2025年06月22日

映画からガワが失われた時(「ハンナとその姉妹」評)

ウッディアレンの未見のやつを潰してこうかな、
などと思ってみてみた。

半径5mの話。
(半径2mが、個人ともう1人のセカイ系だとしたら、
もうちょっと大きな、肉親と前夫妻くらいの半径)

たしか公開当時、80年代は、
「オシャレな都会のニューヨークで、
オシャレなジャズに囲まれながら、
軽妙洒脱な都会の恋愛劇」
なんて捉え方をされていたような気がする。
都会的恋愛トレンディードラマの、
元ネタ的な扱いだったような。

そのガワが今や剥がれたものとしてみると、
単なるオトナの(年のいった)恋愛もの、
という中身が見えてくる。


今や東京も、
その他の先進国の都市も、
当時のニューヨークの水準に来ている。
建物も音楽も。

離婚は珍しくないし、
再婚も珍しくないし、
不倫も全然珍しくないし。

当時は、
「妻の妹に恋して抱いてしまう」
「結婚してないが内縁の夫がいるのに、
はげしく姉の夫に恋してしまう」
「離婚した元妻の妹とデートして散々で、
結局その人と結婚する」
なんてことは、
珍しかったのかなあ。
そこまでよくわからないが、
そうした、
「伝統的婚姻、恋愛観をくずした」
ことすらも、オシャレであったように思う。

なんせこのあとでしょ、主婦の不倫を描いた、
「金曜日の妻たちへ」は。
バブル期の日本は、
建物、音楽、そしてライフスタイルを、
輸入しつつあったという時代背景があろう。


で。

それをさっぴいて、40年後に見ることになる。

立ち現れたのは、
オトナと言えども勝手に恋愛している、ということや、
病気や死への恐れであったり、
神のジョーク的な相対化(ある意味、神は既に死んでいる)、
などであろう。
つまり、とてもシニカルな世界観だ。

希望や前向きやハッピーなどなく、
ただ皮肉なジョークと音楽と酒とドラッグで毎日をすごし、
まあそこに恋愛だけが幸福を持ってきてくれる、
という世界観だろうか。
そしてその恋愛のアガリ感は、
何年か経つとなくなる。

この、オトナのどんづまり感が、
うまく描かれていたように思う。
つまり大人の自主映画的な感じだった。

みんな家族や子供にも冷めていて、
表面上の付き合いしかしてない感じは、
当時の世相をうまく映してるなーと思った。
ここから、核家族や家族の分裂が、
はじまっていく。


まあ、なんだったんや、
という感じ。
オシャレな記録映画、ヨーロッパ映画っぽかったなあ。
笑えるネタが下ネタしかなかったのは、
笑いが古くなったからか?
世界共通がそれしかないからか。

なんでこれがオスカー脚本賞取ったんやろ。
「ないタイプ」だった可能性はあるかもね。


「世界中がアイラブユー」も未見だが、
ちょっとおなかいっぱいなのでまた今度。

「東京ラブストーリー」も、
今見たら鼻で笑うレベルなのかしらねー。
posted by おおおかとしひこ at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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