2025年06月13日

【薙刀式】バイリンガルの言語がたまに面白い

カフェでバイリンガルの人が隣でしゃべってて、
英語と日本語交じりの言葉でコミュニケーションしてて、
なんでこうなるんだろう?って考えながら聞いてたんだけど、
たぶん「よりエネルギーを使わない方」をしゃべるんじゃないか、って思った。


日英の言語のエネルギーはどれくらいか数値化できないけど、
「そうね」とか「食べる?」とかは日本語言ってて、
もっと複雑な言葉のときは英語でしゃべってた。
でも時々「で」とか「とか」は日本語を使ってた。
面白い。
単語でも「静電気がある」とか、
成語になっている言葉は日本語だった。
エネルギー的に最短経路をおそらく無意識的にとるんだな。

これは関西弁と東京弁の二言語を使い分けられる、
僕でも理解できる気がした。
ツッコミは関西弁のほうが合理的だし、
解説は東京弁のほうが合理だ。
気持ちは関西弁のほうを使うかな。
日英バイリンガルほどまざらないけど、
文脈に応じてエネルギーレベルが小さい言語が優位になる、
というのは全然物理学的にありそうだ。


手書きとタイピングというバイリンガルを考える。
最近手書きをしている中に、
たまに薙刀式の手の動きをしたくなる瞬間がある。
拗音同時押しがわかりやすい。
たしかにこれを使ったほうがエネルギーレベルとしては小さい気がする。
手書きで漢字をごにゃごにゃ書くよりも、
拗音同時押しして一意に漢字が確定するほうが楽だな、
と思うことがまれによくある。

タイピング中は、逆に手で書いたほうが早いわ、
となる瞬間はたくさんある。
とくにMS-IMEが一発で漢字変換を正しくしないときだね。
文脈考えたらわかるやろ、という時が、
一番むかつくよね。
鬱とか、画数の多いわりにたいした情報量がない言葉も、
タイピングのほうが若干楽かなあ。打つ、撃つ、などの別候補があったとしてもね。
自分の名前は圧倒的に手書きだな。書きなれているのがデカいかもしれない。

もともと手書きが苦手で、タイピングのほうが得意になってしまった人には、
こういう感覚はないのかな。
逆に手書きをしていると、タイピングの感覚のほうが楽なのに、
とイライラすることのほうが多いのかしら。

僕は、タイピングのほうがまし、と思える瞬間はまだそんなにない。
5:5くらいに混ざったバイリンガルになるべきなのかしら。
posted by おおおかとしひこ at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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