2025年03月20日

終わってあとに残るもの(新訳Z-3「機動戦士Zガンダム 星の鼓動は愛」評)

終わってしまえば何も残らない。

人類の無理解を、
ニュータイプという「認識の拡大」で、
理解に持っていけるのではないか、
と進化の希望を持たせた、
大きな物語のファーストに比べて、
何も残らない珍シナリオ。

それがZだと、終わってやっと理解した。


たぶん、この物語の中で、
劇的動機を持ち、行動していたのは、
カツ、サラ、ヤザンの三人だけだった。
子供、そのヒロイン、そしてチンピラの悪役。

カミーユも、シャアも、ブライトも、
エマも、シロッコも、ハマーンも、
アムロも、レコアも、
「今は動けない」で、
状況に流されて驚いてるだけのリアクション係にすぎなかった。


1985年当時見たときは、
大人達がなにやらごちゃごちゃ話してて、
何を言いたいのか全然わからなかった。
だが脚本をまじめに書いてきて、
物語のことをこれだけ真剣に考えてきた今ならわかる。

これ、
「説明台詞を意味ありげに喋ってるだけ」なんだよね。

大人達はドラマを動かしていない。
かっこつけて状況を説明してるだけ。
カミーユはそれを吠えてかき混ぜてるだけ。

本当にドラマを動かしてるのは、
カツとサラとヤザンしかいない。

そして、今ならわかる。
書き手の富野は、カツの年齢の物語しか書けない。



ファーストのときは、
アムロ16歳で、これまた大人達がいて、
それを切り裂くほどのニュータイプの話であった。

続きであるZは、
彼らが大人になった続きを期待された。
だけど富野は、その年齢以上でできる物語を書けずに、
もう一度16歳の物語しか書けなかったのだ。

たとえばレコアロンドの裏切りが、
全くドラマになっていない。
クワトロからシロッコに乗り換えた意味もわからないし、
女を道具として使ってるとかの意味も不明すぎる。
その具体のドラマがなくて、
抽象的な結論だけ言っている。
これって「プロット」にすぎず、
実際のドラマじゃないのよね。

たとえばクワトロがレコアと愛人関係にあるが、
レコアと別れて若い女に夢中になり、
信じて待ってたが結局裏切られた、のようなドラマがあって、
私なら君を孤立させないとシロッコに口説かれて、
実際にセックスまでしてないとそうはならない。
そして信じたと思ったらサラという女がいて、
みたいに、
ドロドロの昼ドラをきちんとやらないと、
レコアの裏切りの物語は描けない。

でね、「それが何の意味があったん?」なんだよね。


ストーリーというのは、
ただ人が生きて、決断して、行動して、
結果が出て、終わった、ではダメなんですよ。

それが全体としてどういう意味があったのか、
がないと、ただの人の人生でおしまい。
弄ばれた女レコア無駄死に、でしかない。

そしてそれがZという物語に、どんな意味があったのか、
Zという物語は全体として、
「人類の目覚め、相互理解」というファーストの続きとして、
どんな意味を示したのか?にならなければ、
物語ではないのだ。


ところが、
「相互理解をするべきなのに、
痴話喧嘩や殺し合いしかしていない」
という、バッドエンドなのよね。

いや、バッドエンドだから、次の逆シャアこそが、
真の完結編なのだ、なのかもしれない。
富野の中ではそうだったのかもしれない。
だけど、
じゃあそんなものに一年も付き合わすなよって話よ。

もっと面白い話をしてくれよって感じだ。


カツレベルの話しか書けない人が、
背伸びして大人を書こうとして、
「難しい言葉でケムに巻く」しか書けなかったのが、
Zという一年間であったと考えれば、
すべての辻褄が合ってしまった。

カミーユが主役だったのではなく、
なんだ、これはカツしか人間じゃなかったのよ。

カミーユの物語はTV版で失敗したし、
ジェリドは物語にすらならなかったし、
ファもエマもなんだったのかよく分からないし、
アムロもハヤトもカイも何もしていない。
誰一人、ドラマを生きていない。
シャアもシロッコもハマーンも、
ぶつぶつ難しいことを言ってただけで、
ジャミトフもバスクオムも難しい言葉で誤魔化してただけ。

つまり、大人のドラマを描くだけの筆力が、
富野になかったのだと、
今回通して見てはっきりわかった。



物語における戦いとは、
それまでのストーリーがあって、
戦うことを避けられないとなって、
どちらかがどちらかを殺すまでやる。
その、「それまでのストーリー」「避けられぬ理由」
などが、一つもなかったのが、
Zガンダムだ。

アムロは、戦士になっていった。
ブライトさんに噛みつき、独房に入れられ、
脱走して、ランバラルを殺し、ハモンを殺し、
母の目の前で兵士を撃ち、
リュウとマチルダさんの仇を討ちたいと思い、
ララァと精神を融合して、
人類の新しい可能性を背負い、
帰れるところがあることを知った。

そうした物語がほとんどなかった。

カミーユとフォウのラブストーリーはなかった。
僕はこんなやつだと言い、フォウの名前の話をして、
向こうが勝手にキスしただけだった。
全然ラブストーリーになってない。

続編だ。アムロとララァの話を越えるべきなのに、
格下の脚本だ。

何かを書いていたのに、
当時中学生の僕が読み取れなかったのではない。
何も書かれていなかったのだ。

あの膨大な文字列は、
「小論文が書けないから、
文字数を増やして小難しく書いて誤魔化した答案」
みたいになってただけだった。


ああ、ララァ、時が見えるよ。
富野はファーストから成長できないどころか、
大人達に囲まれて、屁理屈で防御する、
みっともない大人になっちまったんだ。

で、やったことはカツとサラのラブストーリーさ。
ちっさい男。



ラストシーン、ファとカミーユが抱き合ってくれたのは最高だった。
無線が急にオカマの真似をして、
それが通話の盗聴だったという映画的演出もよかった。
だけど、それは一年かけて紡いだ話が、
落ちを迎えたわけではない。

富野は誰にも愛された経験がないのかもしれない。
だからファに抱かれて終わりたかったのだろう。
かつては突っ張って狂ってカッコつけたのを、
年取ってハッピーエンドにしたくなっただけだ。


ここまで来たら逆シャア見るかなー。
それで僕のZは終われるかな。

posted by おおおかとしひこ at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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