911で企画が頓挫したのち、
コッポラが私財170億を投じてつくった映画。
噂だけ聞いて公式予告を以前見てたのだが、
全然惹かれなかったのよ。
https://m.youtube.com/watch?v=pq6mvHZU0fc
なんでや。
「全部見たことのある絵」だったからだと思う。
正確にいうと、
既視感のある絵、とでもいおうか。
デジタルが映画に持ち込まれて以来、
映像は加速度的に進化したと思う。
かつては巨額の予算を注ぎ込まないとできなかった、
センスオブワンダーな絵が、
合成やらCGやらで出来るようになった。
そこで起こるのは、
掘り尽くしだと思う。
未来のイメージも過去の遺産も、
全部リミックスして、
「組み合わせる音符がなくなった」音楽のように、
なってるのが今の絵なんじゃないか?
つくるのは大変なカットばかりだろう。
でも「うわー!」って思わないのよね。
「収まってる」って思ってしまう。
コッポラで言えば、
「地獄の黙示録」の、
泥沼の中に顔半分だけ出してるとか、
ナパームでジャングルを焼いてるとか、
そんな絵の方が「うわーっ!」って思った。
それはたぶん、
「これやるの大変だろ」って分かるからだ。
泥沼の中に入るのは嫌だし、
ナパームの火薬量は事故れば大変な危険だ。
ところがメガロポリスの絵は、
なにひとつ大変そうに見えない。
ビルの屋上から下を覗き込んでも、
どうせ合成だろうし、
俳優が足を滑らせそうな丸い屋根のビルにいて、
カメラが撮ってるとは思わない。
メインビジュアルの鏡が割れるやつ?も、
別に、どこかで見たよ。
スーパーマンや死鏡剣やMVで、
散々擦られた映像だ。
それらの中ではもっともよくできてるのかかもしれないが、
我々はすでに「鏡が割れるやつ」は見たことがある。
むしろ冒頭の、
レッドとブルーグリーンで半々に当てられた主人公の顔だけが、
オリジナルかもしれない。
でもローレンスフィッシュバーン(モーフィアス)が出てる時点で、
赤と青の薬を嫌でも思い出すので、
その時点で新鮮さは減る。
そもそもこの二色ライティングは、
ニキータにあったよなーとか冷静になっちゃう。
メガロポリスという概念は、
60年代から消費されまくった概念だろう。
その中で出色は未来世紀ブラジルの都市や、
その影響下にある未来警察ウラシマンのネオトキオだ。
(その元イメージの沢田研二のトキオも含む)
アニメで言えば手塚のメトロポリスや、
AKIRAの崩壊した東京、メガゾーン23の東京、
攻殻の香港的なイメージがあろう。
これらのすべての「都市」を越えなければ、
メガロポリスと題することはできない。
ああ、ダークシティもあったね。
これはマトリックスに連なり、インセプションで結実する。
ところがそんな「イコンになる新しい都市の絵」
がなかったので、
この映画はそれまでだと思ってしまう。
ラジー賞を取りまくっている。
地獄の黙示録やゴッドファーザーというマスターピースを作った男が、
170億をかけてまでやってることが、
既視感の集大成とはなんたる晩節汚し。
黒澤の晩年のほうが、まだ意欲的だった。
それは、アナログしかできないからこその、
必死感が伝わってきたからだ。
メガロポリスは何も新しくない。
新しくないものに170億を投じる意味がわからない。
泥沼の中の兵士や、ベッドに置かれた馬の生首のほうが、
全然新しい。
これが、デジタルのせいなのか、
老いたせいなのかは、
中身を見るまで判断がつきづらい。
ちなみに僕が一番好きなコッポラ映画のカットは、
ゴッドファーザーのあれ。
ネタバレ含むのでしばらく改行します。
トイレに窓がなかった、あの絶望カット。
ほんとに肝が潰れたよ。
予告じゃネタバレできないから、
あれに匹敵する忘れられないカットが、
あるんだろうな?
2025年04月15日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック