2025年04月24日

【薙刀式】偏屈おやじ

キー配列を変える人って、
傍目から見たら偏屈おやじに見えると思う。
それを自覚してない人も多いと思う。


とかく日本人は、
「みんながするようにしなさい」
という文化を持っている。
これで村社会が保たれ、
性善説の社会が形成されてきた。
(表向きは、だけど)

なので、
「スタンダードに従わない人」に、
社会は眉をひそめる。

ロックやヘビメタ、
かつてのマンガアニメは、
そうした偏見の目を浴びてきた。
これはまあ、数の多さで「定着」したのだ。
眉をひそめる人はいても、
「まあそういう人たちもいるから」
という緩い分断と住み分けみたいなことになっている。

LGBTQは外圧で「定着」した。
もともと緩いつながりであったものが、
なんだか黒船でSDGsとともにグローバル強制された。
お、おうという感じだろう。


結局、世間が眉をひそめるかひそめないかは、
数によると思う。
不倫は眉をひそめられるが、
キーボード配列を変える人は、
もっと眉をひそめられる、
というだけの話である。


というわけで、「そういう人もいる」
という告知や認知が急務なのではないかと思う。
ゲイたちがカミングアウトして世間に認知されたようなことを、
すればいいのかもしれない。

僕らはついqwertyを攻撃するが、
ゲイは世間を非難はしなかった。
そういう姿勢は大事なのかも知れない。

攻撃してくる人には眉をひそめるのが、
世間というものだ。
ロックだって攻撃的に見えたから、
「社会を破壊する」ように思われたのだ。
(そして残念ながら、歌詞内容のように、
ロックは社会を破壊しなかったが)


つまり我々は偏屈おじさんである。
世間から見たら滅多にいない、
「みんながしたがうことに、従わない」おじさんである。

そして、「なぜ従わないんですか?」
という質問に喧嘩腰でみんなを否定してくる、
厄介おじさんである。

せめて、
「まあ複雑な事情でそうなっちゃったんだよ。
あ、今時間ある?あるなら最初から説明するけど、
ないなら、まあこういう人もいるんだって思ってね。
一言で言えば効率化のため。
qwertyの3倍くらい効率がよいのでね」
と、
物腰の低いおじさんになるしかあるまい。
「そんなに?」と聞いてきた人だけに説明すれば良い。

なんで従わないのか、
それはqwertyが愚かなのではなく、
私が3倍効率が良いからだ、
と、私を主語にしておけば、
偏屈だが理解不能ではないだろう。

理解不能なものを人は恐れる。
なので、理解されれば生存権は認められる。


ゲイの人たちが、何回説明しただろう。
私たちは生まれつきなのでそれを変えることができないとか、
何かトラウマがあってそうなったのではないとか、
女を知らないからそうなったのではないとか。

「なんで?ふつうじゃだめなの?」
に、何回も誠実に説明したから、
「ふーん、そんなものか」
と認知されていったのだろう。

「別にあなたたちに迷惑をかけてないので、
生存権を認めてくれ」でしかなかったのも、
主張としてはマイルドであったね。
「全員ゲイになれ」が彼らの主張ではないわけで。

これに倣えば、
「新配列はqwertyスタンダードの世界を塗り替え、
新しい標準配列にしようとしている」
という誤解を与えてはならないと思う。

既得権益は犯さないよ、
ということを言うべきだ。


新配列への典型的な反応に、
「でも流行らないよね?」
「最初からこれに統一されてればよかったのに、
そんな世界線来ないしなー」
「でもqwertyで十分なので」
などがある。

これは皆「新配列が世界を支配しようとしている、
新しいスタンダードになりたがっている」
という誤解や怯えから来た防御反応だと思う。
相手を下げることで、
自分の恒常性維持をしたいのだ。

ゲイへの反発もそうだった。
「ゲイは間違ってるから矯正してあげなければ」
とすら思われていた。
「ゲイに男湯に入られたら襲われるではないか」
という不安もあった。
それは、「ゲイが襲ってくる」
という支配されてしまう恐怖から成立してたと思う。

別に薙刀式100%の世界にしようとはしてないよ。
作家の20〜30%くらいが使えば理想かな。
ふつうの人はqwertyでもいいんじゃない。
どうせ7割は見ながら打ってるし。

ただ、ブラインドタッチやるなら、
qwertyより新配列を勧めるだけで。
その方が最終的に手を壊さずに済むし、
無駄がないからだ。
「最初にそれを言ってくれたらよかったのに」
と非難されてもしょうがない。
今からでもqwertyから何かに変えた方がいいね。


というわけで、
僕らはたまにいる、
「健康食品をたまに勧めてくるおじさん」
「変な発明品を使ってる変なおじさん」
みたいに、穏やかに世間に溶け込みたいものだ。
説明が欲しければしてあげるが、
特に求めてこなければニコニコ笑ってるだけでよい。

いや、俺の○○配列を日本人1億2000万人が使うべきだ、
と思う人は勝手にやって。



たとえば政治系の偏屈おやじとか、
なんかずっと怒ってるんだよな。
そんな人には近づきたくないと思うだろう。

どうせ世間は正しいか正しくないかを判定する力はない。
それほどには難しい、
一言で説明できないことを配列ではやっている。
だから、
近づかれないより、近づかれた方が得だよなって話だ。

これはなんですか?
と興味を持ってきて、
説明長いけど聞く?
ってときだけ、滔々と説明すればいいさ。
その説明があってもなくても、
好かれる変なおじさんになることが大事かな。


僕はqwertyローマ字に復讐したいけど、
人に復讐したいわけではない。
そのシステムが嫌いなのだから、
別のシステムで生きることを許してくれ。

そしてその嫌いなシステムを使ってる人は、
別に嫌いじゃないよ。
機会損失してもったいないなとは思うけど、
聞いてくるまではこちらから教えることもなく、
機嫌の良いおじさんでいたい。
posted by おおおかとしひこ at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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