2025年06月05日

【薙刀式】qwertyへの違和感

新配列をマスターし始めると、qwertyに違和感が出始める。
これはポピュラーな現象だ。

Twitterから。
> 大西配列そこそこ打てるようになったが逆にQWTRY配列で少し違和感出るようになった


新しい自転車に慣れたとき、
前の自転車に乗ってみると良い。
引っ越した街に慣れたとき、
前に住んでた街に行くと良い。
新しい制服に慣れたとき、
前の制服を着てみると良い。
新しい靴に慣れたとき、
前の靴を履いてみると良い。
新しい彼女に慣れたとき、
前の彼女に会ってみると良い。

qwertyはそれと同じだ。
なぜなら、
「身体の感覚」だからだ。

自転車、街、制服、靴、彼女。
共通項はなんだろう。
距離感覚や方向感覚や空間感覚だろう。
接触を伴うことも共通だ。
フィードバックがあることも共通だ。

これは五感のどれかでいうと触覚に入るんだろうけど、
肌触りとかではなくて、
「自分がどこにいて、手を伸ばせばどこに何があるか」
という空間感覚だ。
ふつう触覚という言葉で指し示せる内容ではない。
同様に、たとえば玉ヒュンの感覚も触覚に入る。
重力加速度を感じる感覚だね。
器官的には内耳(蝸牛)で感じているだろうが、
これは聴覚には分類されない。
平衡感覚も同様だ。

この話とは関係ないが、温感や冷感も、
五感でいえば触覚に分類されるだろうが、
ふつう触覚というとそこまでは入ってない。

つまり、五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)に入ってない感覚が、
人間にはある。
第六感(未来予知や勘)でも第七感(小宇宙と書いてコスモ)
でもない。

住み慣れた街だと、帰る方向わかるよね。
そういう感覚が人間にはある。

これくらいの出力でこうすれば、
これくらいの返しが返ってくる、
みたいな感覚もあるよね。

科学的には、経験による予測の反射化に含まれるのだろうか。

僕は大きくは、皮膚感覚の延長のように捉えている。
道具を使う感覚だからね。


配列は、それを用いてブラインドタッチする。
だからタッチタイピング、触覚打鍵という語は、
大きくは間違ってないのだが、
「タッチタイピング」が盲牌みたいな、
手探りでキーを当てるみたいな誤解を生みやすいので、
僕はわざと使っていない。

で、
ある配列に慣れたとき、
前の配列に触ると、違和感を感じる。
それは次に適応しつつある証拠だ。
人間、一度に二個できないからね。

ただ人間の面白いところは、
「両方がある状態にも慣れる」ことができることだ。
まあどちらかがメインになるかもしれない。

二人の女と同等に付き合えるかどうかは、
僕はやったことないのでわからないが、
自転車、街、制服、靴は、
両方の感覚を持つことは、比較的できると想像できる。

配列もそれと同じ。

ただ、住んでる街がどちらがメインかで、
慣れた感覚はメインに寄せられると思う。

まあ街は、
「こっちに行ったらこれがあるはず」が、
店が潰れたりして変わるけど、
配列は変わることがないので、
感覚の更新が必要ないのが救いだね。



配列を変えることを引越しにたとえるのは、
こうした空間感覚をもう一つ作ること、
だと僕は思っているから。
3〜4つくらい、街の空間感覚はあるでしょ。
昔通ってた学校の近辺を思い出せばいける。
それを同時に維持するようにすればよい。

街だと、物理的にうろうろすれば、
そうそうここからこういけば近道だったわ、
こっちからこういけばここに出るわ、
みたいな思い出しがあるので、
配列も同じようにすればいいよ。

具体的には、日によって配列を変えればOK。

(少なくとも2配列までは可能なことが、
先人の経験からわかっている。
3配列は使う機会が少ないので無理っぽい)
posted by おおおかとしひこ at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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