いろいろな演技の方法論について、基礎知識的にまとめておく。
1 古典的形態模写
2 スタニフスラキーシステム
3 メソッド演技法
4 憑依型
5 マイズナーテクニック
6 チェーホフテクニーク
知らなかったら知っておくと良い。
脚本を書くうえで、それをどのように俳優たちが演じるか、
同じ台本だとしてもいくつかの異なる方法論があることは知っておくとよい。
そして、脚本家が登場人物を書くときの参考になるかもしれない。
そもそもそのシーンのその演技がナチュラルにできてしまうのならば、
方法論など必要ない。
天性の芝居勘を持つ役者はいるので、出来る人はやればいいだけだ。
技術とか理論というのは、
出来ないときに頼る方法論ということになる。
だから出来ない役者の参考にもなるし、
ある時はできたのだが、ある時はできないとき、
何か役に立つ道具として、
七つ道具入れに入れておくと安心すると思う。
基本は、体の使い方と、感情をどのようにつくるか、
ということに集約されるように思う。
1 古典的形態模写
演技の古典的基本は、形態模写だ。
形をつくって嘘をつくわけだ。
「泣く」という芝居について考えよう。
顔をゆがめ、眉をハノ字にして、目じりを下げ、
嗚咽し、涙を流せば、「泣く」という「形」になる。
人は泣くときに特有の形をしていて、
それを形態模写すれば、泣いているように見える、というわけだ。
もちろん、文脈に応じて泣き方が変わるから、
「こういう文脈ではこれくらいの泣き方が必要」
という勘が必要になる。
これは、身体のコントロールのみで可能なやり方だ。
つまり、心はどうでもよい。
心の中は「今日の晩御飯は何かなー」と考えながら、
身体は泣く形をつくることが可能だということだ。
高度に様式化したバレエや歌舞伎などは、
その型をやるだけでそのような芝居である、
というようになるから、
心は関係なく、単なる形態模写で芝居は可能だということになる。
首の角度を何度にして、とか、
間を1秒取ってとか、足の角度は、重心は、
などのように、純粋に身体操作だけで、
芝居は可能である、という風に考えてもよい。
いわば物まねでもある。
高度な技術を持った俳優は、
形態模写、物まねが上手だ。
それは、外形をとらえる観察力や、
それを表現する身体を持っているからだ。
たとえば浜辺美波は、1センチ単位で立ち位置、止まる位置を把握して、
床のバミリ(印)を見なくても正確に停止できる身体感覚を持っている。
アスリート的な能力、身体操作力がまず高いということだ。
できちゃうなら楽だけど、できるまでの実力が相当いる。
とくに一か月同じ演目を続ける舞台などでは、
これがないと毎度毎度つらくなってしまうだろう。
身体が自動的に演じるようにしておくべきだろうね。
歌やダンス、リズムなどで芝居するやり方だと思う。
2 スタニフスラキーシステム
心はどうでもよい、という流派と対照的に、
やはり「心で演技する」べきだ、という流派の祖。
泣くときは悲しい心になるべきだ、ということだ。
これは一見当然なのだが、
毎回悲しい思いをしながら芝居をしなきゃいけないので、
俳優的にはダメージの大きい方法論だともいえる。
これは「その役の生活を体験して、再現する」
という方法論が有名だ。
農家ならば、朝早くに起きて、畑を耕して、
一日中外に出て、日没とともに寝る生活をしている。
そんな生活を実際に体験して、
「その役の生活をする」という、よく言われる「役作り」は、
この理論に基づいている。
ホームレスの役なら橋の下で生活してみるとか、
警察官の役なら訓練してみるとかね。
その人がどのように生活して、
どのような日常の感情を持っているかを体得すれば、
その台本の文脈の「泣く」という芝居の気持ちが理解できるだろう、
という考え方だ。
古典的には「泣く」という形態模写だけでよいが、
そこに心をこめれば、
泣くという心が形を通じて伝わりやすいよね、
という方法論だ。
3 メソッド演技法
メソッド演技法は、
自分と遠い役を演じるときにも使える方法論だ。
その役の役づくりがよくわからない場合
(俳優本人と遠すぎる役や仕事など)、
「その文脈の感情と、近い自分の体験を使って演じる」
という方法論だ。
たとえば「母を失って泣く」という文脈で、
「飼ってた犬が死んだことを思い出して泣く」
という芝居をすれば、
「母を失った悲壮な悲しみやショック」を、
伝えられるということだ。
これは、古典的な方法論とは対照的で、
「一回しか出来ない」「何度もできない」という特徴がある。
リアルではあるが、一回性が強い。
また、カメラから見てわかりやすい芝居になるとは限らない。
感情がどこへ行ってしまうか分からないため、
リアルに演じれば演じるほど、
「わかりやすい位置に顔を向ける」などに気を使ってられないからだ。
浅野忠信はこのような芝居をよくするが、
「二度と同じ芝居ができない」ため、
リアルではあるが、テイク2が出来ないのでスタッフ泣かせではある。
北野武、イーストウッドはテイク1しか撮らないという。
リアルは一回だけ、という考え方だからだ。
これは、メソッド演技論に近い考え方だ。
また、メソッド法は、
俳優自身の体験を使うため、
とくにネガティブな感情の芝居のとき、
それをキープするのにとても労力がかかり、
時々精神的に参ってしまうことがあることが知られている。
ヒースレジャーがダークナイトのジョーカー役をやったときに、
不眠症に陥り、無理をして心を壊して死亡してしまったことは有名だ。
役に持っていかれてしまうのだね。
4 憑依型
さらに役に持っていかれるタイプは、
憑依したかのように自分に役を取りつかせる。
方法論はいろいろあって、
2のスタニフスラキのように、
