僕は主人公を自分にするべきじゃないとよく言っている。
それは、しょせん大したことない自分以上の能力が、
主人公に付与出来ない限界が来るからだ。
自分より能力のある人が主人公ならば、
自分じゃできない突破が出来る、ということだ。
とくに、「自分が怖くて出来ないこと」が、
その人はできるんだ。
自分じゃ怖くて他人に直接言えないこと。
自分じゃ怖くて会社をあっさり辞められないこと。
自分じゃ怖くて簡単に告白できないこと。
自分じゃ怖くて喧嘩を売れないこと。
その主人公は、自分じゃないので、
簡単に自分よりも行動的で積極的で、
どんどん前に進んでいく。
だから、事態を変え、コントロールできるわけだ。
自分はできなくてもいいから、
主人公はできる。だからやる。
それだけのことなのだ。
もしあまりにも怖くて、
とてもじゃないが自分じゃできないことがあるとしよう。
でも主人公はできるとしたら、
どう書けばいいだろう?
自分がやっているように書かずに、
できる人の気持ちになって書けばよいだけだ。
あるいは、できる他者として書いてもよい。
どちらでもよい。
観客は、その能力が自分にもあったらなあ、
と憧れ、最後にはその能力のある自分と錯覚して、
同一視するだろう(感情移入)。
主人公はあなたではない。
だから怖いこともできる。
逆を考える。
主人公はあなたほど能力がない部分もある。
全体的に優れているのではなく、
ある部分は自分よりも優れているが、
別の部分は自分よりも劣っていると設定するとよい。
足が自分より遅いとか、
絵が自分よりも下手だとか、
算数が自分よりも苦手とか、
自分より方向音痴だとか、
自分より太ってるとかだ。
なんでもいいから欠点をつくっておくと、
その人物にコンプレックスを感じたり、
過度にヒーローめいて考えなくて済むだろう。
相手も人間である。完璧ではない。
苦手な部分を避けて、
得意な部分で勝負するはずだ。
だから、あなたが大したことがなくて出来るものでも、
あなたより怖くて無理というかもよ。
たとえば自転車に乗るのが下手でめちゃくちゃ怖がったっていいよね。
そこは異なる人間なのだから、当たり前だと考えるべし。
自分と異なる人間、というと、
つい自分より勝った部分ばかり考えて、
ヒーローのように考えてしまうかもしれない。
それはまだ「異なる人間」ヘの観察が甘い。
人間というのは凸凹している。
突出している部分とへこんでいる部分があるわけだ。
あなたより怖がりではないかわりに、
あなたより出来ない部分があると考えると、
上下ではない、別の人間、という考え方が、
うまく行くかもしれない。
2025年07月17日
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