2025年04月18日

【薙刀式】人は財産を手放したがらない

確実によりよい財産を得られる保証がない限り、
人は自分の持ってる財産を手放したくないものである。
無一文になる恐怖はいやだろう。

これが、配列変更の時にもいえると思う。


Twitterから。
> 薙刀式の運指効率見てると移住したくなってくるなぁ…… でも “が” とか “で” にもシフト要るのはちょっと……

この人が使っている、清濁別置の新下駄配列は、
「が」「で」が単打にあり、
それ前提の運指構造が組まれている。

濁音の中でも特に出る音は、
マイナーな清音よりも日本語の主役であるから、
単打で清音と別位置であってもよい、
と考えるわけだ。

一旦この効率の財産を持ってしまったら、
清濁別置の良さを知ってるので、
それを手放してまで、
清濁同置の効率に戻ることを、
嫌がってしまう。


実際には、
薙刀式の「か」「て」はいい場所にあり(FとE)、
これとJを同時押しするという、
同時押しの中ではかなりの優遇なのだけれど、
それでも単打の財産を手放したくない、
という心理が先に来る、
ということがこの例からわかる。

「が」「で」のピンポイントだけではそりゃ新下駄に負けるけど、
その他トータルでの打ちやすさ、楽さは、
新下駄を凌駕してるところはあると思う。
その全体ではなく、
財産を失うことが怖いと思えるのだろう。




なぜ劣悪なqwertyローマ字から、
人は配列を変えようとしないのか?

「すでにそこそこ打てるから」だ。
「そこそこ打てる財産を手放して、
ヨチヨチ歩きの赤ちゃんに戻ること」が、
怖いのである。

実際には効率的な配列をマスターすることで、
そこそこだったqwertyよりも遥かに速くなり、
効率的になることは、
ほぼすべての新配列習得者が証言できる。

なのに、
財産を手放したくないがゆえに、
そのままqwertyと心中するのだ。

戦争の疎開の時に桐箪笥を背負って、
崖を渡ろうとして落ちて死ぬ人みたいだ。
桐箪笥を谷底に捨てて疎開先にいけば、
命が助かるどころかもっといい人生が待っていたかもしれないのに。

でも、その先の見えない可能性よりも、
人は目の前の財産に囚われるのだろう。


「小を捨てて大を取る」とか、
「急がば回れ」とかの格言は、
これを戒めているのだが、
その財産は小であり薙刀式は大なのだ、
を示さない限り、
人は信用してくれないのであろう。

どうすりゃいいんだ。動画を撮り続ければいいのかなー。


(ぶっちゃけ新下駄が使えるなら新下駄でもいいのでは、
と思うけどね)
posted by おおおかとしひこ at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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