文字は読めても文章が読めない。
日々誤解がすれ違うツイッターランドを見てれば、
そのことは理解できる。
人は相互理解のためにことばを作ったのに、
ほとんどのことばは鳴き声であり、
自分の都合のいい言葉を拾ったり、
自分の気に食わない言葉を拾うための道具に成り下がっている。
さて、アレクサンドラ構文というのを知ったので、
興味深いので議論しよう。
以下引用。適宜改行しています。
ーーーーーー
「文字は読めるが文章が読めない」は「機能的非識字」といって、
世界中で問題になっている。 日本でも民間では問題になっていて、
有名な「アレクサンドラ構文」がある。
これ、ちゃんと読めば正解は@だとわかるのだが、
実は高校生の正答率65%。しかも自他共に認める進学校でね。
Alexは男性にも女性にも使われる名前で、
女性の名前Alexandraの愛称であるが、
男性の名Alexanderの愛称でもある。
間:この文脈において、以下の文中の空欄に
当てはまる最も適当なものを以下から選べ
Alexandraの愛称は( )である。
@ Alex
A Alexander
B 男性
C 女性
ーーーーー引用ここまでーーーーーー
たぶん、3つの概念を頭の中に展開できない人は、
パッと答えられないと思う。
Alex、Alexandra、Alexanderという3種の名前がある、
って分かってないでしょ。
そしてAlexは、本名、女の愛称、男の愛称と、
3パターンありえる、
まで読み解けないと、正答は選べない。
いや、仮に脳内モデルに3パターンが記憶されてなくても、
頭からもう一回「Alexandraの愛称はなんだろ?」
と疑問を持ちながら読めば正答できる。
実はこれ巧妙な技が使われていて、
Alexは男性にも女性にも使われる「名前」で、(強調筆者)
と「名前」を使ってるのがポイント。
Alexは〜「愛称」で、と表記されていれば、
「愛称」をタグ検索すれば該当箇所が見つかる、
という原始的アルゴリズムを棄却するようにできてるのね。
このことから、頭のいい順は、以下のようだと思われる。
1. 頭の中に3の脳内モデルを構築できるぐらい、
作業スペースがある
2. 脳内スペースは2.5程度で3を取りこぼしがちだが、
ある疑問を持ちながら文章を理解すれば、
直接書いていないものを読み取って脳内モデルを構築できる
3. 文の表面を舐めて、出てきた言葉の該当箇所、前後だけ読む
「人の話を聞け」というのは、
「人の話の中にある脳内モデルを、自分の頭の中に移植せよ」
ということである。
これは1を理想として、
2ぐらいのときでも、相手の発言をたどれば1にたどりつけるものである。
3だと、相手の文言を全部記憶しなきゃいけないので、
140字を超えたら記憶できなくなる。
なので長い話ができない。
何を語っても「長い、三行で」というのだろう。
そういえばツイッターランド動物園の前に、
僕らは2ch動物園にいたわ。
そこでも、頭のいいやつと頭の悪いやつが、
つかみ合いをしてたなー。
クソフェミがまだ来てなくて男しかやってない時代だったな。
そしてバカと生きるもっとも賢い方法は、
発言権を認めて、その後意見を採用しないことだ。
言葉は、あなたの脳内モデルを説明するように使いなさい。
複雑な話ならば言葉に時間がかかる。
今その話をするべきなら、誠実にやりなさい。
その話をするべきでない文脈なら、簡易モデルにするか、
黙って時を待ちなさい。
何も知らない人が、あなたの話を聞いて、
脳内にありありとモデルがつくられるように話しなさい。
もしこの話を理解していたら、
「え、じゃあ本名Alexって、男女両方ありえる?」
って気づけるはず。
つまりこれは、
本名Alex(男)、
本名Alex(女)、
本名Alexander(男、愛称Alex)、
本名Alexandra(女、愛称Alex)、
の4パターンの話をしているのだ。
それを、説明をはしょるために本文を短くしていることまで、
理解できるはずだ。頭がいいならね。
また、人間というのは感情を伴う。
頭のいい人は、頭の中にモデルをつくること自体が快感なのね。
だから、この4パターンかー、
とAlexを知らなかったとしても「そうなんだ、へー」
が快感だったりする。
で、イギリスの名優アレックスギネス
(SWの老オビワンケノービ)ってAlexかー。
芸名で本名Alexanderなのかなー、とか、
連想が起こっていって、
頭の中のアレックスをすべてその知識で整理し直すのね。
で、その知識ひっくり返しドミノ倒しが、快感なのよ。
その度合いを知的興奮とよぶ。
今回はまあ小さな豆知識レベルであったが、
知らなかったら「Alexって男女使うのかー。
日本人でもさ、ヒカルは両方ありえるよなー」
なんてことにも繋がって、快感は少しあるよね。
男女平等って言ってながらAlexanderとAlexandraという別を設けるのは、
変じゃね?とか飛び火するかもしれないね。
で、
人間は感情を伴うので、
こうした知的興奮の快感が訪れない人は、
別の感情と言葉の組み合わせを使うのよ。
怒ったり悲しんだり嬉しかったりするために、
言葉があったりする。
3のレベルの知性しかない人は、
言葉尻を捉えて怒るし、
言い方変えるだけですぐ機嫌変わるし
(意味的同値を理解できない)、
褒め言葉に弱かったりする。
特に女は感情と言葉が近いので、
3レベルの女は感情レベルでよく騙されるので注意な。
男の3レベルは金を取られるだろうな。
ちなみに僕は、
3レベルの人間をバカにしているわけではない。
3レベルの人は言葉を言葉通りに使う、
素直な人でもある。
悪意がなく、面倒見が良いやさしい人でもある。
かつて日本人はそんな人が多かった。
1レベルの人は3レベルの人のために頭脳労働したし、
3レベルの人は肉体労働で1レベルの人を支えた。
そのバランスが崩れたのが、
社会の悪化と関係してると思っている。
ホリエモンあたりからかな。
頭のいい1や2が、3を食い物にしたり、
バカにしたり、肉体労働せずに頭脳労働して儲けようとしたから、
3レベルの人が自衛し始めてるんよな。
つまり分断と敵対が起こってるんだよ。
同じ村にいて、同じ釜の飯を食えば、
そんなこと言ってられないのはわかるはずなのだが、
孤食がそういう分断を産んだと思うよ。
あー、コロナで全員孤食になったよなー。
というわけで同じ釜の飯を毎日食えば、
世の中には様々な頭の人がいる、くらい理解できる。
そして仲間に1レベルの人や2レベルの人がいることは、
仲間の強みであると思えるはずなのにね。
さて、進学校での正答率65%は、
あまり良い成績ではないな。落ちこぼれ15%として、
85%くらいは行きたいところだ。
いつの調査か書いてないが、
少子化で賢い子が減ったのは事実だ。
(追記)
https://togetter.com/li/1737261
によれば、中学生の正答率が38%だって。大丈夫か中学生。
すぐに騙されるぞ。
おじさんのAlex見る?
