このブログは脚本論からはじまったんだけど、
ずっとキーボードのことが多く増えてしまっている。
その魅力を一言に集約しておきたい。
キー配列や自作キーボードは、
「世界をよくしよう」としている。
今映像の世界はそうだろうか?
物語はなんのために書くのだろう?
もちろん、その場を楽しませることも、
世界を一瞬よくすることだけれど、
一生心に残る、世界のよくしかたもあるのではないかと思う。
今その魅力が、物語から失われつつある
(もしくは紛い物が幅を利かせている)ことが、
結構気になっている。
映画祭に今行こうとは思わないが、
自作キーボードイベントには行きたい。
それくらい、「映画は今世界をどうしたいのか」が、
見えてきにくくなっているよね。
2025年05月06日
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