これはとても盛り上がる。
現実にはあり得なくても、フィクションに特有のパターンだ。
ということは、
普段、数の暴力や権力で、いかにものごとの結着がついているか、
ということだよね。
強い組織、大きな組織によって、少数派が潰されている、
という現状があるからこそ、
少数の個人チームが協力して、巨大な敵を倒すのは、
ロマンがあるわけだ。
ロマンとは不可能という意味でもあるかもしれないね。
さて。
じゃあ、なぜその個人たちのチームは巨大な敵を倒せるのか?
ここを考えなければならない。
「巨大な力がある」だけだと不自然だ。
それなら今闘わなくても、もっと前に戦えばよかったのに。
このツッコミを防ぐために、
「新しい巨大な力が今目覚めた」というパターンを取ることがあるね。
あるいは、「一人一人だとポンコツだが、
チームとして集まったときに、巨大な力になる」
というのはリアルでよく使われるパターンだ。
Aの能力だけでは足りなくて、BやCなども必要である、
という風にすると、
チームとして組む意味があるからね。
逆に、
敵の側から見るのもやっておくべきだ。
「最強の組織力や権力を持ちながら、
なぜ、いま、こいつらに敗北したのか」
というのは考察に値する。
もしストーリーがご都合なら、この敗因が存在しなくて、
ただ主人公たちを勝たせたいから勝たせた、
みたいなことになってしまう。
敗北は必然であった、という風に、
敵側にも理由をつくっておくと、
勝負に説得力があるだろう。
で、もちろん主人公側が勝つことになるから、
強大な力がこの時はすでに減退していた、などのようにするパターンがよくある。
そもそも強力な組織であったが、
仲たがいによって決裂しているとか、
組織への忠誠や統制がよくなくて、分裂するとか、
長いこと権力を持ってきたので腐敗しているとか、
それなりに「今敗北する理由」をもっともらしく作っておくと、
敗北にも意味があるように思えてくる。
なぜなら、アンチテーゼの敗因の逆が、
テーマになるからだ。
その敗因さえなければ勝てたのなら、
それをやればよかった、というのがテーマになるだろう。
たとえば「腐敗していたから」というのが敗因になるならば、
「腐敗しなければ勝てる」ということになる。
これは、「新鮮さを保ち、大きな権力を与えすぎないこと」
という教訓になる。
それがテーマになる可能性は高い。
主人公側でそれを直接描いていなかったとしても、
間接的にテーマを表現したことになるわけだね。
こうして、
敵サイドの敗因をつくっておくと、
単なる勝利の物語ではなくて、
勝利と敗北が同時に起こる話になる。
そのときに、
敗北側に逆のテーマ、
勝利側にテーマをつくっておくと、
それらが表裏一体になって、テーマを語ることができるはずだ。
そもそも、少数が多数を覆すというのがファンタジーだ。
そのファンタジーを嘘に見せないために、
もっともらしい理由をつくるしかない。
人は、理由さえあれば、楽しんでくれる。
もっともらしい理由で、
少数の個人チームが、大組織を倒す話をつくるべきである。
なぜなら、それはおもしろいからだ。
よくあるパターンだけじゃなくて、
新しい理由で倒せるならば、
それはおもしろい話になる可能性がある。
2025年08月03日
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