脚本の話からやや遠ざかるので薙刀式カテゴリで。
ラクダエンさん:
https://note.com/catfist/n/nc26654c8308a?sub_rt=share_pb
> で、本来脚本家であるところの大岡さんに伺いたいんですけども。
小説書いてるときにも「読者になれる」んですか???
おれの予想だと「なれない」んですけど。
自分が書いてるものが小説なのか、
読者と観客が違うのかが、実のところわかってないので、
答え方が難しい。
シチュエーションがあって、
登場人物があって、
地の文とセリフがあって、
という小説形式ではあるけど、
結局「その形式による脚本を書いてる」のではないか、
と自分で疑っている。
それも小説である、と考えるか、
そんなものは小説ではない、と考えるかで、
変わってくると思われる。
乱暴に言うと、
小説という名の脚本の別形態のものを書いてる時は、
読者かどうかわからんが、観客にもなりながら書いてます。
それで小説を書けたといえるのかはわからないけど、
始まりから終わりまでは、書けるは書ける。
ただ、
僕の中に、「小説とは」という経験が乏しい
(映画なら数万本くらいは見てるけど、
小説は500冊読んでないと思う)ため、
評価の軸が自分の中で出来ていないのよね。
だから、
「脚本形式だと普通の人に読み取れないから、
小説の形にすれば読めるのでは?」
レベルのものなんじゃないかなーと思っている。
所詮は脚本の代替品にすぎないものであると。
それは小説の本質と異なるものだよ、
と言われてもしょうがないと思っているので、
「小説の真似事をしております」と自己紹介するべきかなー、
なんてことを思っている。
なので、主観的には「読者になれてる」だけど、
「そりゃあ実質なれてないですな」
という可能性が高そうだなーという実感。
あ、これは手書き執筆に限る。
タイピングによる執筆だと、
漢字変換の減速ぶん、感覚の蒸発が少々起こるので。
2025年03月24日
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なので小説の真似事は何十万字かはやってみたものの、
本気でやるつもりはないなー、
というのが現在地点ですね。
読み方が違うんだろうと。
逆にいうと、小説のように脚本が読まれるのが困るわけです。
ということでご愛読ありがとうございました。大岡先生のご活躍にご期待ください