2025年04月02日

万博のポスターがひどい

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俺これティーザー用で、本告知じゃないと思ってたのさ。
そしたらこれ本番ポスターっぽいな。

今の日本の問題をよく示している。
ブロッコリー。
強い一つの人格に統合されていない、
あれもこれも出さなきゃというやり方。
もはや衰退したが、
家電のリモコンがこんな感じだったよな。
これいる?って機能がどんどんついてって、
訳のわからんカオスになるやつ。

大人、子供、たこ焼き、ロボット、女子高生、外人。
でかいOリング、目玉のない展示。

日本は八百万の国ではある。
だけど芸術というのはひとつのコンセプトで、
一人の人格として、万人に当たらなければならない。


象徴はすでにある。
ミャクミャク様だ。

それが良いテーマかどうかは置いといて、
今回の万博は「いのちのかがやき」であったはずだ。
ミャクミャク様になるまえは、
この生き物は「いのちのかがやき君」であった。

なぜそのテーマと象徴で勝負しないのか?
このポスターのデザイナーは誰か?
このうんこコピー「想像以上!が万博だ。」
を書いたコピーライターは誰か?
複合体しか見えてこない。
ひとつの強烈な人格が見えてこない。


どう考えても、
赤バックか青バックか白バックで、
ミャクミャク様と「いのちのかがやき 大阪2025 4/13-10/13」
に絞るべきでしょ。

デザインは引き算って習わなかったか?
習ってないならデザインなんてやるな。


下にある色んなロゴの意味がわからない。

大阪万博マークはあってもいいけど、
ミャクミャク様をイコンにするならもはやいらない。

ワールドエキスポロゴもいらないでしょ。
世界の万博イベントを仕切ってる集団がいるのかな?
いたとしても隠れた方が得策でしょ。
世界中で開催されてる持ち回りイベントよりも、
日本で開催される世界規模のイベントに見えた方が、
楽しそうだもの。

競輪マークも不要だ。
このポスターは競輪の売上で作られてるらしい。
なんで?
広告費用を賄えなかった台所事情がかっこわるい。
競輪といのちのかがやきの関係が不明だ。
そんなに競輪がいのちのかがやきをやりたいなら、
パビリオンつくればいいじゃん。

つまり、主語が複数になっている。
シミみたいに増えている。

極め付けはシミみたいな東急のハンコ。
これは駅に掲出しているものなので、
東急のハンコが必要なのはわかるが、
デザインを毀損するこのやり方を、
東急はやめればいいのに。
デザインを大事にしない、権威的なやり方だ。

つまりこのポスターはシミだらけになっている。
さっき引き算っていったよな。

引き算ってことはつまり、
主語を一人にすることと、
メッセージを強いひとつにすることだ。
それを残してすべてを捨てるのが引き算だ。

主語を一人にするために、
ミャクミャク様というキャラクターを作ったんじゃなかったの?

ミャクミャク、大阪万博委員会、世界万博委員会、
競輪、東急という少なくとも5人が、
足並みも揃えられず「想像以上!が万博だ。」
って叫んでるんだぜ。
なんなのこの小学校の卒業式以下の芸。

大阪で育ち、大阪を愛する者として許せない。
さっさと出ていけダニども。

ポスター一枚でさすが大阪や!って爆笑させてみろ。
それが期待されてることやぞ。
客の期待すら読み取れないやつを、大根というんや。
大根の方がずっとおいしいわ。
posted by おおおかとしひこ at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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