長編なんかでたまにあるんだけど、
最初は幼馴染であったキャラクターが、
途中でライバルになるパターンね。
あれ、あんまり面白くならないと僕は思っている。
なんでやろ。
それは、「敵は外から来る」となっているからだと思う。
幼なじみは基本的に仲間であり身内だ。
だから、舐めているというか、
「スペックが全部分かっている」という感覚があると思う。
それが敵になるほどのスペックを得られない、
と無意識が思っているのではないか。
敵は強大な力を持っているものだ。
そして外から来るものだ。
つまり、敵の脅威とは、
ある程度「未知である」ことに関係しているのではないかと思うわけ。
よくわかっている幼なじみが未知になることはない、
という安心感があるというわけだ。
だから、幼なじみが敵になる展開は、
どこかすごい敵がやって来たという感じにならず、
「裏切られた」という気持ちだけが支配することになり、
その微妙な感覚をぬぐえないまま、
最後までもつれることが多い。
つまり全体を支配するものが、
未知との対決ではなくなる。
だから、あんまりおもしろくないんじゃないかなあと思う。
敵というよりはわだかまりの解消が全体のトーンになるからね。
それをなんとなく分かっている作者は、
幼なじみを闇落ちさせて、
大抵悪いやつに弟子入りさせることで、
完全なる敵に生まれ変わらせる、というパターンを取りがち。
一回身内の良く知った状態から、
「よく知らない状態に成長させる」というパターンで、
敵に仕立て上げるパターンになると思う。
その、身内としては知らなかった幼なじみの部分があって、
それが敵になる動機であり、それが理解しあえなかった部分なのだ、
となってしまうので、
どうしても敵を爽快に倒す、という話にはならなくて、
なんかごにゃごにゃするパターンになる。
だからあんまり面白く無いんじゃないか。
そのごにゃごにゃが新しいならばまだあるけど、
そんなに新しいパターンもなさそうだ。
だから、
結局幼なじみが強大なライバルや敵になるパターンの話は、
あんまり面白くないんじゃないか、という暴論だ。
つまり、敵の魅力や強大さは、
「未知」の部分に大きく負っている、だと思う。
敵の悲惨な過去とかがあらわになって、
大体どういうやつか分かってきたら、
未知の部分がなくなるから弱体化してしまうよね。
死亡フラグ、負けフラグになるわけさ。
ライバルの弱体化は相対的に主人公側の成長と対比できるため、
コントラストを上げるためによく使われる手法だ。
つまり、敵を弱体化させたかったら、
過去を掘ればいい。
幼なじみはすでに過去を掘られた状態スタートだから、
そこから未知を得ないと強化できない。
しかも闇落ちする原因が必要で、
主人公サイドが未知な部分にそれがあるはずだから、
つまり幼ななじむ前の部分に原因があることになる。
だから、子供の頃、出会う前や出会った瞬間の頃が、
原因になり、
子供の頃の話限定になって、あんまり幅がなくなるんだよなあ。
ここが、幼なじみライバル系のストーリーが、
発展しにくい理由でもあると思う。
論理的に、強大で未知の敵に対して、
魅力がないんじゃないかと思うわけさ。
で、実は主人公を思うがための闇落ちであったのだ、
と二重のどんでんで味方に戻るパターンも多いから、
そのあと共闘して真の敵を倒す、という流れにしたくなるので、
真の敵はまた別にいないといけない。
じゃあ要するに時間稼ぎ展開になりがち、
ということになるね。
死力を尽くして闘った敵が仲間になる展開が多いのも、
「よく知った間柄になり、未知がなくなるから」であるとも言える。
逆に、そうなってしまった元敵は、弱体化をするものだよね。
よく噛ませ役になるのもそういう理由が多いのではないか。
つまり、物語における強さは、
未知と比例するという乱暴な法則が導かれる。
よくわからないものは敵、
良く知ったものは身内。
ざっくりいうとこういう傾向にある。
良く知ったものの中に未知が生まれ、
というのは「他人とは理解しあえない」
というテーマになることも可能だけど。
ということで、いったん仲良くなった味方が、
裏切って敵になるパターンだと、
どうしても最強のライバルにはなり得ず、
微妙なランクの人になって、
あんまり面白くないパターンに陥ることが多い。
なので僕はこのパターンだけは避けているなあ。
もし面白いパターンがあったら教えてください。
幼なじみが敵同士になる、
それは憎しみ合う理由がないまま、
二人が所属する民族が異なるからだ、
という宿命的なパターンは、すでに「ベン・ハー」にある。
表面には表れていないものを理由にする
(この場合出自)しか、
ライバルになることは難しいことを語っていると思う。
2025年06月30日
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