実はその人の終端速度は決まっている仮説。
配列の善し悪しは、
そこに至るまでのコストで決まる説。
僕はqwertyローマ字をマスターできなかった。
指のバランスは最悪だし、
動線もめちゃくちゃだと思う。
でもそれをスラスラと自分の手足のように打てる人もいる。
そんな人は年単位、十年単位で打ってきた人だ。
それだけのコストをかければ、
qwertyも打てるようになるのだろう。
ただ、人はそんなに情熱をqwertyにかけられない。
配列の善し悪しは動線効率の良さそのものだけど、
べつに悪い動線でも、
できるようになってしまえば問題ないということだろう。
ただ、そこに至るまでのコストがかかるし、
運用し続けるコストもかかるだけのことだ。
隣の部屋に行く時に、
歩いていく時と、
途中でバク転1回挟むのとの違いだ。
明らかにバク転を1回挟む方が馬鹿馬鹿しいが、
コストをかけてマスターすれば、
それが自然であるようになることはできる。
そして運用エネルギーも莫大だけど、
それ自体を動かすことは普通にできる。
効率は悪いが、
出来る人にとっては「別にできるが?」
でしかないのだろう。
間にバク転1回挟んでるようなものだ、
というのは、
RTCのqwertyの達人たちの指の動きと、
薙刀式動画やその他新配列の動画の指の動きを比較すればわかる。
薙刀式は手があまり動いていない。
楽な動線を描いている。
僕は、さっさと終端速度にたどり着くべきだと考えている。
その人の最高スペックにたどり着けば、
手足のように文章が書けるだろう。
手足のように文章が書けないのなら、
まだその配列で終端速度に達するまでコストをかけていないか、
運用コストがデカ過ぎて疲れているだけなのだ。
どの配列をマスターすべきなのだろう?
百花繚乱の配列があるとき、
ついつい迷ってしまいがちだ。
僕は、
「あなたが打ちやすいと思うもの」が、
いいんじゃないかと思う。
打ちやすいということは、
あなたにとって学習コストが低く、
運用コストも低そうだからだ。
とはいえ、新配列は完璧ではない。
人間が完璧でないのと同じくらいには。
なので、
「どこか打ちにくいところ」が、
絶対何かしら出てくる。
それはその配列のコストのかかる部分だと、
割り切ればいいと思う。
qwertyはほとんどの文章でべらぼうなコストがかかるが、
新配列はほとんどの文章でコストが下がり、
一部の合わないところでコストがかかる。
その差であると思えば良い。
その合わない部分は、触ってみないとわからないので、
やってみ、としかいえないね。
その人によって、合う合わないの関数が違う。
触ってみるまでそれは分からないし、
ベストのものが何個もあるかもしれない。
「すぐマスターできた」という配列が、
おそらくあなたに合う配列だ。
薙刀式の学習コストはかなり低いので、
色んな人に合うんじゃないかと思っている。
「その動きさえ身につければよい」のハードルが、
割と低い方だと思う。
もちろん向き不向きがある。
文房具屋に並んだ文房具の数だけ、
配列はあってよいと僕は思う。
なかなか試し書きができないのが、
文房具選びとは違うところだね。
自分の名前を打つのがまず最初の試し書きかなー。
それが合わないのは、
それがスムーズになるまでのコストがかかることを、
覚悟すると良い。
それでも他が良ければそれもヨシだが。
たぶん、
どんな配列を使っても、
その人の終端速度に至るのだ。
あとはトータルコストじゃね?
僕は、間に1回バク転入れてる人は、
バカだなあと思うだけで。
2025年06月25日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック