2025年10月02日

映画とはどのような形をしているか

僕は、おもしろそうなガワで人を引き付け、
それと全く異なる中身で、
人を感動させるもの、だと考えている。


ガワは、
たとえばSF的な世界観、
レースもののスピード感、
アクションや爆発、
うっとりするラブストーリー、
美男美女、
最高の音楽、
爆笑なコメディシーン、
ウィットに富んだ会話、
恐怖や不気味なホラー、
謎多きスリラー、
CGでつくったなにか、
巨大なセットや仕掛け物、
豪華衣装、
などなどなどだ。

つまりは見世物である。
これはこのようなショウである、
サーカスである、見世物小屋である、
と看板に書いてあるやつ。


僕がブロッコリーポスターがクソだというのは、
この見世物の内容がよくわからないからだ。
ブロッコリーはキャスト表でしかなくて、
芸能人が見世物になってしまい、
「出し物」は何かがわからない。
パーティーをやるぜ、
AとBとCが来るよ、しか言ってなくて、
何パーティーかわからない宣伝は、
パーティーの告知の意味がない。
なぜなら、
パーティーの内容がおもしろそうだから、
人は来るのだ。
乱交パーティーなのか麻薬パーティーなのか、
釣り大会なのかバーベキューなのか、
自作キーボードの集いなのかで、
行きたいか行かなくてもいいやが変わってくる。

この、見世物小屋の看板が、
ガワだ。


かつては、
CGやSFXによって、
全く新しい世界をつくることが、
ガワとして魅力的だった。
金をかけたデザインや仕掛けが、
人を呼んだものだ。

だけどそれが、CGの発達によって、
求心力を失ってると思う。
オープンワールドゲームよりも、
じっくりとその世界を眺めることができないからだ。

で、仮にそのじっくりと眺めたり、
インタラクションできるゲーム世界だとしても、
「見たことのない世界」が飽和して、
「大体見たことのあるものの組み合わせ」
になりつつある。

かつてトレンディドラマが、
見たことのあるイケメンと見たことのある女優の、
順列組み合わせだと揶揄され、
飽きられていったことと似ている。

だから、
「新しい世界、新しいビジュアル」は、
急速にヒキが落ちている。
2025年版「スーパーマン」の予告を見ても、
「すげえ新しい世界!」とは思えない。
1978年版の、
水晶洞窟や鏡に閉じ込められてる悪人のような、
「すげえ斬新な世界!」とは、
もう思えないんよな。
ショート動画やネットなどで、
新しい絵が消費されまくってるからだろうな。

実際に金をかけた実物は、
CGよりも実在感があり、
説得力がある。

先日見た「メガロポリス」の、
結婚式のシーンは凄まじく金がかかってて、
昨今のCGよりも圧倒的によかったよ。
この無駄遣いこそが娯楽だよ。

娯楽とはつまり、貴族の遊びにほかならないよね。

膨大な奴隷、生きてる人間を消費することが、
貴族の遊びであり、娯楽の本質だと思う。

つまり我々はローマの剣闘士がその場で死ぬ事を期待している。
CGが死ぬ事を喜ばない。



さて。

これを客引きとして、
映画は視覚ショウで終わるものではない。

物語で人の魂を震わせる。

客引きはあくまで入口にすぎず、
中に入ったら、
人間の本質を描く、
事件と解決と行動と決断と、その結果によって、
人生を感じるものである。

そしてそれが、映画の物語的本質であると思う。



間違った宣伝は、
本質を示して、ガワを見せないものである。
タイトルに「父」と一言で終わらすような、
そういうつまらなそうなやつね。
仮に、いかに泣けて、人生の本質を示していても、
そんなものに人は興味をすぐには持てない。

たとえば、
「父は決してワサビを使わなかった。
涙が嫌いだからだ。」
こんな2行をガワにしてもいいと思う。
なにか特徴があり、ほかと異なるものが、
看板になるべきだ。
その先の本質は、「そのガワによって表現され得るもの」
がベストであろう。

ガワだけ見せて、
本質を見せないのも、間違った宣伝だ。
「メガロポリス」の予告は、
本質を抽出できず、ガワだけで押し切っている。
https://m.youtube.com/watch?v=QD9B2eWQnj4&t=78s&pp=2AFOkAIB0gcJCfwAo7VqN5tD

ちなみに本編内で完成するユートピア、
都市としてのメガロポリスは、
既視感満載の、つまらぬCGだった。
(予告では使われていない。懸命な判断)

市長と天才建築家の対立、
市長の娘が建築家とつきあう、
悪役が貶めようとする、
というストーリーの何も予告には出てこない。

まあ、出たからといってたいして面白くもない中身なので、
ガワに振り切ったこの看板はある意味正しい。

だけど、ここに出てくるガワが、
ひとつも新味がないので、
看板としての効力がないのよ。



映画はガワをつくるものである。
映画は中身をつくるものである。

両方やらなければならない。
そして、
そのガワで、中身をイコン化しなければならない。

ガワが新しくないなら、
中身がいくら面白くてもしょぼいクソだ。
中身がスカスカなら、
ガワがいくらすごくても羊頭狗肉である。

そして今、ガワの新味をつくることが、
結構難しい時代に入ったと思う。


両輪を計画しなければならない。
そのバランス感覚を持ってる人が、
「映画を書くのがうまい」ということである。
posted by おおおかとしひこ at 07:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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