2025年03月24日

【薙刀式】速度と脳内発声

一般的に、
書く速度が速いほど脳内発声がなく、
書く速度が遅いほど脳内発声が出やすいと思う。

指差し確認的なゆっくりだと、
どんなやり方でも脳内発声はあろう。


おそらくそれは、
「自分の口の速度」基準なのかもしれない仮説。

口より手が速くなったとき、
音韻的処理とは異なる何かが生まれるような気がする。

僕はそんなに喋るのが速くなさそう
(普通の人よりは速いけど、
ヲタクの早口ほどは速くない)だから、
比較的手による限界突破が楽だった説。


ラクダエンさん:
> あーそうそう、かな入力で脳内発声なくなるって話おっかしーなと思ってたのよ。かな入力だって音じゃねえか!
多分ね、程度問題。でもそれがでかい。かなをそのまんま入力するのと、かなを音韻的に分解して入力するのでは、求められる音韻的言語処理の負荷が大幅に違うんだと思う

負荷というか手間というか。

僕がローマ字だと脳内発声があるが、
カナだとないぞ、と気づいたのは、
「言葉を一連の流れでひとまとまりで打てたとき」
のような気がする。

あ、い、う、え、お、と打ってる時はカナだろうが脳内発声がある。
一方言葉をカナに分解せず、
一連の打鍵として打てた時、
「カナに分解せず、これはひとつの概念である
(概念とダンスが一対一対応した)」
と思えたときに、
脳内発声はなくなるのではないか。

分かりやすい例では、薙刀式では「ある」はJIという最強のアルペジオなのだが、
動画解析によって、2F(=2/30秒)で打てていることがわかっている。
「あ」「る」と打たずに、JIという模様が「ある」という概念に対応する、
とカナを経由しなくなる。

で、ローマ字に比べて、
カナのほうがこの現象が起きやすい
(手間が少ないから)、と思う。

カナであれば全く脳内発声がない、
わけではない。
たとえば薙刀式での左薬指連続ワード、
「きびしい」 W(XJ)RK
だと脳内発声がある。WXの手の動きが遅いからね。
指差し確認する速度に落ちるのだろう。

逆に言えば、ローマ字でも一定速度を超えれば、
脳内発声がなくなる可能性がある。


実験によれば、
「カナ漢字変換を伴わないタイピングによる自由文」
つまりオールひらがな文章だと、
僕は1926カナ/10分のペースで書ける。
これだとほぼ脳内発声はなく、
思考と無音で直結している感覚があった。
漢字変換のせいで、
大体1500字(変換後)前後に落ちているっぽい。

で、漢字変換ではどうしても音による指定が入るので、
うっすら脳内発声してる部分もあるんだろうと思う。
でもそれはローマ字よりも速度が速いため、
比較でいうとないように見えている(聞こえている?)
のではないか。


僕の最速ローマ字、カタナ式の記録では、
1000字(変換後)であった。
このペースだと脳内発声があった。
1500を超えたらなくなる可能性は0ではないかもね。
ただ、それほど僕のタイピング技能はなかっただけで。


だから僕の場合、2000(変換後)あれば、
タイピングによる脳内発声は消失しそうだ。

なお、NHKアナウンサーが、
隙間なく原稿を読む速度は3000が基準。
落ち着いてゆっくり確実に読む速度ではあるが、
相手のリアクションの間を与えず、
ひたすら津波のように押し寄せることになるから、
10分間3000字は現実的ではない。
なので、実際に人が考えて話す速度よりも速いと僕は考えている。

だから、多少喋るのが苦手な僕は、
2000あたりで脳内発声が消失して、
完全なる意味の世界に没入できそう。

しかし現実にはカナ漢字変換を使うので、
1500あたりでもがいてる感じだな。

なので漢直をやりたいのだが、
既成漢直を見る限り、
カナ部分は薙刀式のほうが優秀なので、
混ぜ書き変換の併用も考えると、
薙刀式+独自漢直の必要性を感じている。
(現在下調べ中)


だから、
カナ配列、即脳内発声なし、
ローマ字、即脳内発声あり、
というのはあくまで単純化された結論にすぎず、
間の状態はたくさんあるし、
人によるかもね、
というのは補足しておきたい。

ローマ字だって十分速ければ、
ある種の模様と概念が一対一対応する可能性はある。
(先日の会合では、かみだいさんは、
思考とqwertyローマ字の動きが一致してるくらいには、
qwertyが打てると言ってたし)

カナの同時押しが苦手な人もいるから、
同時押しが模様書きの障壁になる場合もある。



僕が喋るのがあまり得意ではないと思うのは、
脳内発声のない高速回転の思考に、
口がついてこないからで、
口で喋るために指差し確認言語を再構築する必要があるからだ。
これが緊張を伴えばどもりになる可能性もあるのかな。
僕はなかったけど、気持ちはわかる。
たまに口がついてこなくて、語頭を言い直すことはあるし。

なので極論、脳内の思考と喋る言語の、
二つの言語を行き来しなければならない感覚だ。

聞く方は慣れた(24時間そうだから)が、
出力において二つの言語を操らないといけないため、
処理負荷が起こってるんだろう。


これが口から先に生まれたような人
(発達段階でたまたま口が速かった人?)は、
口で十分速度があるため、
音声言語を第一言語とできるのではないだろうか。
つまり、脳内思考速度と、口の速度の、大小関係によって、
タイプが決まるのではないかと予想できる。



「書く時に脳内発声がない」ことを自覚している人、
どれくらいいるのだろう?
表意文字を使う日本語話者に多そうだが、
他の言語だとどうなのだろう?割合はどんくらいかしら。

そして思考速度というのは、
どのように測定できるのだろう?
漢字変換なしのタイピングで2000出せる人もそんなにいないだろうから、
万人のための測定方法があるとは思えないなー。


で、音韻的処理をしてるなら、
音声入力がいいのでは?
などと思ってしまうのだがどうなんやろ。
自分の声が邪魔になるのかな。
変換精度がYouTubeのオート字幕レベルなら、
使い勝手はイマイチそうだけど。

たとえば、
「全文ひらがな入力」でプレーンひらがなテキストを音声入力して、
読み取りがイマイチだったところをひらがな状態で修正して、
あと一括変換、みたいなことをすれば、
思い通りの文章になるかしら。
(適宜変換後⇔プレーンひらがなは戻れるようにしてもよい。
現在の再変換アルゴリズムは辞書登録読みのカナに戻すので、
「入力したカナに戻らない」確率が体感25%くらいある)

でもそれってライブ性が全然なくなる?
ICレコーダー執筆はやったことないけど、
結局その後清書の手間が膨大よね。

音声入力即原稿の英語がウラヤマシス。



で、なんだっけ。

人間には二種類いる。(仮説)

1. 口が遅いため、脳内発声のない高速な思考を手に入れた人。
 思考>口。意味優先、音韻は遅い。
 (黙読は音読より速いので、脳内発声なしで読める)

2. 口が速いため、その速度が思考速度になった人。
 思考=口。音韻優先。
 (思考が口を追い越す場合どうなるんだ?)


僕は1だが、今から早口言葉やアナウンサー教室に通って、
口の速度を上げたらどうなる?w
posted by おおおかとしひこ at 12:19| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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