アレクサンドラ構文、アミラーゼ構文というのを知った。
どのようにそれが起こるのか、
とくにひどいアミラーゼ構文に関しては、
何度も書き直す清書について議論した。
アレクサンドラ http://oookaworks.seesaa.net/article/514917572.html?1747443799#gsc.tab=0
アミラーゼ http://oookaworks.seesaa.net/article/515218027.html?1747443751#gsc.tab=0
つまり僕は、
最初に一回書くことだけでフィニッシュだと考えていない。
何度も書き直してようやく人に見せられる文になるのだと。
薙刀式が右手人差し指ホームキーJのすぐ上の、
U位置にBSがあるのはこのためである。
文は書き直してなんぼ、
という意識がないと、
「ミスタイプの訂正にBSを使う」から、
「ミスタイプしないようにする」
になってしまう。
だから、書き直しのためのBSという発想がなく、
遠いBSはなるべく使いたくなく、
だから、
「一度打った文章は、ミスがない限り書き直さなくて良い」
になると思う。
アレクサンドラ構文、アミラーゼ構文の原因の一つは、
書き手の浅はかさもあるが、
BSをしにくいキーボードの機構にあると考えられる。
だってあんな遠いところにBSがあったら書き直しにくいし、
めんどくさいqwertyローマ字を、
何度も何度も、
最初に打った文章量の数倍打つの、
すごいめんどくさいからだ。
薙刀式はプロの文章を書くことを想定した道具だ。
つまり書きやすく、そして消しやすい。
日本語を書くことの書きやすさを死ぬほど考えていて、
BSは右人差し指上段にある。
(Delやブロックごと選択するのも編集モードに入ってて、
手の届く30キーの範囲で編集が可能だ)
qwertyローマ字+遠いBSやカーソル
を使ってるから、
まともな文章が書きにくいのだ。
逆に、
まともな文章を書くには、
qwertyローマ字でスラスラ書け、
数回書き直すのを厭わないほどのタイピング力、
遠いカーソルやBSを厭わないほどのタイピング力、
そして論理的思考力を持たなければならない。
そのタイピング力をつけるには、
少なくともタイパー並みの努力をしなければならず、
運転免許よりも時間と手間がかかる。
一日一時間で、一年位かかるのでは?
その義務を全日本人に負わせる?
薙刀式は、その手間を数週間から数ヶ月に縮める。
タイピングのしやすさ、
練り直しのしやすさ、
そもそもの日本語の書きやすさについてだ。
「何回も何回も書き直して清書を重ねる」
という習慣を流布したい。
そのためのデジタル道具がないから、
それをつくった。
そもそも「一回書けばフィニッシュ、間違いだけ直す」
なんて習慣はいつできたんだろ?
原稿用紙+鉛筆消しゴムがよくなさそうだ。
白紙に自由にまず書き、
原稿用紙に「清書する」をやって、
はじめて試行錯誤を覚えられるのでは?
古来、筆による日本語の記録は、
一発で巻紙に筆で書いたのではないと思われる。
捨て紙に下書きして、ようやく清書したのでは?
その、捨て紙の習慣が、
原稿用紙+鉛筆消しゴムのシステムで失われたから、
一発書き+ミスだけ訂正の習慣になってしまったのでは?
スラスラとした澱みない文章を、
一発書きできるほどの文才の人はいいけれど、
それを技術として身につける人は、
原稿用紙+鉛筆消しゴムシステムでは無理だと思う。
別に下書き用紙を置き、
そこで試行錯誤した上で、
はじめて清書する、
の習慣をつけてはどうだろう?
僕はそれを手書きでやるべきだと思う。
なぜなら、薙刀式でない限り、
デジタル文房具はこのシステムを前提に作られてないからだ。
僕がqwertyローマ字糞と言い続けるのは、
この何度も書き直す清書システムに対応してないからである。
だから薙刀式は、U位置にBSがいる。
何度も何度も書き直して、良い文にたどりつくための軌跡を、
アミラーゼ構文の記事で示した。
これは薙刀式くらい簡単にできないと、
難しいのではないだろうか。
qwertyローマ字という、
凡人には使いこなせないクソシステムは、
文章を直し続けるだけの根気を削ぐのだ。
2025年05月17日
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