(追記2)
なんかやたらアクセスがあるなあ、と思って、
「アレクサンドラ構文」でググったらこの記事がトップってなにごと。
もっとみんな議論しろ。
(追記3)
ついでにアミラーゼ構文というのがあるらしい。
かなりの悪文だ。これについても考えた。
http://oookaworks.seesaa.net/article/515218027.html
2025年05月06日
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2行で伝わる文章を3行にする理由の不在というべきだろうか。
例:
女性の名前Alexandraの愛称はAlex、
同様に、男性の名Alexanderの愛称もAlexである。
それは「世の中の文章がすべてわかりやすく、一意に表現されるべき」
という完全世界でのみ成り立つことと思われます。
現実世界では問題文のようなよくない文が多く、
そのノイズを含めて現実的な読解はしなければならない、
と僕は考えます。
間違いではないが完全でもない正しい文において、
読解力がありますか、という問題であると。
つまりさらに知性のある人は、
「こうすると誤解を防げる文になるよ」と、
訂正できるわけです。
これ原文はおそらく英語で、
nameとnicknameで類推可能なのに、
邦訳だと名前と愛称という別の言葉になってるのが、
正解率を下げてる原因かと類推します。
それこみでも頭のいい人は正解可能で、
頭の悪い人はなぜ間違うのか、
人の「理解」の中で何が起こってるのかを、
考察した記事のつもりです。
ところで、私の前段の投稿は、貴方の議論と以下議論を積み上げた後に行われるべき議論だろうというところについて訂正します。
前提: あくまで日本国内での話
議論: 誤りでないが完全でもない文章を、問として出す場合、非正答者については読解力不足かどうかを確定できないことに留意が必要だろう。
これは、文章品質が完全でないため、文章作成者の欠陥をフォローすることでしか正答できない可能性があるからだ。
ただし、正答者が優秀であることは、保証されるとも思われる。
問として、不完全であることが意図的かどうかが重要になる。
この議論の後、もし仮にこの問の品質が意図的でない場合、前段の議論が展開されると思われます。
この前段の議論で私は具体案しか出せませんでしたが、本来この中で、機能的非識字を測るためには、そうとしか読み取ることができないように意味のない文章のばらつきや不備を徹底的に排除せねばならないだろうというような議論が行われる想定です。
まあそれが理想なのはわかりますが、
その理想には全員が到達しないと僕は思いますねえ。
交通ルールをすべての車が守れてないのと同じかなと。
今回の議論での私の主張はあくまで、
交通ルールに際しては、ルールが守れていないことによって生じる事故に、両者に問題があるものがあったとき、どちらの過失が大きいのかについての詳細な議論が必要だろうといったところです。
いずれにせよ、我々の扱う文章には、当然ながら筆者と読者が存在します。そのため、筆者の機能的非識字を読者がどのように対処するのか、また、読者の機能的非識字を筆者がどのように対処するのか、これについて我々は最大限考慮する必要があり、そのための問なのではないかという認識です。
※例えば、アレクサンドラ構文について、最初の投稿のとおり、文章修正を問として出すなど?
誰がどのようにやり、
どの程度をゴールとするか、
どの程度の人はどれくらいまでいくものか、
どの程度の人が脱落するのか、
それにどの程度のコストがかかり、
維持費継続費はどれくらいかかかるかがないと、
空論ですね。
民間の私塾が限界だと思います。
また、みんながこれを読めば文章力があがる、
という書を書いたり、HPなどで発表してください。
このブログは脚本に関して10年以上やっています。
効果は砂漠に水を撒くような感覚です。
コストは全額自己負担です。
答えから問題文を作成すればそうなるでしょう。
しかし、既に存在している文章から引用して問題を作成している為、この問答の中だけを見て「(ミスリードを誘う為に)意図的に文章を長くしている」と考えるのは誤りであろうと感じます。
Alexが男女どちらにも使われる名前である、という情報は引用元にとって必要なのでしょう。
それが誤訳であるかどうかはひとまずとして。
私は、あなたがいう、Alexは本名としても使用されているという解釈は誤りであると考えます。
この問題文の主旨は、「Alex」が男女両方の愛称として使用されているということにあるのであって、本名としての取り扱いには言及していないととるべきです。文中の「名前」を本名の意として統一して扱うことはブログラミング言語などにおいては正しい振る舞いですが、自然言語においては必ずしも正しいとはいえません。
是非、このことについて再検討されてみてはいかがでしょうか。
?
アレックスギネスは?
ふつうに本名Alexもいますよ。
そこは社会常識で補うのがデフォルトでは?
いいえ。問題文は文章の意味の理解について問うているのであるので、それ以外の外部的要素を加味するべきではありません。したがって、実際にAlexという人がいるかどうかはここでは関わりがないとするべきだと考えます。
Alexは名前であるという本文から、
本名、愛称、略称、あだ名、偽名などを考えられないのは、
読解力が弱いのでは?
