競技は限定された文字数を打つもので、
だから秒間20打(1200kpm)が出る。
だがその猛烈速度で一時間走るわけではない。
その猛烈速度で書ける文字の到達距離はどれくらいか?
多分2〜30字だと推定する。
つまり、国語のテストで、
「〜の理由を30字で述べよ」
くらいの分量なら競技速度で書けるが、
それ以上長いと、
短距離用の打鍵法では書けない、
(休み休みになる)
と僕は見る。
30字も人によって異なり、
1ツイート140字くらいまで書ける人もいるかも知れない。
だけどそれは原稿用紙1枚、400字には届かない。
実戦の原稿では改行などによって隙間が多く、
ペラ一枚(原稿用紙相当1枚)で300字くらい字がある、
とされる。
タイプウェルは200カナ。1.2(漢字含有率)で割って166字だから、
原稿用紙ペラ一枚の半分程度の競技ということになる。
1/10ペラ〜半ペラぐらいが、
短距離競技速度の維持限界説を出しておこう。
このブログ記事はペラ5くらい(2000字)、
雑誌のエッセイはペラ5とか15(2000〜6000字)、
論文、ロングインタビューがペラ25くらい(1万字)、
ドラマ脚本はペラ45(1.8万字)×10本、
映画脚本はペラ110(4.4万字)、
文庫本一冊はペラ250くらい(10万字)。
別にマウント取りたいわけではなく、
競技速度をこの長さでキープできない以上、
どこでどう休みながら打つか?
という戦略が大事になってくる。
一文ごとに休むわけにはいかない。
文は連続しているため、
キリのいいところまで書いて、
手を止めて考える。(その時に休む)
このひとシークエンスは、
競技よりも長かろう。
当然、競技では「内容を考え、わかりやすく組み立てる」はない。
そこに脳のリソースを使わず、
認識と手の制御だけにリソースを使えている。
だから秒間20打の制御ができるのだろう。
僕は肉体的にはそこまでいかないが、
KIHの生経験から、
タイパーといえど秒20打で考えながら文章を書けてないことは、
あきらかだ。
たとえばRTCのような、
事前にワードが全部公開されているものでは、
その有限個ワードに特化した練習をする。
ワードがシークエンス化されたら、
あとは反射ゲー、自分の中のシークエンスを呼び出すゲーになる。
競技と実戦、どちらが偉いという話をしてるのではなく、
両者の乖離が激しい、
という検証をしている。
競技で強い配列は、
順次打鍵方式であろう。
反射ゲーでシークエンス化したときに、
誤打の心配が、順番と場所しかなく、
同時打鍵や押しながらの打鍵のような、
別の要素を含まないからだ。
また、同時打鍵は秒20打の精度では難しい。
秒15も困難であろう。
ローマ字の打鍵効率1.7、カナの打鍵効率1.2として、
ローマ字の秒間20打はカナの秒14打に相当する。
カナが1.3なら秒15打必要。
トップタイパーに同時打鍵配列がいない理由が、
このへんだろう。
同時打鍵は秒10あたりから困難になる。
ただこれは、あくまでペラ一枚程度の、
コピー打鍵短距離走だ。
たとえば2000字程度の創作文を書く時に、
1500字(変換後)/10分で薙刀式で書くと、
平均秒3カナ=秒3.9打であることがわかっている。
1500は相当速いほうだが、
仮にもっと早く書けたとしても、
秒5打あれば十分ということになる。
競技に比べて、
創作文は、内容や構成や表現や、
漢字変換などに脳のリソースを割り振るわけだ。
RTC2025を見て、
競技はすげえなあ、と感心するしかないのだが、
あそこは僕の戦っている戦場ではない、
と毎年思うことになる。
秒5打で、いかにおもしろいことを長く書くか、
という戦いを僕はやっていて、
秒20打で正確に速く短時間撃ち抜く、
ということではないのだなと。
となると、「実戦」用に必要なスペックは、
秒5打で高速性があり、
楽で(この速度なら同時打鍵も連続シフトも楽)、
疲れないものがよい、
ということになる。
薙刀式がここに特化していることは間違いない。
一度タイパーの皆さんと、
1万字エッセイ対決でもしてみたいものだ。
「面白い方が勝ち」というルールでね。
もちろん、
qwertyのエッセイストとも勝負してみたい。
僕はプロのエッセイストではないが、
薙刀式で速く楽に書けることは示せると思う。
薙刀式は、
「面白い方が勝ち」という実戦のルールの中で、
「面白さを逃さないだけの速度を保ち、
面白さが持続するだけの時間疲労せず、
明日も疲労を残さず、
第一稿を書き終えた後、推敲に便利なもの」
に、
特化している配列だ。
僕がqwertyローマ字クソゴミというのは、
この目的に対して劣悪な道具だからだ。
競技ではqwertyローマ字は強い。
現行の競技ではね。
おそらくほとんどの新配列は、
このルールの中で戦っていて、
現行競技ルールで勝つことを視野に入れていない。
(せいぜいいろは坂だ)
なので、競技用新配列というジャンルがあってもいいと、
僕は思ってるんだけどあんまりやってないよね。
それはやはり単に設計者が秒20も打てないからだろう。
トップタイパーが新配列をつくったら、
もっと良いものができそうだけど。
まあ秒10打打てる人がトップタイパー並みに打てる新配列、
でもいいんだけど。
僕らは秒5打の世界で輝く。
競技者は秒20打の世界で輝く。
それぞれで良いと思う。
新配列と競技が交わりにくいのは、
この住む世界が違いすぎることからだろう。
タイパーに構成力や伏線と回収の話をしても無駄だし、
創作文で30字だけ書くことはほとんどない。
俳句とか短歌?
