そういえば僕はオバサンを書くのが苦手だ。
昭和っぽいオバサン、
つまり子供の頃見たオバサンなら、
記号的に書けるけど、
今のオバサンが何考えてるのか、
リアルに書くのは難しいと思う。
何に喜び、何に悲しみ、
何を密やかに考え、どうなりたいと思ってるか。
ある出来事が起きた時の反応。
実際の行動力。
オバサンいうても、40のオバサンと50のオバサンと、
60のオバサンではだいぶ違う。
出身や経歴でもだいぶ違う。
仮にスーパーのレジのオバサン3人の物語、
と言われても人物造形に困るし、
その後の展開も困りそうだ。
それはやはり、自分のオバサンの解像度が低いからだろう。
自分がオジサンであり、
オジサンまわりの解像度の高さに比べると、
オバサンは世界に存在してないかのようである。
逆もある。
女の作家や、ふつうの女の人は、
オジサンへの解像度が低そうだ。
オバサンの解像度はたぶん高い。
これが、昨今の、
オジサン迫害、人権のなさに繋がってる感じがする。
オバサンの人権を迫害したらフェミが黙ってないが、
オジサンを守るパワー団体もないのでね。
オジサンの解像度や理解を上げれば、
これを防げるだろうか。
どうやって「異性の年取った人たち」を理解すればいいかな?
「年取った人たち」だけならいいんだけど、
「異性の」が絡むと急に厄介になるよね。
オバサンが化粧してる意味は、
たとえば僕にはわからんのよね。
社会的慣習以上に、内面化した何かがあるのはわかる。
などと、道に広がって歩いてるオバサンたちを見て思った。
あいつら女子高生のつづきをやってやがる、
のは理解できる。
2025年10月04日
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