格助詞は助詞の中でも代表的なものだ。
薙刀式と格助詞について述べてみる。
詳しくはwiki助詞(口語)をみてもらうとして、
日本語の助詞はとても豊富で、
wikiにあげられているものだけで71存在する。
多すぎ。
格助詞10、並立助詞9、副助詞16、係助詞6、
接続助詞18、終助詞19、間投助詞3。
その中でも代表的な、格助詞10を議論する。
が の を に で と へ から より まで
これを見ると、「ら」「へ」を除き、
すべて人差し指が中指にある。
単打面(濁は同時押しで濁音化)
・・て・・ ・・・・へ
・・とか・ ・濁・・・
・・・・・ ・・・ら・
シフト面
・・り・・ ・・よ・・
・・にま・ ・の・・・
・・を・・ ・・・・・
格助詞は日本語文の構造をつくるための膠着パーツといえる。
つまり、
構造のある文を書くときに、
つねに人差し指中指を経由して、
文が書かれることになる。
このことによって、背筋がスッキリする。
健康法的なことではなくて、
強く器用なメイン指で構造を組み立てているから、
「日本語をじかに組み立てている」
という感覚を味わえる、という意味でだ。
(「から」は薬指使ってるけど「か」が左人差し指始動だからセーフ、
「へ」も頻度自体は清音としてはマイナー2番目なのでセーフ)
薙刀式を使用中の人から。
https://note.com/urinami/n/n4f9b1817fd99?sub_rt=share_pw
> 格助詞の配列が適切なのに驚愕したんですけど
格助詞限定で言及した人は初めてだな。笑
パッド演奏者であることから、
指の配置に敏感なのだろう。
他の助詞、助動詞、語尾でも、
は では には のは て か
も ものの のも にも など や ない でも
な だ なら ならば ような ようだ
なのだ なんだ ん(のの撥音便など)
あたりは人差し指中指グループ。
(「なら」「ならば」「よう」は人差し指中指始動なのでセーフ)
このへんはよく使うものをなるべく集めたつもり。
ちなみにこれらもまとめて図示すると、
単打面
・・て・・ ・・・・へ
・・とか・ ・濁いう・
・・は・・ たなんら・
シフト面
・・り・・ ・・よ・・
・・にま・ やのも・・
・・を・・ ・・・・・
な感じ。左手は完全に決まった位置に役割を振っていて、
明確に繋ぎを意識していて、
右は補助的になっている。
(右手は拗音とか語尾や漢語にも使うので)
実際、薙刀式を使っていても、
この辺ばっか使うなあ、
なんて場所だと思われる。
完全に規則的でないのは、
日本語全体が規則的でないため、
色々なカナがひしめきあい、
頻度や連接があるため、とご理解されたい。
うーむ、予想したよりも人差し指中指骨格だ。
家に喩えると、格助詞は骨組みや梁に相当する。
骨組みを組み立てるのが楽で早ければ、
家を組み立てるのはパーツを用意しとけば良い、
という考え方になってくる。
つまり家全体を眺める俯瞰が可能になりやすい。
そして格助詞以外は、
パーツ同士をくっつける接着剤のようなものだ。
これらの構造を決める部分を、
中央指で楽に取れることで、
日本語を書くときに思考に集中しやすいと思う。
僕がqwertyローマ字を批判しているのは、
日本語を書く時の指のねじれや跳びだ。
格助詞を書いてみようか。
ga no wo ni de to he kara yori made
標準運指で取ることを前提とすると、
これだけでも法則性がなく、
指があちこちに飛び回る感じがする。
思考に統一性を持たせるのは、
この指遣いをしながらの必要があり、
落ち着いて考えるのをいくらか邪魔していると思う。
僕がqwertyは上級者向け、というのは、
この指の跳びやねじれと、
思考を分離するだけの経験が必要だからだ。
ダンスしながら哲学者になれるなら別に構わないが、
普通はそうではない。
残念ながらダンサーはわりとバカだ。
タイピングが主で思考が従ではない。
思考が主でタイピングが従だ。
思考を組み立てやすいタイピングをするべきだ。
2025年05月18日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック