2025年04月20日

設定を過剰にしても物語は生まれない

「俺のクラス」と称してTwitterで出回ってたもの。
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もうお腹いっぱいになって、
ストーリーにはならないだろう。


友の浮気相手の彼氏の彼女あたりのラインと、
もうひとつのラインぐらいで、
お話としては十分なくらい。

もちろん、
これはストーリーをつくるための設定書ではない。

だけど、
こんなことをやってないか?
という反例としてとりあげてみた。

設定を盛ったろ、
そしたらキャラが勝手に動き出すやろ、
と思ってる人がいるかもしれない。
でもたぶんこれじゃストーリーは書けない。
リプで、アニメなら4クール持つとか言ってる人がいるが、
設定の紹介や消化がストーリーではないことくらい、
一度でもストーリーをオチまで書いた人ならわかるだろう。


じゃあなんかこれをネタに書いてみようか、
と思っても何かが足りなくて書けないだろうね。
じゃあ設定をまた足さないと、
ってなってしまうだろう。

それは間違い。

ここから引くんだね。
友達の浮気関係のラインと、
たとえば委員長だけ残して、
あと全部空白にするとよい。

そうすると、
「限られたその人達だけのストーリーが始まる」
はずだ。

つまりストーリーに必要なのは設定を埋めることではなく、
空きを作って、
想像の余地を作ることなのだ。

ぎちぎちに設定が盛られたものからは、
ひとつも物語は生まれない。
設定書がガチガチに書かれてるものからは、
脚本家が使える2〜3だけピックアップして、
のこりは本編では使われない。
そういう感じ。


つまりこういう設定の仕方をしてる人は、
一生ストーリーが書けないよ。
たとえば5人だけ残してあとは空白にせよ。
posted by おおおかとしひこ at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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