tkenさん:
> Qwertyローマ字入力ってあんなに打鍵数が多いのにどう言うわけか他のもっと打鍵数の少ない配列を速度で抑えちゃうんですよね。理屈で説明されても現実を見せられてもあれだけはどうしても直感に反するんですよ。
qwertyタイパーほどqwertyが好き/楽しんでる、
という新配列勢はいないから、では…
qwertyタイパーたちは、
ほぼ異口同音にqwertyが好き、楽しい、
快感、愛してるなどという。
好きこそ物の上手なれで、
だからずっと鍛えられるし、
鍛えなかった人はいなくなったともいえる。
一方打鍵数の少ない新配列使い、
たとえば同時シフトを伴わない順次打鍵の月配列使用者は、
qwertyタイパーほど月配列を好きとは言ってない気がする。
qwertyは欠点がある。
だけど工夫すればそれだけ速くなる。
つまりダメ男だ。
私がなんとかしないとダメなの、
というやつかもしれない。
一方で月配列は優等生なので、
偏愛するには普通すぎて、
地獄の底まで一緒に行くわけではなく、
そこそこの関係、つまり実用できればそれでよし、
という付き合い方になるのではないだろうか。
つまり、qwertyは偏執者を産む、
魔性の配列なのではないか。
本来qwertyが持つスペックを、
タイパーたちがいろんな工夫をすることで、
ブーストしていることはたしかで、
その麻薬が、彼らをしてqwertyを愛させているのではなかろうか。
僕はタイピングが嫌いだからよくわかるのだ。
これだけタイピング関係のことを考え、
実践しているのは、
「嫌いなことをなるべくやりたくない」
という工夫たちなのだ。
ピーマンをなるべく食べないために、
同じ成分を他から吸収する方法を考えてることと、
同じなのだ。
一方タイパーたちはピーマンを骨まで愛して、
しゃぶり尽くして、魔改造(最適化)して、
愛し抜くことをしてる気がする。
つまり愛してるのはqwertyではなく、
「愛してる私」なのでは?
という疑問だ。
qwertyは奥が深く、工夫のしがいがある配列だろう。
浅い付き合いではわからないところがあり、
だから多くの人はqwertyの良さを知る前に、
立ち入らなくなる。
それってズブズブのダメ男恋愛みたいじゃん。
ダメなバンドマンに置き換えればほぼ成立してしまう。
私がもっとqwertyを輝かせてみせる的な。
僕は自分の手書きのほうが自分のqwertyの2倍近く速い。
だからqwertyをやる意味がなく、
強制されるのにすごく腹が立つ。
だからqwertyとは距離を置き、
qwertyを愛する人を外から見ている感じだ。
どこがいいのかさっぱり分からない。
蓼食う虫も好き好きなので否定はしないが、
へんなのとは思う。
いや、それはqwertyを極めてないからですよ、
というなら、それは手書きを極めてないからですよ、
と反論できる。
だからどっちもどっちだ。
qwertyは打鍵数が月配列に比べて多い。
1.7:1.3くらいの差がある。
理屈でいえば月配列が圧勝するはずだ。
にも関わらず月配列タイパーが大挙して誕生しないのは、
月配列に問題があるからか?
超高速打鍵領域では、
我々の知らぬ理論があるのだろうか?
そうじゃなくて、
qwertyタイパーがqwertyを愛するほど、
月配列使いは月配列を偏愛してないのでは?
超高速打鍵を愛してないのでは?
と僕には見えている。
超高速打鍵は、社会においてほとんど何の役にも立たない。
大道芸である。
その大道芸を極めさせるほどの麻薬性が、
qwertyにあるだけの話では。
「誰もが同じ技術で同じだけ現実的に速くなる」
という新配列の考えるユートピアと違って、
「自分なりの技術を工夫して、
極めれば極めるほどそれに応えてくれ、
それは異常なほど速くなる」
という趣味性の高い異常性をもっている、
歪んだ配列だからではなかろうか。
やりすぎたら壊れるというのも、
こういうのによくある魅力だよね。
魔性の配列、悪魔の配列、危険な配列、歪んだ配列。
麻薬的な配列、工夫の余地が無限にある配列、
やればやっただけ答える配列、命をかけるにふさわしい配列。
それがqwertyではなかろうか。
一方新配列は、
誰がやっても実用レベルになれる容易さがあり、
元々の自分の速さまで収束して、
なるべくタイピングの手間を省き、
付き合いのレベルを浅くして、
別のこと(=書く内容)に集中させる。
本気で好きになった危険な男vs安心して家庭を築けるがつまらない男
の構図と同じじゃない?
新配列を使う人は、
高速タイピングと心中するつもりがない人が使ってる。
月配列でタイプウェルに挑んだ人は、
記録を出しただけでその後どうしたかがわからない。
qwertyで競技タイピングをするほど、
月配列を愛してないんじゃない?
実験のために期間限定で付き合ってみたのではなかろうか。
つまりお見合いだ。
競技タイパーが成績を出した場合、
qwertyがすごいからだ、
JISカナがすごいからだ、と配列が褒められることはない。
運指表が、とか最適化が、とか初速が、正確性が、
などの「その人」が褒められる。
だから余計qwertyにのめり込むのでは。
僕は薙刀式が優秀だと思うけど、
僕が打鍵者として優秀とは思わない。
その温度差があると思うなー。
つまり気持ちの差なんじゃないかな。まじめに。
不完全な配列だから「私が」完全にしようというqwerty。
不完全な私だから、完全な配列をつくろうとする新配列。
qwertyタイパーたちが速いのは愛(歪んだ)による努力だ。
新配列勢は、私が悪いんじゃなくて配列が悪いというだけで、
「私が活かせてないんだから私が頑張らなくちゃ」
とは思わない。
その気持ちの違いなんじゃね。
熱量の大きな愛は突出する。
だから競技qwertyは速い、
と僕は思うなあ。
完璧なものが愛されるわけじゃない。
欠点のあるもののほうが人を惹きつけることは、
よくあることだ。
2025年05月05日
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