2025年05月16日

【脚本添削SP2025】7 どこを省略して、どこを詳細に描くか

15ページという分量でも、情報を出す順番や種類を変えたり、
省略を駆使することで、
いかようにでも密度をコントロールすることが出来ます。

ふたつの稿を一覧してみましょう。
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紙一枚あればつくれます。
縦を16分割して、横に元稿と現稿を比較します。
1行が1分に相当します。

総ページは変わっていません。
それでも構成が二つで異なります。

このストーリーは三幕構成です。
元稿だと「嘘夫婦になる」までが一幕、
いろいろあって「ジャックが助けに行く」までが二幕。
クライマックスのバトルが三幕。
添削稿だと、
一幕の終わりを「手を組まない?」にしてあります。
二幕終わりは同様に「ジャックが助けに行く」で、
バトルと、レストランのシーン追加で三幕。

分数を比較します。
5.5:7:2.5と、6:5.5:3.5。

三幕はレストランシーンを追加したぶん1分伸びています。
元稿は二幕がとても長く、
その代わりにクライマックスが短いです。
ちょっと勿体ないかな、と思いました。
ウールマンの活躍をもう少し見たいし、
誕生日プレゼントにしたのなら、
その結末も見たい気がします。
「手を握っていない」ならば、
「手を握る」がラストになるべきかなと。

ということは、どこかを切っていくべきだと思いました。
簡単に切れるのは、
聞き込みパートと雄羊パートかな。

ここをやめて、設定を何かをしながらやればよいと思いました。
あとマイケルが設定のためだけの障害物なので、
「サンダーシープ」では、
「両親の敵討ちに行ってくる」と、
マイケルのためにもう一個使命を背負わせています。

結局、ラストアクションの尺はあまり変わっていないですが、
ラストにレストランシーンを追加したので、
三幕はトータルで長くなっています。
その代わり二幕を短くしていて、
元稿ではここで過去話などしているのですが、
「サンダーシープ」では最初からリタとジャックの関係性を前振りながら、
小屋でも宿敵の関係性を説明しながら、
と前振っているので、
中盤の説明を減らせた感じですね。


ラストはレストランシーンと決まっていたから、
そこをいかに説明なしで笑えるか、
ということに注力しています。
そのための逆算で、
説明する情報がいるかいらないか、
ということを取捨選択しています。

たとえば元稿では農夫の格好をして嘘夫婦になる、
みたいなことをしていますが、
それをやめて「手を組まない?」という一言と、
バリカンの絵だけにしているわけです。
このあとシーンが飛べば、
わざわざ説明しているシーンはいらないわけです。
着替える必要もなくなる。
(ジャックは毛だらけのジャケットは脱いだだろう)

このようにして、
説明をシーンの間で済ませておく、というテクニックがあります。

どうせ「知らない人に説明する」があるので、
マイケルと交渉するときに一気にやればよいと。
そもそも夫婦であろうがなかろうが、
毛刈りボランティアは助かるわけだし。
なのでマイケルが「夫婦喧嘩」と解釈してると、
話が速いと思いました。


疑似夫婦をしたことによって、
リタとジャックが何かいい感じになる、
ということを元稿ではやろうとしたのでしょうか。
それが結末まで生かせていなかったので、
むしろ利用せずに、
最初から腐れ縁であるような展開にしてみました。
つまり、
「ストーリーが始まった時点で、
すでに水が9割がた入っている器」を用意すればいいわけです。

「銃しか握ったことがない」にプラスして、
「マシンガンもバズーカもロケットランチャーもあったわ」として、
「ニューヨーク、パリ、南極」と、
二人のこれまでの世界を股にかけたおっかけっこを、
無理なく説明できています。
これを思い出すことで、二人の関係性はなんだか進む感じがあるので。


あとテクニックですが、
「行って来い」をなくすと話が進んでいる感じになります。
「行って来い」とは映像用語で、
Aという場所にいて、次にBにいって、またAに戻ってくることです。
作者の気持ちとしては行って、戻ってきて、どうしよう、となりがちですが、
Aにいて、Bにいって、Aに戻らずにCへ行くようにすると、
話が進んでいるように感じます。
行って来いだとループしているというか、
停滞してる感じになるんですよね。



おそらくですが、
最初から書いていって、ページ数が尽きたから終わった、
という感じがします。
「娘の誕生日プレゼントにしようと思う」で、
全てが解決した、決まったぜ、
まで行ききれてない気がしました。

こういう時は、やろうとしたことをすべて書ききってから、
あらためてページに収めるために必要なことを残して、
不要なところを切る、をやったほうがよいです。

リタとジャックはいい感じになるのか。
マイケルはその後どうなるのか。
娘の手は握るのか。
行って来いをやらずに、次へ場面を進めるためには。

たとえばサンダーシープでは、
最初から娘の誕生日パーティーのために来たことが設定されて、
プレゼントをつくる、という展開にすることで、
ジャックに感情移入していくことになります。
ラストに急に誕生日プレゼントにすると思いつくよりも、
感情移入にもなるし、
チップが入ってるというマクガフィンにもなるからです。


