ストーリーとは何か、事件と解決のことである。
だけど、それを「話すとき」の作法として、
「期待させて、回収する」と気持ちよい、
と思う。
つまり、同じストーリーでも、
話し方によって、伝わり方が変わるということだ。
話し方が上手な人の話は面白くて飽きない。
一方、放し方が下手な人の話は伝わりにくく、
何が面白いのか分からず、退屈になる。
同じ話の内容だとしても、話し方によって、
相手の反応は異なると思う。
で、上手な話し方とはなんぞや、と考えていると、
上手に期待させて、
上手に回収する、が上げられると思うわけだ。
「これはとてつもない悲劇です」から始まるならば、
とても悲惨な話があり、
どうしてそんなことが起こったのだ、と怒り、
わが身に起こったらどうしよう、と戦慄することが、
期待されるわけだ。
「めちゃくちゃ面白い話があるんだけど」から始まるならば、
爆笑して、人のおかしさに思い至り、
愛すべき間抜けさや人のうかつさを考える機会になることを、
期待する。
「すげえ話があるんだけど」ってなったら、
どんだけ常軌を逸したものか期待する。
で、もしその期待に応えた内容ではないのなら、
期待外れで「つまらなかった」となる。
期待通りになったら「おもしろかった」になる。
つまり、
話の内容の方向性とは関係がない。
「期待でどれだけ誘引して、その期待にどれだけこたえられたか」しか、
この場合関係ない、ということだ。
つまり、
話の上手な人は、その規模に関係なく、
ちょうどよく期待させて、
上手にその期待に応えているだけなのだ。
「今から微妙な話をします」と言って誘引は出来ないだろう。
でも「世にも奇妙な微妙さってあるんですよ」となれば、
「どんな微妙なことがあるんだろう」となるじゃない?
内容が微妙だから話す価値がないとは限らない。
それをどう期待させるかだけで、
期待にこたえさえすれば、
それは「たしかに微妙だ、おもしろい」となるのだよ。
「微妙だ」というフリに対して、「微妙ー」というリアクションがあれば、
それは満足したことになるわけ。
(問題は、微妙なことが面白いぞ、としっかり誘引できているか、につきる)
脚本の教科書に、
開始5分程度で、それがどんなジャンルかを示せ、というのがある。
それはそういうことだ。
「何を期待させるのか」を示すのだ。
コメディならば笑って人間の面白みを感じること、
勧善懲悪なら悪を倒してすっきりすること、
ミステリーならこの謎を解くことを期待すること、
恋愛ならばこの恋の成就。
どういうジャンルかが分かれば、
「何を満足するべきか」が事前にわかる。
これを期待させるのが上手い人は、
結果を示したときに、
「ああ、満足した」となるわけ。
これは、事件と解決といった、センタークエスチョンとは、
異なる次元の話をしている。
クライマックスで事件が解決して、
後日談が描かれたとしても、
それをあまりダラダラやらないのが吉とされる。
その理由は、
テーマに落ちる落ちないというよりは、
「冒頭の期待に応えたところで話は終了」となるからだ。
その期待に応えたのがクライマックスだとしたら、
もはやそのあとにやるべきことはないのだ。
もちろん、感情移入をしているから、
多少の後日談は知りたくなるものだが、
それをあまり長々とやっていると、
クライマックスの余韻がなくなり、
満足したのにまだやってるのか、
となってしまうわけだ。
男はセックスが目的だから、射精したら満足して背中を向けて寝るが、
女は愛が目的なのだから、射精したとしてもその後のイチャイチャがないと愛ではない、
というすれ違いは、
「最初にしている期待と、満足の差分」について、
両者に差があるわけだね。
男が愛を期待させて背中を向けて寝るのは、
話が下手なやつということなのだ。
女がセックスだけを期待しているときに、
男が愛を語り出しても長い後日談になってしまうということだ。
何を期待させるのか、それをうまく誘引できるのか。
そのへんによくあるものでは期待できないが、
そのへんになさすぎるものでも期待が難しい。
だから、
「よくあるやつですが、ちょっと違うんですよ」が、
一番いい期待の方法だと思う。
正確な予告編は、これが正しいと思っている。
大体のジャンルを示したうえで、
そのへんにあるやつとこう違うんですよ、
という期待感をあおることが、
予告編のするべきことだと思う。
もちろん、それが重大なネタバレになってはいけない、
という高度な期待と満足の駆け引きが、
予告編にはある。
予告編に予算をちゃんとかけない宣伝部は、
期待と満足の考え方を理解していないと思う。
(人気芸能人が何分でているかが満足になってしまっては、
もはや映画ではないというものだ)
「いけちゃんとぼく」でいえば、
「おばけ?が見える面白子供映画なんですが(大まかなジャンル)、
成長していくと、実はいけちゃんには正体があったことが分かるんです……!(特別な部分)」
ぐらいがちょうどよいと思っている。
これが出来なかった角川映画宣伝部は、
猛省したほうがいいと今でも思っている。
もちろん二度とやるつもりはないが。
むしろそれは、
ストーリーの外の枠組みを超えた、
「この2時間をどのように楽しませるか」というプレゼンだと思う。
内容は事件から解決までで、
それでなんらかの意味や価値が読み取れるものなのだが、
それをどのように期待させて、
どのように満足させるかは、
ストーリーと関係なく、
ストーリーテラーの語り口で決まると思うわけ。
それがぶれているものは、
失敗すると思う。
何を期待すればいいんだっけ。
単純なことだ。
悪人が倒される。恋が叶う。
無茶なことに挑んで成功させる。
犯人が捕まる。
なんでもよい。
それが「おもしろそうじゃん」と思えるように、
誘導できていれば、完璧な誘引だと思う。
あとはそれをちゃんとやれば、
満足という結果になるよ。
たいていは、
期待させていない、
期待させたがそれに応えられていない(竜頭蛇尾)、
結果と異なる期待をさせている(羊頭狗肉)、
オチが満足できない、
などの齟齬がある。
2025年06月27日
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