キー配列を変える人って、
傍目から見たら偏屈おやじに見えると思う。
それを自覚してない人も多いと思う。
とかく日本人は、
「みんながするようにしなさい」
という文化を持っている。
これで村社会が保たれ、
性善説の社会が形成されてきた。
(表向きは、だけど)
なので、
「スタンダードに従わない人」に、
社会は眉をひそめる。
ロックやヘビメタ、
かつてのマンガアニメは、
そうした偏見の目を浴びてきた。
これはまあ、数の多さで「定着」したのだ。
眉をひそめる人はいても、
「まあそういう人たちもいるから」
という緩い分断と住み分けみたいなことになっている。
LGBTQは外圧で「定着」した。
もともと緩いつながりであったものが、
なんだか黒船でSDGsとともにグローバル強制された。
お、おうという感じだろう。
結局、世間が眉をひそめるかひそめないかは、
数によると思う。
不倫は眉をひそめられるが、
キーボード配列を変える人は、
もっと眉をひそめられる、
というだけの話である。
というわけで、「そういう人もいる」
という告知や認知が急務なのではないかと思う。
ゲイたちがカミングアウトして世間に認知されたようなことを、
すればいいのかもしれない。
僕らはついqwertyを攻撃するが、
ゲイは世間を非難はしなかった。
そういう姿勢は大事なのかも知れない。
攻撃してくる人には眉をひそめるのが、
世間というものだ。
ロックだって攻撃的に見えたから、
「社会を破壊する」ように思われたのだ。
(そして残念ながら、歌詞内容のように、
ロックは社会を破壊しなかったが)
つまり我々は偏屈おじさんである。
世間から見たら滅多にいない、
「みんながしたがうことに、従わない」おじさんである。
そして、「なぜ従わないんですか?」
という質問に喧嘩腰でみんなを否定してくる、
厄介おじさんである。
せめて、
「まあ複雑な事情でそうなっちゃったんだよ。
あ、今時間ある?あるなら最初から説明するけど、
ないなら、まあこういう人もいるんだって思ってね。
一言で言えば効率化のため。
qwertyの3倍くらい効率がよいのでね」
と、
物腰の低いおじさんになるしかあるまい。
「そんなに?」と聞いてきた人だけに説明すれば良い。
なんで従わないのか、
それはqwertyが愚かなのではなく、
私が3倍効率が良いからだ、
と、私を主語にしておけば、
偏屈だが理解不能ではないだろう。
理解不能なものを人は恐れる。
なので、理解されれば生存権は認められる。
ゲイの人たちが、何回説明しただろう。
私たちは生まれつきなのでそれを変えることができないとか、
何かトラウマがあってそうなったのではないとか、
女を知らないからそうなったのではないとか。
「なんで?ふつうじゃだめなの?」
に、何回も誠実に説明したから、
「ふーん、そんなものか」
と認知されていったのだろう。
「別にあなたたちに迷惑をかけてないので、
生存権を認めてくれ」でしかなかったのも、
主張としてはマイルドであったね。
「全員ゲイになれ」が彼らの主張ではないわけで。
これに倣えば、
「新配列はqwertyスタンダードの世界を塗り替え、
新しい標準配列にしようとしている」
という誤解を与えてはならないと思う。
既得権益は犯さないよ、
ということを言うべきだ。
新配列への典型的な反応に、
「でも流行らないよね?」
「最初からこれに統一されてればよかったのに、
そんな世界線来ないしなー」
「でもqwertyで十分なので」
などがある。
これは皆「新配列が世界を支配しようとしている、
新しいスタンダードになりたがっている」
という誤解や怯えから来た防御反応だと思う。
相手を下げることで、
自分の恒常性維持をしたいのだ。
ゲイへの反発もそうだった。
「ゲイは間違ってるから矯正してあげなければ」
とすら思われていた。
「ゲイに男湯に入られたら襲われるではないか」
という不安もあった。
それは、「ゲイが襲ってくる」
という支配されてしまう恐怖から成立してたと思う。
別に薙刀式100%の世界にしようとはしてないよ。
作家の20〜30%くらいが使えば理想かな。
ふつうの人はqwertyでもいいんじゃない。
どうせ7割は見ながら打ってるし。
ただ、ブラインドタッチやるなら、
qwertyより新配列を勧めるだけで。
その方が最終的に手を壊さずに済むし、
無駄がないからだ。
「最初にそれを言ってくれたらよかったのに」
と非難されてもしょうがない。
今からでもqwertyから何かに変えた方がいいね。
というわけで、
僕らはたまにいる、
「健康食品をたまに勧めてくるおじさん」
「変な発明品を使ってる変なおじさん」
みたいに、穏やかに世間に溶け込みたいものだ。
説明が欲しければしてあげるが、
特に求めてこなければニコニコ笑ってるだけでよい。
いや、俺の○○配列を日本人1億2000万人が使うべきだ、
と思う人は勝手にやって。
たとえば政治系の偏屈おやじとか、
なんかずっと怒ってるんだよな。
そんな人には近づきたくないと思うだろう。
どうせ世間は正しいか正しくないかを判定する力はない。
それほどには難しい、
一言で説明できないことを配列ではやっている。
だから、
近づかれないより、近づかれた方が得だよなって話だ。
これはなんですか?
と興味を持ってきて、
説明長いけど聞く?
ってときだけ、滔々と説明すればいいさ。
その説明があってもなくても、
好かれる変なおじさんになることが大事かな。
僕はqwertyローマ字に復讐したいけど、
人に復讐したいわけではない。
そのシステムが嫌いなのだから、
別のシステムで生きることを許してくれ。
そしてその嫌いなシステムを使ってる人は、
別に嫌いじゃないよ。
機会損失してもったいないなとは思うけど、
聞いてくるまではこちらから教えることもなく、
機嫌の良いおじさんでいたい。
2025年04月24日
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