2025年07月03日

人並みの幸せか、大逆転か

人生の話ではなくて、物語の中の話。


人は不幸である。
何かしら他人と比べて、
平均より劣っている部分をコンプレックスに持つ。

それが解消するのは、
平均までなったときか?

それを人並みの幸せということにしよう。

年収、容姿、性格、権力、立場、
人気、人生を楽しんでる感じ、自己肯定感などなど。

これらの劣っていたものが、
平均になればゴールだろうか?

リアル人生ではそれで良いと思うけれど、
物語ではそれじゃあおもしろくない、
と思う。

マイナスが0を突き抜けて大幅にプラスにならないと、
「おもしろい」とは思わないんじゃないか、
ということ。

つまり、物語的には、
コンプレックスの昇華は、
人より抜きん出ないと、
カタルシスがないということだ。


整形をし続けてどんどんめちゃくちゃな顔になっていく人がいる。
ブスというコンプレックスがあり、
人並みになったとしても、
「勝った」気がしないのだろう。
どうすれば勝ちなのかわからないまま、
金をかければ変化は起こるから、
変化し続けることが目的みたいになってしまってる人が、
たまにいる。

病的に痩せる人もそうだ。
30kg台とか医学的には病気だろう。
それでもそれによってマイナスをプラスにした感覚がある限り、
人並みの体重には決して戻さないと思う。
それは「敗北」だからだ。

つまり、勝ち負けというストーリーが発生していることになる。

負け続けた積分(マイナス点×期間)を、
勝つ積分(プラス点×期間)で打ち消し、
トータルプラマイ0でありたい、
なんなら、「大幅にプラス積分になりたい」
という欲望が、
人の中にある。

大逆転願望、あるいは一発逆転願望とでもいうべきものだ。


それを物語が叶える。



だから、
「あなたを主人公にしてはいけない」のだ。
あなたが出来ないことを一発逆転したいと無意識に思ってしまい、
それを無理やり一発逆転するものだから、
「嘘くさい」一発逆転になるんだよ。
だってやったことないからね。
とてもリアリティがあり、実感のある一発逆転にならずに、
ご都合主義になりがちだ。

そうではなく、
「自分の書ける一発逆転」にするとよい。
誰かを取材するのは、そういうことだ。

私にはできないが、この人には成し得た一発逆転を観察して、
何が必要だったのか、どこがターニングポイントだったのか、
どこが成功と失敗の分水嶺だったのか、
などを分析して、
「これを応用した別の物語をつくれるか」
まで考えられれば、完璧だ。

その人にあった○○があったから、
一発逆転できたのだ、などがわかれば、
それを応用した別の話がつくれるだろう。

主人公は私にない○○があるから、
大成功するのだ。

○○はやさしさとか緻密さとかひらめきとか、
そんな簡単に見えることだったりもする。
自分は○○が足りてないから幸せになれないのかなー、
などとコンプレックスを刺激するものにしない方がいいね。
それはまた「自分」に囚われるからね。

あくまで、物語としての一発逆転を書いている、
という自覚を持つことだ。



世の中の広告は、
一発逆転に満ち溢れている。

整形して人生ウハウハ、
これを買えば一流の仲間入り、
出来る人のギア、
面倒なことがこれ一発!

ほんとうにそうか、はどうでもいい。
その物語のパワーがあるかないかで、
目立てば良い。
(嘘や誇大広告はJAROに通報されるから、
誠実な範囲までだろうが)

コンプレックスというマイナスを刺激して、
一発逆転をする。

人が欲しい欲望が、広告にはよく現れている。
商品を見るのではなくて、
マイナスとプラスの組みを観察するといいだろう。

そして、商品購入では解決できないマイナスのほうが、
世の中には多いと僕は思う。

その暗部に触れられるか?
それをプラスに変えられるか?
を、探すと良い。

で、そのリアリティを構築していくのだ。

プラスになってどうなりたいか。
物語の主人公は実際にはいわないが、
そうしたコンプレックスのある人は、
「ざまあみろ」と言いたいのだと思う。
その気持ちを掬い取ってあげればよい。

物語と宗教が近しくなるのはここだよね。
信者の発生なわけだ。
posted by おおおかとしひこ at 08:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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