2025年09月23日

三幕構成なんて、ただの尺調じゃん

尺調とは業界用語(編集用語?)で、
尺の調整のこと。
長ければ切り、短ければ伸ばす。
映像には楽譜がないため、
楽譜通りの進行や遅れている進んでいる、
というのは数字で測るしかない。
その切り貼りを尺調という。

で、三幕構成理論が言っていることって、
ただの尺調だよな、ってこと。


三幕を、30分、60分、30分にせよとか、
25分くらいで第一ターニングポイント、
85分から90分くらいで第二ターニングポイント、
60分あたりでミッドポイントとか、
ただの尺調だよな。
1分2分を切ったり貼ったりすることが、
脚本の本質に関わるとは思えない。

もちろん、第一ターニングポイント、第二ターニングポイント、ミッドポイント、
序盤、中盤、終盤という区別くらいは、
理論的に合っているとは思う。
しかし、
何分であることが本質的とは思えない。

尺調とは、つまり我々の気持ちいい時間は決まっているから、
それに合わせたほうがいい、ということだ。
8ビートでつくっているときに、
7ビートしかないとか、9ビートあるなら、
8ビートに整えたほうがいい、という話に過ぎない。
30分ドラマを書いているのに、
20分しかないとか、40分もあるならば、
尺調を免れまい。
10分足せとか、10分切れ、になるわけだ。

大きく外れたら良くない、というだけのことで、
案外多少はなんとかなるので、
そんなに厳密に考えることはない。

けど、
やっていることって尺調にすぎず、
ストーリーの本質的なことを考えているわけじゃないよね、
という話をしようとしている。


どういう展開が面白いのかとか、
こういう要素を足すべきだとか、
これは余計だとか、
もっと深堀するべきだとか、
ここはすっ飛ばしてもよい、
飛ばしたほうがよくなる、
などについて、
三幕構成理論は、なんら予言しない。

何をテーマとして描くべきかとか、
モチーフとテーマの関係とかも、
三幕構成理論は予言しない。

単に尺調の理論でしかないことに、
早晩気づくべきであろう。


逆に、三幕構成理論にのっとった話は、
「収まってる」まである。
収まった話は安心できるが、
面白いとは限らない。
収まっていない話は安心できないが、
ひょっとしたら収まっている話にはできないことをやれてるかもしれない。
人間と同じなので、
出来上がってみるまで分からない。

床屋に行けば髪型は整えられる、
ということしか言っていないことに気付かれたい。
床屋に行っても行かなくてもいいが、
整っているほうが見やすいというだけのことである。
posted by おおおかとしひこ at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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