2025年05月29日

【薙刀式】「両手で書く日本語」という感覚

僕は元々手書きでやってきて、
タイピングなるものをあとでマスターした。
だから常にベースは「右手で書く日本語」だ。

最近薙刀式が馴染んできて、
「両手で書く日本語」という感覚になってきた。


オリジナルの日本語は、
もちろん両手では書かない。
日本語は右手一本で書くことを前提とした言語だ。
(左利きは右利きに矯正され続けてきた)

もしそれが、「両手で書く言語だったとしたら」
という仮定を無理やりしてみる。


それは100%qwertyローマ字ではない。
1000年2000年洗練され続けてきた言語体系が、
そんな辺鄙な指遣いをするわけがない。

大数の法則から、
最も平均的にエネルギーを使わない、
楽な運指になってるはずだ。

左右均等よりかはやや右を使い、
中央指をよく使い、経由して、
バランスよく左右を行き来する
(時にアルペジオ、時に左右チェンジ)、
いつまでも打てる運指になってるはず。


もちろんカナ漢字変換前提だけど、
その範囲内では、
「まるで最初から両手で書く言語だった」
かのように、薙刀式がなってきた。

僕はピアノが弾けないし、
両手を同時に使って何かをするのができるのは、
薙刀式とカタナ式だけだ。
qwertyはできてるレベルじゃないしな。

だから、僕の唯一の両手でやるなにかが、
薙刀式になりつつある。


カタナ式を使ってる時、
子音左、母音右で左右交互ではあるものの、
左手と右手が独立に動いてる感覚になることが、
よくあった。
左手は左手でアルペジオを描き、
右手は右手でアルペジオを描く感覚。
(その手で見た時にアルペジオになるように、
子音や母音をなるべく配置してある)

ラクダエンさんも、
左右母子分離の配列を使ってると、
左右の手が同時並列的に動く感覚になってるらしいが、
これはとてもわかる。

で、
薙刀式もその領域になってきたわけだ。

左右の手が勝手に独立に並列で動き、
気づいたら文章になってる感じ。
左右の連動や同期は無意識化されてるので、
左はこのへん、右はこのへん、
みたいに二つの円をぐるぐる描いている感じ。

手書きが一つの円だとしたら、
薙刀式は二つの円を描く感覚だ。
とはいえ、完全独立ではなく、
同期をしてるから、
やっぱり太極球な感じだろうか。
陰陽が連動してるひとつの球体。

一つか二つかは本質的なところではなくて、
「二つの手で書く日本語」みたいな感覚。
いや、やっぱ二つの手で一つの球を抱えてるんかね。

漢字のへんとつくりを、
左右の手で同時に書く感覚?
よく分からないが、
手書きにはない感覚だ。
(両利きの人は手書きできるのかな)


ピアノを自在に弾ける人は、
今の気分を表現する時に、
右手とか左手とか考えずに、
勝手に両手が動いて曲になっていくだろう。

そんなところまでやっと来た感じだな。

qwertyローマ字で、
ここまで来た人がいるかも知れない。
あの複雑なqwertyでそこまで行くには、
何十年単位必要なんじゃないか。
始めて数年じゃ無理よね。
薙刀式なら7年で来れることはわかった。
初期は完成度が低かったから、
0から最新版v16をやれば半分でいけるでしょ。

一回この感覚を得られたら、
手放すのが怖いのはよくわかる。
僕が手書きを手放さないのはそれだからね。
だから、
長年qwertyに親しんだ人ほど、
qwertyを手放さないのだろう。
まあそういう人はqwertyと心中してくれ。
手を壊したくない人だけ、
新配列を検討すればいいさ。


カタナ式は、この領域まで来る前にやめてしまった。
左右の手が独立して動いてる感覚までは来たが、
まだ「ローマ字を打っている」という感覚で、
「日本語を書いている」まではいかなかった。
日本語は、
ある子音と次の子音のアルペジオや、
ある母音と次の母音のアルペジオを意識する言語ではないから、
だろう。


薙刀式だと、カナを直接触っている感覚になるので、
「日本語(の文字列)を両手で触っている」
という感覚になりやすいと思われる。

ローマ字だとどうしても音のことがあるため、
「日本語の音を両手で触っている」
になるんじゃないかしら。
posted by おおおかとしひこ at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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