2025年06月27日

【薙刀式】不便をうけいれよう

qwertyに固執する理由として、
「他で使えないと不便だから」がある。
でも僕は、qwertyを使うことが不便だと思う。

配列を変えたら便利になるが、
他で使うときにはqwerty併用のときもあるし、
OSアプデで使えなくなる不便さもある。

どっちにしても不便なんだから、
どの不便を受け入れるかだ。


配列そのものの不便。

指の運指が不自然で、
指の使用頻度が不自然に偏り、
腱鞘炎を併発し、
母国語を書くのに不自然なリズムと指の動きを強制される。

ものを書くのに自然ではなく、
自然な文を書くためには、
指に錘をたくさんつけてやらなければならない。

スラスラと、思うことが湯水のように湧きいでて、
それを記録していくための動線ではない。


つまり、日本語を書くことに不自由する不便。
僕はこれが決定的だと思う。
こんな不自然な道具で書いたら、
言葉も不自然になるし、
思考も不自然になる。

つまりアウトプットの質に直接影響がある。

もしあなたの文章には大して影響がない、
と思ってるのだとしたら、
あなたの文章に価値がなく、
たいした文章じゃないからかもしれない。

まともに文章を書き、
真正面から何かを論じようと思ったら、
こんな不自然な道具で論じれるわけがない。
手書きのほうがよっぽど論旨が通り、
的確な語の選択ができるというものだ。


だから僕は日本語を書くのに自然な指使いが出来、
疲れず、文がよれにくい、
薙刀式をつくったのだ。



新配列を使う不便は、
よそで使えないからqwertyを使うとか、
自分以外の環境の話だ。

これは、
「自分の環境で正しく楽にまともな文を書き、
よその環境では適当な文を書く生活をする」
選択をしていることに他ならない。

よそでは借りてきた猫になるが、
家に帰れば虎になるわけだ。

その猫かぶりの不便だけだ。


どちらの人生を選ぶかね?


僕は、新配列を取った。
よそでの不便など、
「自分の思い通りの文章が書けない苦痛」
に比べれば、100万分の1の苦痛だ。



どちらの不便と生きていくか?
あなたはキーボードで何をしたいのか?

それを考えたうえで、
不便を選択するしかない。


どちらの不便を選んでもいい。
僕は、qwertyに二度と触りたくない。
posted by おおおかとしひこ at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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