カフェでバイリンガルの人が隣でしゃべってて、
英語と日本語交じりの言葉でコミュニケーションしてて、
なんでこうなるんだろう?って考えながら聞いてたんだけど、
たぶん「よりエネルギーを使わない方」をしゃべるんじゃないか、って思った。
日英の言語のエネルギーはどれくらいか数値化できないけど、
「そうね」とか「食べる?」とかは日本語言ってて、
もっと複雑な言葉のときは英語でしゃべってた。
でも時々「で」とか「とか」は日本語を使ってた。
面白い。
単語でも「静電気がある」とか、
成語になっている言葉は日本語だった。
エネルギー的に最短経路をおそらく無意識的にとるんだな。
これは関西弁と東京弁の二言語を使い分けられる、
僕でも理解できる気がした。
ツッコミは関西弁のほうが合理的だし、
解説は東京弁のほうが合理だ。
気持ちは関西弁のほうを使うかな。
日英バイリンガルほどまざらないけど、
文脈に応じてエネルギーレベルが小さい言語が優位になる、
というのは全然物理学的にありそうだ。
手書きとタイピングというバイリンガルを考える。
最近手書きをしている中に、
たまに薙刀式の手の動きをしたくなる瞬間がある。
拗音同時押しがわかりやすい。
たしかにこれを使ったほうがエネルギーレベルとしては小さい気がする。
手書きで漢字をごにゃごにゃ書くよりも、
拗音同時押しして一意に漢字が確定するほうが楽だな、
と思うことがまれによくある。
タイピング中は、逆に手で書いたほうが早いわ、
となる瞬間はたくさんある。
とくにMS-IMEが一発で漢字変換を正しくしないときだね。
文脈考えたらわかるやろ、という時が、
一番むかつくよね。
鬱とか、画数の多いわりにたいした情報量がない言葉も、
タイピングのほうが若干楽かなあ。打つ、撃つ、などの別候補があったとしてもね。
自分の名前は圧倒的に手書きだな。書きなれているのがデカいかもしれない。
もともと手書きが苦手で、タイピングのほうが得意になってしまった人には、
こういう感覚はないのかな。
逆に手書きをしていると、タイピングの感覚のほうが楽なのに、
とイライラすることのほうが多いのかしら。
僕は、タイピングのほうがまし、と思える瞬間はまだそんなにない。
5:5くらいに混ざったバイリンガルになるべきなのかしら。
2025年06月13日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック