2025年08月03日

デカい敵を個人チームで倒す

これはとても盛り上がる。
現実にはあり得なくても、フィクションに特有のパターンだ。


ということは、
普段、数の暴力や権力で、いかにものごとの結着がついているか、
ということだよね。
強い組織、大きな組織によって、少数派が潰されている、
という現状があるからこそ、
少数の個人チームが協力して、巨大な敵を倒すのは、
ロマンがあるわけだ。
ロマンとは不可能という意味でもあるかもしれないね。

さて。
じゃあ、なぜその個人たちのチームは巨大な敵を倒せるのか?
ここを考えなければならない。
「巨大な力がある」だけだと不自然だ。
それなら今闘わなくても、もっと前に戦えばよかったのに。
このツッコミを防ぐために、
「新しい巨大な力が今目覚めた」というパターンを取ることがあるね。

あるいは、「一人一人だとポンコツだが、
チームとして集まったときに、巨大な力になる」
というのはリアルでよく使われるパターンだ。
Aの能力だけでは足りなくて、BやCなども必要である、
という風にすると、
チームとして組む意味があるからね。

逆に、
敵の側から見るのもやっておくべきだ。
「最強の組織力や権力を持ちながら、
なぜ、いま、こいつらに敗北したのか」
というのは考察に値する。

もしストーリーがご都合なら、この敗因が存在しなくて、
ただ主人公たちを勝たせたいから勝たせた、
みたいなことになってしまう。
敗北は必然であった、という風に、
敵側にも理由をつくっておくと、
勝負に説得力があるだろう。

で、もちろん主人公側が勝つことになるから、
強大な力がこの時はすでに減退していた、などのようにするパターンがよくある。
そもそも強力な組織であったが、
仲たがいによって決裂しているとか、
組織への忠誠や統制がよくなくて、分裂するとか、
長いこと権力を持ってきたので腐敗しているとか、
それなりに「今敗北する理由」をもっともらしく作っておくと、
敗北にも意味があるように思えてくる。

なぜなら、アンチテーゼの敗因の逆が、
テーマになるからだ。
その敗因さえなければ勝てたのなら、
それをやればよかった、というのがテーマになるだろう。
たとえば「腐敗していたから」というのが敗因になるならば、
「腐敗しなければ勝てる」ということになる。
これは、「新鮮さを保ち、大きな権力を与えすぎないこと」
という教訓になる。
それがテーマになる可能性は高い。
主人公側でそれを直接描いていなかったとしても、
間接的にテーマを表現したことになるわけだね。


こうして、
敵サイドの敗因をつくっておくと、
単なる勝利の物語ではなくて、
勝利と敗北が同時に起こる話になる。
そのときに、
敗北側に逆のテーマ、
勝利側にテーマをつくっておくと、
それらが表裏一体になって、テーマを語ることができるはずだ。

そもそも、少数が多数を覆すというのがファンタジーだ。
そのファンタジーを嘘に見せないために、
もっともらしい理由をつくるしかない。
人は、理由さえあれば、楽しんでくれる。
もっともらしい理由で、
少数の個人チームが、大組織を倒す話をつくるべきである。
なぜなら、それはおもしろいからだ。

よくあるパターンだけじゃなくて、
新しい理由で倒せるならば、
それはおもしろい話になる可能性がある。
posted by おおおかとしひこ at 07:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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