ウッディアレンの未見のやつを潰してこうかな、
などと思ってみてみた。
半径5mの話。
(半径2mが、個人ともう1人のセカイ系だとしたら、
もうちょっと大きな、肉親と前夫妻くらいの半径)
たしか公開当時、80年代は、
「オシャレな都会のニューヨークで、
オシャレなジャズに囲まれながら、
軽妙洒脱な都会の恋愛劇」
なんて捉え方をされていたような気がする。
都会的恋愛トレンディードラマの、
元ネタ的な扱いだったような。
そのガワが今や剥がれたものとしてみると、
単なるオトナの(年のいった)恋愛もの、
という中身が見えてくる。
今や東京も、
その他の先進国の都市も、
当時のニューヨークの水準に来ている。
建物も音楽も。
離婚は珍しくないし、
再婚も珍しくないし、
不倫も全然珍しくないし。
当時は、
「妻の妹に恋して抱いてしまう」
「結婚してないが内縁の夫がいるのに、
はげしく姉の夫に恋してしまう」
「離婚した元妻の妹とデートして散々で、
結局その人と結婚する」
なんてことは、
珍しかったのかなあ。
そこまでよくわからないが、
そうした、
「伝統的婚姻、恋愛観をくずした」
ことすらも、オシャレであったように思う。
なんせこのあとでしょ、主婦の不倫を描いた、
「金曜日の妻たちへ」は。
バブル期の日本は、
建物、音楽、そしてライフスタイルを、
輸入しつつあったという時代背景があろう。
で。
それをさっぴいて、40年後に見ることになる。
立ち現れたのは、
オトナと言えども勝手に恋愛している、ということや、
病気や死への恐れであったり、
神のジョーク的な相対化(ある意味、神は既に死んでいる)、
などであろう。
つまり、とてもシニカルな世界観だ。
希望や前向きやハッピーなどなく、
ただ皮肉なジョークと音楽と酒とドラッグで毎日をすごし、
まあそこに恋愛だけが幸福を持ってきてくれる、
という世界観だろうか。
そしてその恋愛のアガリ感は、
何年か経つとなくなる。
この、オトナのどんづまり感が、
うまく描かれていたように思う。
つまり大人の自主映画的な感じだった。
みんな家族や子供にも冷めていて、
表面上の付き合いしかしてない感じは、
当時の世相をうまく映してるなーと思った。
ここから、核家族や家族の分裂が、
はじまっていく。
まあ、なんだったんや、
という感じ。
オシャレな記録映画、ヨーロッパ映画っぽかったなあ。
笑えるネタが下ネタしかなかったのは、
笑いが古くなったからか?
世界共通がそれしかないからか。
なんでこれがオスカー脚本賞取ったんやろ。
「ないタイプ」だった可能性はあるかもね。
「世界中がアイラブユー」も未見だが、
ちょっとおなかいっぱいなのでまた今度。
「東京ラブストーリー」も、
今見たら鼻で笑うレベルなのかしらねー。
2025年06月22日
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