その役の生活をずっと続けるとか、
その役の感情をずっと体験するとか、
その役から見た世界を見ていくとか、
いろいろな手段によって、憑依させるわけだ。
自分はなるべく空っぽにして、
メソッド法のように自分自身の体験は使わない。
だから、終わったらその役が抜けてしまうので、
二度とその役を出来ないらしい。
堺雅人が憑依型としてよく知られる。
だから台本は家に保存していないんだってさ。
その痕跡を消して、次の役のために全部をあけておくのだそうだ。
5 マイズナーテクニック
ただ単に「泣く」わけがない。
周囲の何かによって泣くきっかけがあるわけで、
仮に一人芝居でも、雨がぽつりと降ってきたのをきっかけに涙があふれたりするものだ。
つまり、人は周りの環境から影響を受けていて、
それを芝居に利用するやり方である。
「相手役がどう出るかとか、現場がどういう感じなのかによって、
芝居が変わるので、出たとこ勝負で演じるだけです」
という言い方を見ることがあるけど、
こういうタイプの役者はマイズナーテクニックを使っているわけだ。
相手がどう出るかにかかわらず、
古典的演技法ならば、心もなくても形態模写が出来るはずだからね。
相手に合わせて自然に憑依させる、
という方法論だろう。
このタイプはアドリブを好む。
織田裕二は小道具を使って、自分の反応を使っていた。
電話する芝居で、受話器のコードをくるくる回すとか、
メモを取るときにボールペンの持ち方で気分をつくるとか、
いろいろな工夫を使ってセリフのニュアンスを作っていた。
一人芝居でもそのようなことは可能だ。
ある人のアップを撮影するとき、
相手役が映っていないのに、相手役はその場にいることがある。
セリフとは掛け合いであり、
ある人のアクションに対するリアクションだからだ。
昔映っていないから相手役はいらないと判断して控室に返した助監督に怒ったことがある。
相手役にリアクションを引き出させるのが芝居だろうと。
6 チェーホフテクニーク
センターという方法論を使う。
その役を演じるときに、鼻先にセンターがあるときと、
腹の中にセンターがあるときはキャラクターもリアクションも違うよね、
と、体と、感情や態度の一致を考えるわけだ。
たとえば鼻先にセンターのあるときの泣く演技は、
鼻ですするように泣くだろう。
だけど鼻先なので、たいした悲しみではなく、
泣き終わったらすぐに忘れてしまう泣きになると思う。
これが腹の中に重たい鉄の塊があるセンターだと、
涙など一筋も流さずに、ただただ重たく体を硬直させるような、
重たい泣きの芝居になるだろう。
今その文脈は、どこにセンターがある芝居が適当なのか、
を考えて、それを実行するわけだ。
僕がよくやるのは、
リラックスさせたときの芝居と、
ベルトをきつく締めて背筋を丸めたときの芝居は異なる、
というやつ。
身体のリラックス加減で芝居は変わる。
ということは、身体をうまく拘束すれば、
言葉で指示しなくても目的を達成できるわけ。
特に芝居の下手な人をコントロールするのに向いている。
不安定な椅子に座らせると、
不安な芝居になるだろう。
泣く芝居だって、不安定な椅子に座っているのと、
頑丈な椅子に座っているのでは、
全然違う泣きの芝居になるはずだ。
前者のほうがこの先不安になった泣きになるだろうね。
温めたり、冷やしたりするのも有効だね。
つまり、チェーホフテクニークは、
身体の状態が感情に影響を与えるのだから、
逆算してその身体の状態を作れば感情は再現できる、
という考え方だね。
いろんなやり方があると思う。
あるやり方が得意で、それでうまく出来ないときは、
別のやり方をやればよいと思う。
あるやり方でやったら下手だとしたら、
別のやり方で試せばよい。
結果、自然な、その文脈にふさわしい芝居になれば正解だ。
つまり、
「泣く芝居が下手なんです」という相談だったら、
1. 「泣く」ことの形態模写が下手なのでは?
人の真似をして、それを鏡で見てみな、
思ったより表情筋や間がコントロールできてないぞ
2. なぜこの人は泣くんだい?
どういう流れや生活から、この場面に至ったんだい?
その人が他の場面で泣く時と、
この場面で泣く時は違う泣き方かい?
3. この文脈に近い君の悲しい体験を思い出せば?
勝手に感情移入が起こって泣けてくるよ
4. 憑依が足りないんじゃない?
そいつがこの場面に来たら、ウワーッてなるでしょ?
まだその役になり切れてないんだよ
5. その場所で、その周囲に反応する形で、泣いてみたら?
あなたが泣くのではなく、泣かされるのだよ
6. 泣いてる時はどういう姿勢?
寒い? 縮こまってる?
重心は? センターはどこ?
その体勢がつくれれば、泣いてなくても泣いてるように見えるよ
の、6通りを試すことができるわけだね。
もちろん、これは各理論のさわりの部分を使ってるにすぎない。
もう少しちゃんと理論をやった人からは、
浅いと思われるかもしれない。
なので、もっと詳しく知りたいなら、
本を買ったりワークショップ行ってください。
俳優たちは、
このようなテクニックを駆使して、
自然な芝居、あるいは目立つ芝居をやろうとしている。
監督はそれをコントロールして、
全体のやりすぎを削ぎ、不足を足して、
全体の交響楽をつくっている。
当然、その文脈を用意するのは脚本家だ。
どのような登場人物が、
どのようなことをやろうしていて、
それをどのような手段(セリフや行動)で、
実現しようとしているか、だ。
俳優のやり方を真似して、
いろいろな方法論で役作りしてみると、
異なる言葉や場面が書けるかもしれないよ。
参考にされたい。
2025年04月01日
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