架け橋をかけるとしたら、
競技用新配列かなー。
いや、たぶんタイパーたちはこれらのことも分かってる。
問題はにわかかなー。
パッと見、競技タイピング=実戦文と混同するよな。
そこを常に論破するには、
「秒20打の文章を考えない反射ゲーム
vs文章を考えながら秒5打」
というトレードオフがわかりやすいのかもしれない。
前者にはqwertyローマ字が強くて、
後者にはqwertyローマ字はクソだということだね。
2025年04月28日
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これも50文字程度の創作文ですね
タイピングはオンラインゲームのテキストチャットで覚えた、という人もよく見ますし、意外と現代っ子は数十文字程度の創作文を打つ機会は多いんじゃないですか
逆にその文字数限界が、日本人の知性の上限に蓋をしてる、
と言えるとも思います。
2chからはじまるSNSでのレスバは、
ほとんど知性の体をなしてないですからねー。
もし薙刀式を使うならば、2000字でレスバ出来るんじゃないでしょうか。
あ、飛鳥のRayさんがやってたか。
まあ知性のない人たちは50文字で鳴いてればいいんですが、
頭のいい人までその檻に閉じ込められる枷を背負うべきではないよね、
というのが僕の立場ですかね。
会話は相手のリアクションを想定した短い思考だと思います。
一人の思考ではなく、二人の思考のセッションというか。
相手が確実にいれば成立しますが、
SNSでは不特定多数なので、
相手のいない会話文が垂れ流されていると思います。
一方文章とは、具体的な相手がいないときに書くものです。
ネットの発達によって境目がわかりにくくなりましたが、
文章は文脈を作るところからはじめるものです。
まあ、長い文章による往復書簡スタイルもありますがね。
最初に戻ると、秒20打では、
これらを使い分けられるかなあ、
という疑問が僕にはあるわけです。
20打/秒で「文章」を書けないよね、も、その通りだと思います
最初のコメントは、
>創作文で30字だけ書くことはほとんどない
に対して、大岡さんの言葉を借りていうなら、
タイピングは必ずしも「文章」を書くためだけに行われるではなく、今の時代「相手のいない会話文」を書くためにも使われることも多く、そのとき数十文字のことはザラですよ
ということを言いたかったのですが、
そもそも
>創作文で30字だけ書くことはほとんどない
ここでいう「創作文」が「文章」に限定されていたということで理解しました
>あすさん
まあ文章書く時は会話するときより腰の据え方が違いますからねえ。
会話は相手に甘えることができるので。
teamsやlineでのチャットのほうが、
メールよりも明確に相手に甘えた
(文脈を省略している)文になりがちだと思います。
つまり創作文いうても、
会話文レベルと文章レベルがあって、
会話文はぶっちゃけなんでもよくて、
文章レベル(腰据えて10分以上書くレベル)と、
分けて考えるべきというのが主旨ですかね
そう考えると、競技者は学生が多いですし、パソコンで「文章レベル」の文章を書いた経験が一度もない人も多そうですよね
趣味で小説書いてます、ブログやってます、みたいな人は別として、
小学校〜高校くらいの学校の課題とかだと手書きが主だと思うので、
パソコンで文章を書く必要に迫られるのって大学生のレポートとかくらいからな気がしますね
というか、大人でも職業によっては「文章レベル」の文章をそうそう書かないんじゃないですか
>というか、大人でも職業によっては「文章レベル」の文章をそうそう書かないんじゃないですか
メール以上に書くことはあまりないと予想しています。
まとまった文章書いたのが卒論で最後なんて人もゴロゴロいるかと。
そういう人はqwertyだろうがフリックだろうがなんでもいいんじゃないでしょうか。
僕が危惧しているのは、いざちゃんと文章を書こうと思った人が、
ろくな道具が用意されてないところですね。
そしてまともに文章を書かない人がIMEやエディタやキーボードをつくってたり、デジタルの仕様を決めてるところにあります。
「私はこれで十分なので」を仕様の基準にしたら、
そこがボトルネックになることに気づいてないと。