2025年03月24日

【薙刀式】「今」=近々3秒説

3でも7でも具体的な数字はおいといたとして。

漢直に比べて、
カナ漢字変換は、どうしても過去への手戻りがあり、
それが「現在と過去の一直線」を、
壊している感覚がある。


ラクダエンさん:
> 手戻りみたいな話じゃなくて、音韻的言語処理が3秒過去しか扱えないってことじゃねえの?

音韻的言語処理と、意味的言語処理にわけている、
という文脈の話なのだが、
意味的言語処理も、蒸発するんじゃね?と思った。

感覚的には7秒くらい? 3秒よりは持ちそう。
単純に手が間に合ってなくて、
意味なり音韻なりの蒸発が起こっている感覚はある。

それに加えて漢字変換があるから、
さらに手戻りの一工程挟んでる感覚なのかも。



思考というのは現在から未来に向かう矢だと思う。
それに多少遅れながら、
書くという行為は随伴する。

それで、等間隔に遅れていれば、
書くという行為も現在から未来に向かう矢になるのだが、
そこに漢字変換が挟まると、
「過去俺が考えていたこと」に一回戻らないといけなくて、
ほんでまた、現在から未来に向き直らないといけないので、
その行ってこいの間に、
なんだっけくそ忘れた、となるんだと思う。

つまり蒸発するのは過去ではなく、
未来のような気がする。

そして過去も、打鍵が遅すぎると、
過去すぎて蒸発しちゃうのだろう。


結果、前後とも蒸発して途方に暮れる、
というのがqwertyローマ字時代の僕で、
カタナ式、薙刀式を手に入れることで、
過去の蒸発はかなり防げるようになってきた。

しかし、だからといって、未来が少し蒸発してしまってるとは思う。


手書きでこれが少ないのは、
ペンの軌跡が一筆書きだからのような気がする。
最後の一画に次への微分が含まれてて、
そこに沿えば未来へ行けそうな気がする。

つまり、少なくともペン先のただ一点が現在であり、
過去も未来も同時に存在してない気がするんだよなー。
現在から見た未来だけがあるように思える。

なのでタイピングを一本指打法でやれば、
比較的そうなるかもしれない。遅そうだけど。

なにせ僕はフリックを右人差し指一本でやってて、
700〜1000字(変換後)/10分を出している。
薙刀式よりは遅いけど、
ぶっちゃけこれでもええんちゃう?って思ってるくらいには、
思考と文章が一致している。
(僕の手書きは900ちょい)

でもiPhoneのクソ変換に付き合わないといけないので、
これまた漢直である手書きが、一番じゃね?
という感覚は変わらないか。



なので、
・薙刀式で2000出す
・漢直で1000〜1500出す
・手書きを打ち文字にしてくれるAI開発?既存のチューニング?
がこれからやるべきことかもだが、
うーんどれもしんどそう。


そうそう、あし体は、
「どこにいるか」という身体感覚で考えていると思う。
思った位置から意図せず動かされると、
自転車を横から蹴られたような不快があるんじゃないかな。
それを立て直しはできるけど、
やってる間にどこにいるか見失う的な。

視点とか軸足とか、どこから見てるか(アングル)を、
僕が良くいうのは、
その傍証のような気がする。
それが空間だけでなく、時間軸にもあるような。
posted by おおおかとしひこ at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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