人生の話ではなくて、物語の中の話。
人は不幸である。
何かしら他人と比べて、
平均より劣っている部分をコンプレックスに持つ。
それが解消するのは、
平均までなったときか?
それを人並みの幸せということにしよう。
年収、容姿、性格、権力、立場、
人気、人生を楽しんでる感じ、自己肯定感などなど。
これらの劣っていたものが、
平均になればゴールだろうか?
リアル人生ではそれで良いと思うけれど、
物語ではそれじゃあおもしろくない、
と思う。
マイナスが0を突き抜けて大幅にプラスにならないと、
「おもしろい」とは思わないんじゃないか、
ということ。
つまり、物語的には、
コンプレックスの昇華は、
人より抜きん出ないと、
カタルシスがないということだ。
整形をし続けてどんどんめちゃくちゃな顔になっていく人がいる。
ブスというコンプレックスがあり、
人並みになったとしても、
「勝った」気がしないのだろう。
どうすれば勝ちなのかわからないまま、
金をかければ変化は起こるから、
変化し続けることが目的みたいになってしまってる人が、
たまにいる。
病的に痩せる人もそうだ。
30kg台とか医学的には病気だろう。
それでもそれによってマイナスをプラスにした感覚がある限り、
人並みの体重には決して戻さないと思う。
それは「敗北」だからだ。
つまり、勝ち負けというストーリーが発生していることになる。
負け続けた積分(マイナス点×期間)を、
勝つ積分(プラス点×期間)で打ち消し、
トータルプラマイ0でありたい、
なんなら、「大幅にプラス積分になりたい」
という欲望が、
人の中にある。
大逆転願望、あるいは一発逆転願望とでもいうべきものだ。
それを物語が叶える。
だから、
「あなたを主人公にしてはいけない」のだ。
あなたが出来ないことを一発逆転したいと無意識に思ってしまい、
それを無理やり一発逆転するものだから、
「嘘くさい」一発逆転になるんだよ。
だってやったことないからね。
とてもリアリティがあり、実感のある一発逆転にならずに、
ご都合主義になりがちだ。
そうではなく、
「自分の書ける一発逆転」にするとよい。
誰かを取材するのは、そういうことだ。
私にはできないが、この人には成し得た一発逆転を観察して、
何が必要だったのか、どこがターニングポイントだったのか、
どこが成功と失敗の分水嶺だったのか、
などを分析して、
「これを応用した別の物語をつくれるか」
まで考えられれば、完璧だ。
その人にあった○○があったから、
一発逆転できたのだ、などがわかれば、
それを応用した別の話がつくれるだろう。
主人公は私にない○○があるから、
大成功するのだ。
○○はやさしさとか緻密さとかひらめきとか、
そんな簡単に見えることだったりもする。
自分は○○が足りてないから幸せになれないのかなー、
などとコンプレックスを刺激するものにしない方がいいね。
それはまた「自分」に囚われるからね。
あくまで、物語としての一発逆転を書いている、
という自覚を持つことだ。
世の中の広告は、
一発逆転に満ち溢れている。
整形して人生ウハウハ、
これを買えば一流の仲間入り、
出来る人のギア、
面倒なことがこれ一発!
ほんとうにそうか、はどうでもいい。
その物語のパワーがあるかないかで、
目立てば良い。
(嘘や誇大広告はJAROに通報されるから、
誠実な範囲までだろうが)
コンプレックスというマイナスを刺激して、
一発逆転をする。
人が欲しい欲望が、広告にはよく現れている。
商品を見るのではなくて、
マイナスとプラスの組みを観察するといいだろう。
そして、商品購入では解決できないマイナスのほうが、
世の中には多いと僕は思う。
その暗部に触れられるか?
それをプラスに変えられるか?
を、探すと良い。
で、そのリアリティを構築していくのだ。
プラスになってどうなりたいか。
物語の主人公は実際にはいわないが、
そうしたコンプレックスのある人は、
「ざまあみろ」と言いたいのだと思う。
その気持ちを掬い取ってあげればよい。
物語と宗教が近しくなるのはここだよね。
信者の発生なわけだ。
2025年07月03日
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