写真だとわかるかもしれない。
上手いけど良くない写真、
下手だけど良い写真はある。
歌でもそうだ。
上手いけど心に来ない良くない歌、
下手だけど心に来るいい歌、
というのはある。
写真でいえば、構図、レンズの選び方、
光線の取り方、フォーカス、手振れ、
配色、被写体とその他の整理、などの技術がある。
歌でいえば、
音程、リズム、活舌、大小、ビブラートとかスタッカート、
などの技術があるだろう。
これはそもそも、
表現意図を伝えるために、
最大限伝えやすくなるように使われる。
誤解を産んだり、分りにくくなるのは、
下手だということである。
しかし、どんな技術を使っても、
「うんこはすばらしくよい」を伝えることはできない。
(スカトロでないかぎり)
内容が心に来ないからだ。
だから、伝えたい内容がまずありきで、
それが水量だとすると、
水道管の太さが技術だということになる。
水道管が太いに越したことはないが、
それよりも水の量のほうが大事だということだ。
多くの教室は技術は教えるが、
良い悪いは教えない。
それはたくさん鑑賞して身につけてください、という立場だろう。
生徒を良くないと教えて、嫌われてやめられると商売あがったりだから、
良くないと正直にいうことも少ないだろう。
だからなんとか教室の生徒は、プロにはなかなかなれない。
プロになったら否定される人生が待っていて、
それに耐えられるかは教室で教えてくれない。
でも、良い悪いのほうが先にあるのは、
どの芸術でも同じだと思う。
良い悪いが分らなければ、なんでもよいになってしまう。
技術だけが単独で存在するわけではない。
あるものを表現する技術があるだけだ。
喜びには喜びを、悲しみには悲しみを表す技術があるだけだ。
喜びをここで持ってきて、悲しみをここで持ってくる、
というのは技術ではなくて、内容である。
下手でもよい映画を見よう。
僕は「アルプススタンドのはしのほう」は、
下手だけど良い映画だと思う。
だから評価する。
上手いけど良くない映画ってあったっけ。
何も覚えていないからぱっと思い出せない。
絵がきれいで音楽がきれいな映画だけど、
内容がないのは、脚本がうまいわけではないが、
上手いけど良くない映画だろうね。
たとえば、
「survive style5+」「We are little zombies」は、
絵や音楽は上手いが、
映画としてはうんこだ。
シナリオは下手だから、うまいが糞の例ではないが。
もう一度これを見るか、うんこを食うか選べ、
といわれたら、僕は後者かな。
それほど内容でものは決まると思う。
上手くて良い映画の脚本を書けるなら、
それに越したことはない。
だけど、どうせ技術なんて熟成に時間がかかるのだから、
どんどん下手だけど良い脚本を書こう。
むしろ、上手くなるためには、数をこなすことが必要だ。
人生で一曲しか歌ったことがない人が、
歌が上手くなるわけない。
ただし、上手くなっただけで、
良くないものをつくるべきじゃないよな。
僕は良くないものは良くないという。
下手で良くないものはたくさんある。「シンゴジラ」とか。
上手くなりたいのか。
良いものをつくりたいのか。
どちらでも構わない。
良いものとは何かというと、感動したり大爆笑したり、
人生が豊かに、ポジティブに感じられるものだと思う。
芸術的であるとか、よくわからないことはどうでもよい。
映画は大衆芸術だ。
大衆へのパワーがないものは良くないものだと思う。
もっと良くしたいときはどうしたらいいか。
もっとパワーがあるようにするにはどうしたらいいか?
をイメージするといいと思う。
オフビートでスマートなほうが、
泥臭かったりアツイものよりも優れているという価値観がある。
僕はどっちもありだと思っている。
オフビートでスマートなもので、良いものがほとんどないだけで、
ほとんどが単なるかっこつけの自己満足しかないだけだ。
もちろん、泥臭くてアツイものが、
低俗な面白さになっている場合もある。それも良くない。
まあ、だから、沢山見ることだ。
自分の中で良い悪いの基準をつくっていくことだ。
1000本見ればつくれるか? 足りないね。
1万本見れば作れるか? 半ばだろう。
数万本くらいかな。それくらいでやっと平均が分る程度じゃないかな。
すんごい名作を見たり、すんごいハズレを見よう。
いかに映画の世界が広大で、
上手いから下手から、良いから悪いまであるかを知ることができる。
下手でもいい。音痴でもいい。
心に残るパフォーマンスをして、良いものをつくることだ。
もっと上手かったらなあ、と思われるのは、
まだ「良い」の量が足りないのだ。
リライトは、それを足せるチャンスである。
もっと良くするにはどうしたらいいか、考える。
良くしようとして却って悪くなることもある。
その経験も沢山つむと、
「こうすれば良くなるのに」もわかるようになってくるぞ。
世間の良くない映画を、こうすれば良くなるのに、
と改訂するのも大切な練習だと思う。
何なら、
技術というのは、その新しい良いを表現するために、
新しくつくられることだってあるんだ。
キューブリックが不気味な空中浮遊するカメラをつくるために、
ステディカムを開発したことは有名だ。(「シャイニング」)
表現ありき。技術ありきではない。
技術はあとからついてくるだけの話だ。
2025年08月02日
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