これらを全部第一稿でやるには年季がいるので、
最初20ページぐらい書き切ってから、
15ページにうまく落とし込んでいくのです。


そもそも元稿で雄羊を出した理由はなんなんですかね。
ヒーローは動物に好かれるものだとか、
ウールマンのヒントになっているとか、
単に毛刈りだけだとつまらないから小さい障壁を設けたとか、
子供の前で人を殺さないためか
(ハリウッドでは基本ルールになってたりします。
ここは日本なので必ず守る必要はないですが)、
そのへんだと思われます。

でもそれより大事なことを残すならば、
こうしたものは余計なパートになるわけです。


ただし、単にカットしたら全体がやせるので、
よりよいものを付加していくとよいです。
「サンダーシープ」でいえば、
横断する羊の前で止まるか止まらないか、
毛まみれのジャケットなどがそうです。

「しつこいわね!」「非番のはず」なんてセリフを最初に入れることで、
すでに二人は知り合いだとわからせることをしたりしているのに注意。
あと、ジャックが最初に活躍する場面をつくっています。
バイクにまたがったまま立ってリタの後輪を撃ち抜くシーンです。
これでかなりの上級者ということがわかるので、
「銃しか持ったことない」に説得力が増します。

元稿では、
ただのよれよれ荒っぽ刑事になってしまいそうだなと思ったので。

初登場でなるべく強烈な印象を残しましょう。
ジャックは、
「毛まみれのジャケットでバイクの上で立って射撃できる男」
というのが第一印象になります。

パトカーの扉をあけて出てきた、よれよれのTシャツの男ではないです。
今回は、ウールマンでやっとキャラ立ちする、
という体でもいいですが、
ジャックの状態でもキャラ立ちしたほうが話が転がるのが速いかなあ、
と思って、
こうしてみました。

同様に、
リタは赤いライダースーツのイケてる女で、
しかもジャックと長年の関係がありそう、
という感じになっています。
路地に逃げ込んで車を撒くなど、
肉体的なアクションを第一印象にしています。


リライトするとは、
このような足し引きを考えて、
実際にやってみることをさします。

雄羊は残して冒頭のバイクに立つのをやめるとか、
ジャケットはやめるとか、
そのかわりマイケルもマフィア退治に参戦する
(羊の群れをけしかける、雄羊が激突する)とか、
色々なパターンが考えられると思います。
これらを含めて、
ベストのパターンが、一番人を喜ばせると思うんですよね。

元稿は、
一回書いただけ、みたいな、
水彩画のような感じがするなあと思いました。
油絵みたいに、もっと練りこむことは可能なはずです。

自分のOKがぬるいと、
全体が緩くなってしまいますよね。
どこを目指すか、という話です。


多分プロとして必要なのは、
このような、プロとしての最低限のOKの感覚かなと思いました。
うっかりこれで通ればいいや、
みたいな基準ではプロは出しません。
自分の中で納得するまで、やるものです。

そのためには、書き終えたあとで時間をとって、
客観的になる時間が必要です。
締め切りよりも前に書き上げて、時間をとり、
しばらく(二週間以上あけるとよい)たってから、
また読み返してみて、アイデアを追加したり、
自分にダメ出ししたりして、もっとよくする余裕を取ってください。
そうしたスケジューリングがプロです。
プロはスケジュールで無理な仕事は受けません。
受けるということは、
自分の中でそうしたスケジュールが組めたときです。

アマチュアのときは「できた!」だけで幸せになってしまいます。
これはまだ偶然できただけなんです。
プロはこの偶然できたものを練り上げて、
プロレベルに持っていきます。
その、仕上げ慣れをしているかが、プロとアマの境目かなあ。


いつかよい第二の目(セコンド)を得られることもあります。
映画監督だとプロデューサー、漫画家だと編集者。
しかし、よいプロデューサーや編集者に巡り合えない状況でも、
プロは結果を出します。
つまり、自分が自分の第二の目になれる訓練が、
必要だということです。

こうしたプロとしての構えを教えてくれる人もいますし、
よくわかっていないまま、
こいつは使えるやつか/使えないやつか、
を見るだけの人もいます。
育てるのがうまい人も下手な人もいるということです。

どんな状況でも育つ、タフな人であってください。
あるいは、上手に相手に甘えるプロもいます。
生き方はそれぞれなので、
そのためにいろんな先輩のやり方を若いうちに見ておくことは、
その後のスタンスの参考になります。

いずれにせよ、
最終的にプロレベルのお話が出力できればOKです。



話が逸れましたが、
両者の比較を見ると、
情報量の詰まり方やバランスが違うことがわかると思います。

よりキャラクターに親しみが持ちやすく、
何も知らない状態から入りやすく、
そしていつのまにか巻き込まれている流れに乗りやすく、
クライマックスへ集約しやすく、
オチが物語から離れやすくなっています。
より広い人に見れるものになっていて、
よりその辺にあるものになっていて、
それでいてどこにもないものになっている、
というオリジナリティと一般性のバランス、
情報の足し引きについて研究してみてください。

元稿は中盤が長く、クライマックスが短いのが、
数字で明らかです。
長編の理想は1:2:1ですが、
短編の場合1:1:1くらいでもよいかと思います。
せっかく最後の対決なのにそれが物足りないのは消化不良で、
それは中盤が長いからだと数字で判断するのが、
目が曇りにくい方法ですね。
posted by おおおかとしひこ at 05:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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