終わってしまえば何も残らない。
人類の無理解を、
ニュータイプという「認識の拡大」で、
理解に持っていけるのではないか、
と進化の希望を持たせた、
大きな物語のファーストに比べて、
何も残らない珍シナリオ。
それがZだと、終わってやっと理解した。
たぶん、この物語の中で、
劇的動機を持ち、行動していたのは、
カツ、サラ、ヤザンの三人だけだった。
子供、そのヒロイン、そしてチンピラの悪役。
カミーユも、シャアも、ブライトも、
エマも、シロッコも、ハマーンも、
アムロも、レコアも、
「今は動けない」で、
状況に流されて驚いてるだけのリアクション係にすぎなかった。
1985年当時見たときは、
大人達がなにやらごちゃごちゃ話してて、
何を言いたいのか全然わからなかった。
だが脚本をまじめに書いてきて、
物語のことをこれだけ真剣に考えてきた今ならわかる。
これ、
「説明台詞を意味ありげに喋ってるだけ」なんだよね。
大人達はドラマを動かしていない。
かっこつけて状況を説明してるだけ。
カミーユはそれを吠えてかき混ぜてるだけ。
本当にドラマを動かしてるのは、
カツとサラとヤザンしかいない。
そして、今ならわかる。
書き手の富野は、カツの年齢の物語しか書けない。
ファーストのときは、
アムロ16歳で、これまた大人達がいて、
それを切り裂くほどのニュータイプの話であった。
続きであるZは、
彼らが大人になった続きを期待された。
だけど富野は、その年齢以上でできる物語を書けずに、
もう一度16歳の物語しか書けなかったのだ。
たとえばレコアロンドの裏切りが、
全くドラマになっていない。
クワトロからシロッコに乗り換えた意味もわからないし、
女を道具として使ってるとかの意味も不明すぎる。
その具体のドラマがなくて、
抽象的な結論だけ言っている。
これって「プロット」にすぎず、
実際のドラマじゃないのよね。
たとえばクワトロがレコアと愛人関係にあるが、
レコアと別れて若い女に夢中になり、
信じて待ってたが結局裏切られた、のようなドラマがあって、
私なら君を孤立させないとシロッコに口説かれて、
実際にセックスまでしてないとそうはならない。
そして信じたと思ったらサラという女がいて、
みたいに、
ドロドロの昼ドラをきちんとやらないと、
レコアの裏切りの物語は描けない。
でね、「それが何の意味があったん?」なんだよね。
ストーリーというのは、
ただ人が生きて、決断して、行動して、
結果が出て、終わった、ではダメなんですよ。
それが全体としてどういう意味があったのか、
がないと、ただの人の人生でおしまい。
弄ばれた女レコア無駄死に、でしかない。
そしてそれがZという物語に、どんな意味があったのか、
Zという物語は全体として、
「人類の目覚め、相互理解」というファーストの続きとして、
どんな意味を示したのか?にならなければ、
物語ではないのだ。
ところが、
「相互理解をするべきなのに、
痴話喧嘩や殺し合いしかしていない」
という、バッドエンドなのよね。
いや、バッドエンドだから、次の逆シャアこそが、
真の完結編なのだ、なのかもしれない。
富野の中ではそうだったのかもしれない。
だけど、
じゃあそんなものに一年も付き合わすなよって話よ。
もっと面白い話をしてくれよって感じだ。
カツレベルの話しか書けない人が、
背伸びして大人を書こうとして、
「難しい言葉でケムに巻く」しか書けなかったのが、
Zという一年間であったと考えれば、
すべての辻褄が合ってしまった。
カミーユが主役だったのではなく、
なんだ、これはカツしか人間じゃなかったのよ。
カミーユの物語はTV版で失敗したし、
ジェリドは物語にすらならなかったし、
ファもエマもなんだったのかよく分からないし、
アムロもハヤトもカイも何もしていない。
誰一人、ドラマを生きていない。
シャアもシロッコもハマーンも、
ぶつぶつ難しいことを言ってただけで、
ジャミトフもバスクオムも難しい言葉で誤魔化してただけ。
つまり、大人のドラマを描くだけの筆力が、
富野になかったのだと、
今回通して見てはっきりわかった。
物語における戦いとは、
それまでのストーリーがあって、
戦うことを避けられないとなって、
どちらかがどちらかを殺すまでやる。
その、「それまでのストーリー」「避けられぬ理由」
などが、一つもなかったのが、
Zガンダムだ。
アムロは、戦士になっていった。
ブライトさんに噛みつき、独房に入れられ、
脱走して、ランバラルを殺し、ハモンを殺し、
母の目の前で兵士を撃ち、
リュウとマチルダさんの仇を討ちたいと思い、
ララァと精神を融合して、
人類の新しい可能性を背負い、
帰れるところがあることを知った。
そうした物語がほとんどなかった。
カミーユとフォウのラブストーリーはなかった。
僕はこんなやつだと言い、フォウの名前の話をして、
向こうが勝手にキスしただけだった。
全然ラブストーリーになってない。
続編だ。アムロとララァの話を越えるべきなのに、
格下の脚本だ。
何かを書いていたのに、
当時中学生の僕が読み取れなかったのではない。
何も書かれていなかったのだ。
あの膨大な文字列は、
「小論文が書けないから、
文字数を増やして小難しく書いて誤魔化した答案」
みたいになってただけだった。
ああ、ララァ、時が見えるよ。
富野はファーストから成長できないどころか、
大人達に囲まれて、屁理屈で防御する、
みっともない大人になっちまったんだ。
で、やったことはカツとサラのラブストーリーさ。
ちっさい男。
ラストシーン、ファとカミーユが抱き合ってくれたのは最高だった。
無線が急にオカマの真似をして、
それが通話の盗聴だったという映画的演出もよかった。
だけど、それは一年かけて紡いだ話が、
落ちを迎えたわけではない。
富野は誰にも愛された経験がないのかもしれない。
だからファに抱かれて終わりたかったのだろう。
かつては突っ張って狂ってカッコつけたのを、
年取ってハッピーエンドにしたくなっただけだ。
ここまで来たら逆シャア見るかなー。
それで僕のZは終われるかな。
2025年03月20日
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