2025年10月04日

オバサンのいない世界

そういえば僕はオバサンを書くのが苦手だ。


昭和っぽいオバサン、
つまり子供の頃見たオバサンなら、
記号的に書けるけど、
今のオバサンが何考えてるのか、
リアルに書くのは難しいと思う。

何に喜び、何に悲しみ、
何を密やかに考え、どうなりたいと思ってるか。
ある出来事が起きた時の反応。
実際の行動力。

オバサンいうても、40のオバサンと50のオバサンと、
60のオバサンではだいぶ違う。
出身や経歴でもだいぶ違う。
仮にスーパーのレジのオバサン3人の物語、
と言われても人物造形に困るし、
その後の展開も困りそうだ。

それはやはり、自分のオバサンの解像度が低いからだろう。

自分がオジサンであり、
オジサンまわりの解像度の高さに比べると、
オバサンは世界に存在してないかのようである。


逆もある。
女の作家や、ふつうの女の人は、
オジサンへの解像度が低そうだ。
オバサンの解像度はたぶん高い。

これが、昨今の、
オジサン迫害、人権のなさに繋がってる感じがする。
オバサンの人権を迫害したらフェミが黙ってないが、
オジサンを守るパワー団体もないのでね。
オジサンの解像度や理解を上げれば、
これを防げるだろうか。

どうやって「異性の年取った人たち」を理解すればいいかな?
「年取った人たち」だけならいいんだけど、
「異性の」が絡むと急に厄介になるよね。

オバサンが化粧してる意味は、
たとえば僕にはわからんのよね。
社会的慣習以上に、内面化した何かがあるのはわかる。


などと、道に広がって歩いてるオバサンたちを見て思った。
あいつら女子高生のつづきをやってやがる、
のは理解できる。
posted by おおおかとしひこ at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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