Twitterから。
> なれは必要だけどカラムスタッカードは最高。冷静に考えてロースタッカードって意味わからなさすぎる
> 次は大西配列やな。クソなものを自分の生活圏から消していきたい
> 手の小ささに加えてロウスタッガードに対応するために、以下に無理な運指でタイピングしてきたかってのが良くわかる。中学生からPCに触り続けてきて 、今に至るまでのクセを治すの想像以上に大変かもしれん
いいぞ。その調子だ。
纒足の女性が解放されて、
戸惑いながら普通の靴を履いてる時は、
こんな感覚ではないだろうか。
纒足は残念ながら骨の変形までいくので、
完全には「自然」には戻らないだろう。
ただ人間の適応力は、
自然体であればうまく適応していくはずだ。
ロウスタッガードは纒足である。
qwertyも纒足である。
人間の運動に無知な、
ことばに無知な、
日本語に無知な、
電機メーカーのエンジニアがつくった、
国学者が絡んでいない、
運動の専門家も絡んでいない、
そして個人ではなく無数の集団がつくった、
纒足である。
ある意思を持って「こうでなければならない、しろ」
とデザインしたスティーブ・ジョブズのMacではなくて、
無知な人々が周りの空気を読みながら、
突出した杭は叩かれて、
なんとなく無知な周りと歩調を合わせた、
何十年もの無知なコックリさんの結晶だ。
それは無知の呪いのようなもので、
無知の結果、ほとんどの日本人が、
知らないうちに纒足を履かされ、
それが纒足であることを知らされていない。
履かせたやつも知らないからだ。
この、無知の愚行の連鎖を、断ち切りたい。
希望はある。
フリックという「別のデジタル日本語入力法」が、
生まれたから。
つまりオルタナーティブ(別の選択肢)を持つことで、
ロウスタッガード+qwertyローマ字という、
唯一絶対の方法は相対化されたのだ。
「ほかにあるやん」と。
他にあるのなら、もっといい他もあるのでは?
と思うのが人情だ。
ロウスタッガードではなく、
コラムスタッガードも格子配列もある。
左右一体型ではなく分割もある。
突き刺し打ちではく、撫で打ちもある。
重たいキーではなく、軽いキーもある。
凹型キーキャップではなく、凸型キーキャップもある。
そして、
qwertyローマ字ではなく、
別の配列もある。
もっといい他のものは、実はたくさんある。
知らないだけだ。
みんな纒足を脱ぐのが怖くて、脱いでないだけだ。
覚醒せよ。
纒足を脱ぎ、よちよち歩きをするのは最初は怖いだろう。
歩くための筋肉ができてないから、
少しずつ鍛える必要があるかもしれない。
でもそれは、キン肉マンになれとは言ってない。
自然なところまででよい。
むしろ、纒足で使ってた余計な筋肉は、落として良い。
それは纒足にしか使わない。
最初は怪我するかもしれない。
でも歩くのや走るのを学ぶのに、
最初は転ぶのは当たり前だと思う。
大怪我しないように気をつけて、
多少擦り傷をつくりながら、
歩いたり走ったりできるようになるといい。
擦り傷は治るから安心してくれ。
いったん解放されてしまったら、
纒足を履いてる人が、
哀れで、愚かに見える。
バカじゃねーのって言いたくなる。
でも過去の自分は、何も知らず、
纒足を履いたまま、笑ったり泣いたりして人生をふつうに送っていて、
その人生をいいとも悪いとも思ってなかったはずで、
なんならそれが好きで誇りを持ってたりして、
いきなり知らない人にバカ呼ばわりされたら、
むかつくだけだったろう。
纒足をバカにせずに、
纒足の前で、自由な足で走り回ればいいだけだ。
これがほんとうの人生だと、勝手に輝けばいいのだ。
それが羨ましいなら、
纒足を脱ぐ人が増えるだろう。
実在の中国の纒足を、人権剥奪であると批判できたのは、
私たちが纒足でなかったからだ。
全員纒足だったらそれに気づくこともできなかった。
ロウスタッガード+qwertyで、みんな人権を剥奪されている。
そして全員纒足なので、その重大さに気づかない。
私たちは新配列+自作キーボードで、
彼らの前で自由に走り回ればよいだけだ。
そして文章や思考の、質や量とも、彼らにまさればよい。
ひゃっほう!ちんこぶるんぶるん!
2025年05月31日
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