の手ではどうにもならず、
我々は待つだけなのだ、
そのお恵みで生ているのだ、と考えがち。
基本は循環する閉鎖空間で、
ずっと生きていく前提。
アメリカ人は、
自然は改変可能で、
どれだけ人間が手を入れて改造したかが、
その価値だと考えがち。
それをやりすぎたからエコとか言い出した。
欧米型の自然観は、
焼畑が一番わかりやすいと思う。
改変するべき大自然は無限にあると。
さて、この無意識が、
物語の型にもはまってる気がするのだ。
序破急は、
序で設定した世界が、
破でどんどん壊れてゆき(人為的にも、外的要因でも)、
それをなんとかして元の序に戻そうとする、
という考え方だと思う。
そして解決するのは人でもあるが、
天の流れみたいなこととの一致を使うこともある。
「アルプススタンドのはしの方」では、
主人公たち4人=大したことができない高校生が、
外の環境要因である野球の試合(変えられない)を見ながら、
そのタイミングで変わっていく話だ。
大自然と呼吸を合わせて、天地人のタイミングが合ったときに、
カタルシスがある、
という無意識が構造に表れているように思える。
一方、三幕構成理論では、
第一幕は、「解決するぞ(改変するぞ)」で終わり、
第二幕は、解決に至る障害を一つ一つ乗り越えてゆき、
「後一個で解決する(改変完成一歩手前)」で終わり、
第三幕は、それが現実になるまでを描く。
世界は永遠に変わり、
どれだけ変えたかが価値になる。
世界は変えるべきものであり、
無限によくない世界を、
少しずつ良く改変していく価値観だと思う。
つまり、独力で自然を改変しなければならない、
三幕構成ベースの物語(能動的、主体的)と、
環境が変じたことで話が動き始め、
変えられない世界の中で生き方を決める(受動的、流される的)、
序破急ベースの物語では、
根本的に世界をどう見てるかが違うのでは?
と思うわけだ。
で。
序破急は、たぶん2時間持たないと思う。
90分はどうだろう。いけるかな。わからない。
75分はいけてた。
序破急は、ある種自然任せのところがある。
主体的に世界に切り込み、世界を改変するまで行かない。
だから、その他力本願が、
メアリースーになりがちだと思う。
日本人は甘えてる、というわけではないが、
大自然が強力すぎて、
そして大自然の恵みがありすぎて
(勝手に土から草木が生えてくるのは、
土と水が豊かな証拠。欧米ではまずない)、
環境という母に抱かれがちだと思う。
ナウシカだってそういう結論よね。
腐海を改変しようとするトルメキアは悪役だ。
ところが、
三幕構成理論では、トルメキアこそが主人公であり、
正しいと考える。
おそらくだけど、2時間持つ話は、
こちらでないと起伏が持たないのではないか?
さて、
だからこそ、
2時間尺で、三幕構成を期待されている、
映画という枠組みで、
75分程度しか持たない序破急構成を、
適度に引き伸ばしてやると、
甘え/メアリースーに、見えるのではないだろうか?
たとえば典型的なメアリースー映画の例として、
「落下する夕方」をあげておく。
菅野美穂がその大自然の役割だ。
hulu、アマプラなどで見れるので、勉強のために見るべきだ。
この映画のクライマックスは、
「色々あって、一歩前に出る」ところ。
あまりにも小さすぎて、映画としてはつまらんのよね。
なんでこうなっちゃうんだろうな、
この映画だけでなく、
なんか日本の話ってこうなりがちよね、
と考えたんだけど、
序破急構造と、その背後にある自然観みたいなことが、
影響してるのではと思ったのだ。
合ってるかどうかはわからんが、
こう考えると理解できると思ったので、
メモしておく。
だから、日本型物語はテーマを持ちづらい。
環境に抱かれておしまいになるので。
「世界をどれだけ改変したか」で測られる、
ハリウッド型のテーマを見つけにくかったりする。
じゃあ、あとはどっちがおもしろいの?
でいいと思う。
75分までは、序破急でも面白かった。
「アルプススタンドのはしの方」は、
大変楽しめた名作だ。
だけど2時間の「落下する夕方」は、
クソみたいにつまらんぜ?
それはなぜか、という話だよ。
2025年03月15日
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