2025年04月02日

【薙刀式】筆記用具は思考に影響を与える

ためしに伊藤園新俳句のHPから、
15年分の入選作を書き写してみた。
ざっくり100首くらい。

興味深いことがあって、
「簡単な漢字変換じゃ出ないものがちょいちょいある」
ってこと。


まあ、作品にしたいから、
難しい言葉遣いにしたくなるのもわかる。
蒲公英とか鳳仙花とか、植物が漢字になってると歌っぽいしね。

平易な言葉だけで作品を成立させることが、
技術的に難しいこともわかる。
平易な言葉だけだと舐められると思ってしまう心もわかる。

漢字にするか、ひらがなにするかを熟慮した上のものだから、
単にバーッと打って変換すればいいというものでもない。

変換しにくかったものたちをあげてみる。


 山ゆりの 二百のラッパ もう鳴るか

山ゆりを一発で変換できない。
山百合だと大げさになるからひらがなにしたい気持ちはよくわかる。

 石こうと 夏の教室 二人きり

石こうが同じく。石膏だと大げさすぎて、
二人きりの感じにならないよね。

 名月や きれいな音の でる薬缶

きれい、でる、薬缶などは、
普通と違う仮名遣いだ。
綺麗、出る、だと漢字が多すぎて、
間抜けな感じの音を表現できないだろうね。
薬缶だけヤカンややかんと表記しないのが、
なんだか偉そうな薬缶が調子はずれの音を奏でる感じがあっていいよね。

 聖なる夜 息子に一つ 嘘をつく

読みから「よ」なんだけど、「よ」から夜は変換できないことに気づく。
これを「よる」から変換するのが気持ちわるい。

 夏帽子 深くかぶって 地面蹴る

夏に帽子をかぶることはできるけど、
「夏帽子」と一単語にしていることがしゃれている。
しかし当然「なつぼうし」では変換できない。
めんどくさい。

 手長猿 秋天ひょいと 掴みとる

「秋天」は「しゅうてん」からだと確実に終点になるな。

 きんぎょすくい 私もきんぎょも ひっしです

私だけ漢字なのがいかにも子供の作文っぽくてよい。
それをつい変換してしまうIMEの無粋よ。

 富士山を 背中にしょって スキーした

「背中に背負って」と変換しやがる。糞め。
まあ「馬から落馬」的な言葉だから、
本来はおかしいんだけど、
でもこの不完全さも含めて作品の魅力だと思う。

 この蟻も アフリカ象も ただ一世

蟻、アフリカ象を正しく一発で変換しにくい。
アリ、アフリカゾウが第一候補に来がち。
また、「ただ一世」という変わった言葉遣いが来ると、
変換は急にだめになるね。
一代限りの命なのだ、という意味の一世という言葉づかいは面白いのに、
「ただ一斉」とかに変換しやがるぜ。

 よく笑う 我去りて父母 雪深し

「よくわらうわれさりてふぼゆきふかし」
からでは一発で変換しにくい。
父母がどこにも接続されていない言葉で、
そのぽつんと取り残された感じが、
息子が去ったあとの実家の父母という歌意にもかかっているんだけど、
そんなことまでIMEは解釈しないからねえ。



まあ、ざっとやってみた感じだから、
まだパターンは発生するかもしれない。

で本題なのだが、
たかが17文字なんてすぐに打てる量なのに、
IMEのせいで、
書きにくくなっているということ。
これは筆記具に邪魔されているということだ。

これを繰り返していくと、
筆記具に邪魔されない歌ばかりになってしまうのではないか。
それは道具による文章への侵略行為で、
越権だと思う。

たかがIMEに影響されない歌詠みをしたいものだ。
posted by おおおかとしひこ at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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