2025年06月25日

【薙刀式】終端速度に至るまでのコスト

実はその人の終端速度は決まっている仮説。

配列の善し悪しは、
そこに至るまでのコストで決まる説。


僕はqwertyローマ字をマスターできなかった。
指のバランスは最悪だし、
動線もめちゃくちゃだと思う。

でもそれをスラスラと自分の手足のように打てる人もいる。
そんな人は年単位、十年単位で打ってきた人だ。
それだけのコストをかければ、
qwertyも打てるようになるのだろう。
ただ、人はそんなに情熱をqwertyにかけられない。

配列の善し悪しは動線効率の良さそのものだけど、
べつに悪い動線でも、
できるようになってしまえば問題ないということだろう。
ただ、そこに至るまでのコストがかかるし、
運用し続けるコストもかかるだけのことだ。


隣の部屋に行く時に、
歩いていく時と、
途中でバク転1回挟むのとの違いだ。

明らかにバク転を1回挟む方が馬鹿馬鹿しいが、
コストをかけてマスターすれば、
それが自然であるようになることはできる。
そして運用エネルギーも莫大だけど、
それ自体を動かすことは普通にできる。

効率は悪いが、
出来る人にとっては「別にできるが?」
でしかないのだろう。


間にバク転1回挟んでるようなものだ、
というのは、
RTCのqwertyの達人たちの指の動きと、
薙刀式動画やその他新配列の動画の指の動きを比較すればわかる。
薙刀式は手があまり動いていない。
楽な動線を描いている。

僕は、さっさと終端速度にたどり着くべきだと考えている。
その人の最高スペックにたどり着けば、
手足のように文章が書けるだろう。

手足のように文章が書けないのなら、
まだその配列で終端速度に達するまでコストをかけていないか、
運用コストがデカ過ぎて疲れているだけなのだ。



どの配列をマスターすべきなのだろう?
百花繚乱の配列があるとき、
ついつい迷ってしまいがちだ。
僕は、
「あなたが打ちやすいと思うもの」が、
いいんじゃないかと思う。
打ちやすいということは、
あなたにとって学習コストが低く、
運用コストも低そうだからだ。

とはいえ、新配列は完璧ではない。
人間が完璧でないのと同じくらいには。
なので、
「どこか打ちにくいところ」が、
絶対何かしら出てくる。
それはその配列のコストのかかる部分だと、
割り切ればいいと思う。

qwertyはほとんどの文章でべらぼうなコストがかかるが、
新配列はほとんどの文章でコストが下がり、
一部の合わないところでコストがかかる。
その差であると思えば良い。

その合わない部分は、触ってみないとわからないので、
やってみ、としかいえないね。


その人によって、合う合わないの関数が違う。
触ってみるまでそれは分からないし、
ベストのものが何個もあるかもしれない。

「すぐマスターできた」という配列が、
おそらくあなたに合う配列だ。



薙刀式の学習コストはかなり低いので、
色んな人に合うんじゃないかと思っている。

「その動きさえ身につければよい」のハードルが、
割と低い方だと思う。
もちろん向き不向きがある。

文房具屋に並んだ文房具の数だけ、
配列はあってよいと僕は思う。

なかなか試し書きができないのが、
文房具選びとは違うところだね。

自分の名前を打つのがまず最初の試し書きかなー。
それが合わないのは、
それがスムーズになるまでのコストがかかることを、
覚悟すると良い。
それでも他が良ければそれもヨシだが。



たぶん、
どんな配列を使っても、
その人の終端速度に至るのだ。
あとはトータルコストじゃね?

僕は、間に1回バク転入れてる人は、
バカだなあと思うだけで。
posted by おおおかとしひこ at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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