「第三の男」は2回みたはずなんだけど、
全然記憶に残ってない。
どんな話だっけ?
ラストシーンの、並木道で女と別れる
(なんでか覚えてない)のと、
遊園地の観覧車と、
恵比寿ちょっと贅沢なビールの音楽と。
この三つしか記憶にない。
つまり、因果関係は全然記憶に残らない、
という話をしよう。
「第三の男」は、
白黒時代の名作とされる。
ふーん、名作なのかーと思って見たのだけど、
なんも覚えてないんよな。
学生当時に見て、
「白黒映画大したことねえな」なんて、
舐めた目で白黒映画への偏見ができたくらい、
大して面白くなかった記憶がある。
ビリーワイルダーの、
「サンセット大通り」「アパートの鍵貸します」
「お熱いのがお好き」あたりを見るまで、
白黒つまらんと思ってた。
「第三の男」って、
映画史上どういう文脈にあるのか、
解説してくれる人がいなかったから、
わからなかったのかもしれない。
「アパートの鍵貸します」なんて一回しか見てないのに、
忘れられたコンパクトのシーンとか、
パスタをテニスラケットで掬おうとしたシーンとか、
めちゃくちゃ覚えてるのにな。
何が言いたいかというと、
人はシャシンしか記憶に残らないということだ。
「第三の男」で、
その男女がなぜ別れなければならないか、
その男女の素性はなにか
(別の映画と混同してたらアレだけど、
スパイとかじゃなかったっけ)、
を「絵の記憶」で持ってたら、
ラストシーンとともに記憶に残り、
「良い映画だったなあ」と思えたのかもしれない。
今あらすじを調べてみたのだが、
なんの記憶もないや。
「親友の死に関わった三人の男を探す」ことも、
「第三の男ハリー」も覚えてないや。
これがタイトルと関係するのか。
第三の男は俺だったみたいなオチでもなさそうだな。
で、観覧車のシーンも文脈があることがわかったが、
なんで観覧車なんだっけ。
誰にも聞かれないためなんだっけ。
こんな風に、
なぜ、どこで、なんのために、なにをしている、
なんてのは人の記憶から消えてゆくのだ。
たぶん今「第三の男」を見たら、
「そういう話だったのかー」と初見みたいに鑑賞するだろうな。
たぶん、
人間関係やキャラクターや動機などの、
強い絵(イコン)がなく、
途中の強い絵だけが記憶に残ってしまったのだろう。
それはやはり、
絵の設計がなってなかった映画なのではないか。
今突然思い出したので、
また見るかもしれない。
だけど、こういう残り方はよくないぞ、
という話である。
一方、繰り返し見たガンダムでいうと、
アムロがガンダムに乗り込んでザクを一人で倒したファーストバトルと、
コアファイターで脱出して、
みんなに迎え入れられて「僕には帰るところがあるんだ」
という二つのシーンは覚えている。
つまり、問題と結末
(無茶な子供が、最終的に皆に迎えられ仲間の一員になる)が、
絵としてイコンになってるんだよね。
こんな風になりたいものだ。
第三の男というタイトルとラストシーンが結びつかないのも、
イコン化できてない要因よね。
誰かなぜ映画史でかの作品が重要なのか、
解説してるページがあったらおしえてください。
たとえば、ネタバレありでの記事、
https://cinemore.jp/jp/erudition/3785/article_3786_p2.html
を読んでも、「そう?」って感じ。
ハリーの登場シーンはなんとなく思い出したけど、
で?って感じだなー。
以下の記事ではホモ的関係性について。
https://note.com/nenkandokusyojin/n/n01dd0f0fd991
匂わせレベルではある。
オーソンウェルズの芝居は妙にネチっこかったので、
暗喩としてはありそうだ。
いや、だとしても名作たり得るストーリーじゃないでしょ。
淀川長治の解説を読んでも別にって感じだなー。
https://ivc-tokyo.co.jp/yodogawa/yodo18038/
ラスト、1カット長回しだからすごいのかね?
そういう手法がなく、
初めてだったから良かった、という解説もないしなー。
音楽のチグハグさが妙に記憶に残るから、
「そこに何かあるに違いない」と思う心理かしら。
たとえば僕はこの映画よりも先に、
「ブレードランナー」を見ていた。
よくよく考えると大体上位互換?
2025年04月21日
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