Alexという本名が地球に存在してもしなくても、
本名の可能性はありますが。
文章には文脈というものがあります。
「Alexは男性にも女性にも使われる名前で、」とあり、その後に連続して「女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。」とあるのですから、前者がこの文章の最も伝えたいことで、後者がその詳細を説明しているととるべきです。
連続させることで、前者と後者が関連した内容であるとわかる文章になるのです。
読解というのは、文章の意図をその通り受けとることであり、それを元に想像することとは異なるので、あくまで分けて考えるべきでしょう。
それを一緒くたにすると、相手が意図しないことを受け取ってしまったり、それにより会話が噛み合わなくなったりする危険があると考えます。
おっしゃる通り、「名前」という言葉は、本名、愛称、略称、あだ名、偽名などを表しうるところですが、それは文脈から自ずと判断できることとなります。
?
時間遡行者?
文章というのは頭から読み下すものであり、
後の文で前の文の意味が変わることはないし、
そのように書くべきではない、
というのがそもそもの記事の意図です。
「名前」には愛称も本名も偽名も含まれるし、
後半を読んでもなお前段の「名前」の意味はかわりません。
名前の一部であるところの愛称の話をしているだけで、
その瞬間愛称オンリーの話になったわけではなく、
余集合が0になったわけでもないです。
つまり、本名と愛称の話だ、
と3つ以上の概念の話をしているのがこの文でしょう。
男と女の本名と愛称がありえる、
2×2=4概念の話でしょこれ。
(もちろん、偽名やあだ名の線も0ではないが、
本題ではないだけで)
レベル2の人ですね?
「私は家に帰る途中でかわいい捨て猫をみつけ、一目で気に入ってしまったが、マンションではペットを飼うことができないため諦めた」
という文章を考えてみます。この文はごく自然な文章です。しかし、最初の「家に帰る」という部分を読んだとき、その家が持ち家なのか、マンションなのか判別はできません。しかし、その後の「マンションではペットを飼うことができない」という文章まで読むと、この「家」はマンションであることが確定します。
これは、その点でアレクサンドラ構文と類似したつくりになっていると思います。
では、このつくりに問題があるかというと、そうではありません。なぜなら、「私は家に帰る途中で…」と聞いたとき、人は「家」という言葉を「その人が帰る場所」程度に認識するに留めるからです。今回はその後に「マンション」という言葉がでてきたことにより家=マンションとなりましたが、「私は家に帰る。」のように、その後に文章が続かなかった場合も同様に「私は自分の住む場所に帰る」という程度の意味となるのです。
同じように考え、アレクサンドラ構文の「名前」は「呼び名」程度の意味として認識され、その後の文章によって「名前」=「愛称」とわかるということになります。ただ、「名前」という言葉は、「私の名前はALEXだ。」のように単体で使うと、一般に本名として扱われることが多いため、そこだけは特殊な部分かと思いますが。
長くなりましたが、ご検討頂いてその結論であればそれで結構です。
機能的非識字というものは、自認がしづらいところが極めてやっかいなものであるとのことです。
私もまた同様ですが、自らに懐疑的な態度をもって思考されることが重要だと考えます。
名前=愛称の等式がなぜ出てくるかわからない。
名前⊃愛称でしょ常に。
>私は、あなたがいう、Alexは本名としても使用されているという解釈は誤りであると考えます。
>この問題文の主旨は、「Alex」が男女両方の愛称として使用されているということにあるのであって、本名としての取り扱いには言及していないととるべきです。
いいえ。違いますね。
この文章は間違いなく、
Alexは男性にも女性にも使われる名前である。
Alexは女性の名Alexandraの愛称である。
Alexは男性の名Alexanderの愛称である。
という3つの文の重文です。
それ以外の読み方はできません。
「男性にも女性にも使われる名前で」
が受けている文節はどこか、
「女性の名前Alexandraの愛称であるが、」
が受けている文節はどこか、
男性の名Alexanderの愛称でもある。
が受けている文節はどこか、
を考えればわかることです。
「何を一番伝えたいか」というのはあなたの主観で言っておられるに過ぎません。
機能的非識字を自覚できない一つの原因が、誤読の穴を独自理論で脳内補完してしまうことです。
なお、Alexが省略のない名前として一般的に使用されるものであることはすでに指摘があるとおりですが、この文章を正しく読むために必要なのは係り受け関係の把握だけで、それを知っている必要はありません。
著者の新井先生もそういう意図で作られています。
えらい遅い時間までがんばってはりますなあ。
ぶぶ漬けでも出しましょうか?