妄想の話、つづき。
だけどプロの妄想は、お金を取れる妄想だったりする。
何が違うのだろう?
妄想のレベルが違うのだろうか?
誰にもできない、この人しかできない妄想だから、
金になるのだろうか?
そういう場合もある。
オリジナリティとはそういうことで、
誰も似たことが出来ないから、その人の妄想だけが金になるのだ。
これを頂の高さにたとえよう。
誰にもたどり着けない妄想の最高峰がプロの妄想であると。
まったく別の観点がある。
妄想がすぎて、その人しか興奮できない妄想は、
金にならない。
誰でも興奮できる妄想が、金になる。
つまり、すそ野の広い妄想である。
単にレベルの低い妄想だと誰も手を出さないが、
プロの広い妄想というのは、
「誰でもその一定のレベルの高い妄想を受け取れる」
ものをいう。
つまり、感情移入と同じである。
「私はその人ではないが、
その人と同じ立場になったら、私もそうするだろう」
というのが感情移入のはじまりであった。
ということは、
その妄想は私の範疇にはなかったが、
このようにしてその妄想に入り込めたら、
私にもその妄想が楽しいということが分かった、
という導きの役割があるものが、
正しいプロの妄想ということだ。
つまり、プロには二種類いる。
頂の高さだけで突っ走る孤独な芸術家と、
誰にでも広くこの世界を味合わせることができる、
大衆の木鐸だ。
映画というのは、マスを対象とするから、
後者であるべきだと僕はいつも思う。
世界でこの人しかこの妄想が理解できない、
というようなものであっても、
たった一人その芸術を億で買えば、
芸術家は生きていける。
しかし映画は2000円の入場料か、
レンタルか配信かセルという、
マスのリーチによるものでしか収入がない。
だから、
「誰にでも味わえる妄想」または、
「誰もが思わなかった妄想だけど、
順にその世界に入らせていけば、共有できる妄想」
が望ましい。
つまり、プロとはすぐれた調教家だといえるのだ。
ぶっちゃけエロで考えると分かりやすくて、
誰もわからない領域の特殊性癖をつくる人が芸術家で、
まあ一度は誰もが妄想したことのある、
レベルの低い妄想が素人で、
ちょっとだけレベルが高いエロだから大衆がオオッとなるのが、
プロの妄想。
さらに理想は、
「世の中にこんなエロがありえたのか」と、
ほとんどの人を導けるものが、
正しいプロの妄想だ。
つまり、
こんな新しいものを発見したぞ!
ただ表現しても君ら理解できないだろ?
だからチュートリアルをきちんとしていくぞ!
手順を踏めば、
これが新しいエロだと理解できるだろ?
となっているのが、
ほんとうに正しいプロの妄想ということだ。
もちろん、エロだけではないので、
ストーリー、キャラクター、シチュエーション、展開、
テーマ、ターニングポイントなど、
あらゆる要素で、
ストーリーの面白さを発明するべきであって、
そしてその面白さを誘導しなければならないのだ。
つまり、
新しい遊びを考えた者は、
それに大衆を引き込む方法も同時に考えないといけない、
ということだ。
阿呆な宣伝部に任せていると、
この大衆を新しい遊びに引き込む方法を考え出すことはできない。
だから、作者自らが、
これがこの新しい遊びに引き込む、
キャッチーでベストな方法だ、
を示せる必要があるのが、
現代的な現状だと思う。
伝統的によくあるのは、本道Aではなくて、
別のキャッチーなものBで人目を引くことだ。
マトリックスをテーマや世界の構造ではなくて、
銃弾を避ける「新しい映像」で象徴するようなものだ。
こういうBを用意するのも、
「導く方法」だと僕は思っている。
つまり、宣伝部ごと、上手な嘘つきになるべきなのに、
阿呆な宣伝部は素直にAは理解されない、
と本質だけを考えてしまうわけ。
Aは理解できないから、とっつきやすいBで客引きしましょう、
どうせ見ればAのすばらしさはわかりますよ、
という風に割り切れないんだよね。
(角川宣伝部の場合は顕著だったね。
「いけちゃんとぼく」の本質は大人のラブストーリーだから、
大人のラブストーリーとして売りましょう!という誤謬がまかり通っていた。
阿呆の塗り重ねとして、
「余命一か月の花嫁」は一か月で死ぬとネタバレしているのだから、
いけちゃんも〇〇〇〇だとネタバレしてもオーケーです!
という強弁があった。
救えない阿呆によって、僕のデビュー戦はさんざんだったよ。
直前の東宝宣伝部の、
「風魔の小次郎」のキャッチコピーに「学園忍者アクション」を選んだセンスとの差よ)
どうやってその妄想に導くか?
そのすばらしい妄想の頂へ持ち込むには、
どのように引き込むとよいか?
プロの仕事はそこがよくできている。
妄想そのものの強度も強いし、
万人への開かれ方も素晴らしい。
だってフィクションって、全部嘘なんだぜ?
その嘘にどうやって引き込むかなんだぜ?
その引き込みルートを考えずに、
上手な嘘つきとは言えないと思うね。
2025年06月29日
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