2025年05月07日

【薙刀式】書くことへの解像度

ーーーTwitterから引用(適宜改行)ーーー
Q.タイパーって出てきた文字を打つのが得意なだけで
頭の中で考えて打つのはそこまででしょ?

A.黙れ。チャットやツイートする時にタイピングするぞ。
できるだけバックスペースを押さないように速度を落として打ってる。
まあ、人によるけどそこら辺の人よりは上手いと思う。
ーーー引用ここまでーーー

チャットやツイートの話かよ、とずっこけた。

書くときに何が起こっているのか、
少し解像度をあげよう。


アプリオリな「書く」モデル:
文章が頭の中で完成する。
それを一字一句間違わないようにコピー打鍵する。
これをベルトコンベアモデルとよぼう。

だから文章が書けないのだと思う。
そんなんで書ける内容なんてせいぜい200字、
多くて400字だろう。
頭の中の短期記憶容量に限界があるからだ。


実際にはそうではない。
あることを書いたことで、
次の考えを引き出す。
同時に、今書いてる部分以外の、
全体を見渡して、今書いてる部分の役割を決める必要がある。
たとえばあとで使う伏線を今書いてるとか、
のちのち書くことに対してここは対句になってるとかだ。
全体の構成はこうであるから、
今は三番目の段落の話をしてるとか、
オチをこうしたいからそもそもこう前振るのだ、とかだ。

これら全体を頭の中に描きながら、
今書いてる部分を書き、
追加が必要なら追加して、いらなければ消す。

そもそも、
文字として受肉した文を読み、
「私はこんなことを考えていたのか」と初めて発見することもあるし、
今はこれを書くパートではないと消すこともあるし、
「こんなことを考えてるわけでないので直す」こともある。

ベルトコンベアから流れてくるのは完成品ではなく、
パーツだ。
それを、手で組み立てるのが書くことだ。

BSはミスタイプの修正ではない。
今書くべきことだけに集中させるために、
ノイズを除く行為である。
あるいは、全体から見て、ある程度のブロックを落としたり、
順番を変えたり、枝刈りするために使う。


まあ、チャットやツイートレベルでこれは必要ない。
考えを表す文章ではなく、
「頭でパッと考えたこと」にすぎないからだ。
これを、「じっくり考えたこと」に落とし込むのが、
文章を書くという行為だ。

200字とか400字じゃないよ。
このブログは2000字くらいで、
僕は普段4万字前提で書いている。
(エッセイが5000字、論文が1万字、
小説一冊が10万字くらい)

これを書く時のタイピングの話をしている。

完成文が頭の中に出てくる、
というベルトコンベアモデルを言う人は、
それ以上の文章を書いた経験がない人だと考えられる。

だから、
タイピングについても誤解が生まれる。
タイピングゲームと同じようにすればよいのだと。


手で書いた感じで、
あらためて客観的になることがある。
むしろ、客観的になるために、
一旦自分の外に出して確認するのだ。
鏡を見るのと同じだ。
それで髪型がちがったり、
姿勢が歪んでたら直すのである。

つまり、文章は書いてる時より直してる時のほうが長い。

一度も直さない前提で書くから、
文章は書けなくなる。

2000字書くのに6000字くらい書く前提で書くと良い。
書き直しも含めてね。



こうした、きちんとした文章の書き方を、
学校では教えてくれない。
指導できるレベルの先生がいないからだ。
たまたまいることもあるので、それはラッキーでしかないね。

書くことは話すこととは違う。
話し相手の顔を見ながらその場でアドリブで変えて、
首尾一貫性を問われない「話す」と、
誰も相手がいない状態で、
「客観」に向けて書き続ける文章は、
同じ日本語だけど質が全然違うものである。

チャットやツイートは、
文章の書けない人たちにむけて、
話すようになら書けるだろ?
とつくられたツールだと言って良い。
だからみな話す。

だけどそれは話してるだけで、
書くことをやってないと言って良い。

反論があればこれくらい書くと良い。
解像度が上がると思う。



このままでは頭140字かよと煽られるぞ。
まあ、この人がタイパー代表ではないし、
頭140字の他の人も大量にいるが。
posted by おおおかとしひこ at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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