kouyさん:
> 「何を1要素と思うか」に加えてもう1つ、「何を1アクションと思うか」もあると思う。ローマ字入力の達人ならかなりの打鍵数を「1アクション」と思っているだろう。そして、そういう要素は新下駄配列にもあるし、他の配列にもある。
これは、使い手の技術に寄る部分も大きいだろう。
僕の理想は、1文節1アクションという話をしたい。
日本語の単位は子音でも母音でもカナでも漢字でも、
単語でもないと思う。
そこに助詞などがついた、1文節だと考える。
「薙刀式」「薙刀」「式」や、
「な」「ぎ」「な」「た」「し」「き」が単位ではなく、
「薙刀式が」「薙刀式の」「薙刀式から」
を1単位と考えたい。
プラモの基本パーツを何かと考える違いではある。
文章を考える時に、
単語単位で考えないでしょ。
いや、バカは単語を頭に浮かべて、
順番に出してくるのかもしれないが、
大人の知性があれば、
文節くらいが思考の単位になると思う。
僕は、その1単位を1アクションで打ちたいのだ。
日本語の文節の代表は、
俳句に代表されるように、5音または7音だ。
平安の昔から歌謡曲から名演説から都々逸に至るまで、
名調子は5と7を基礎とする。
なので、それくらいを1アクションとしたい。
「なぎなたしき」くらいは1シークエンスで自動的に打てるので、
「なぎなたしきの」の7モーラは、
僕は1アクションで打っている。
一方、ローマ字タイパーの、
1カナを同時押し(本当の同時押しではなく、
同時押しに近いずらし押しでなければ子音先行できない)
で1アクションと見ている考え方は、
視野が狭いと思う。
もっとも、
多くて1000モーラ、
短い時は10モーラ程度を最速化することを考える時に、
1モーラ単位で考えるのは、
0.01秒の精度を高める上では当然の意識だろう。
でも僕は10万字とか書きたいんですよ。
13万モーラぐらいを問題にしているわけ。
何稿も書き直すから、20〜30万モーラ?
だから、
意識のスケールが違うんだろうと思うのです。
10万字くらいを書くときに、
1文節を単位とするしかない気がしている。
1文や1段落や1節や1章を単位とするのはリライト時で、
第一稿を書いてるときは、
地道に泥まみれになって1文節をひねりだしていると思う。
というわけで、
僕は1文節を1アクションにしたい。
1モーラ1アクションのカナ配列では、
1文節を1シークエンスとみなして、
実質、1文節をひとつの手続きにすることが可能だろう。
意識の上では1アクションだと思って良い。
格闘技におけるコンビネーションみたいなことだ。
ワンツーは2アクションではなく1アクション、
みたいな意識配分ということだ。
ローマ字のような打鍵数が多いものは、
5モーラ7モーラの1文節を、
1アクションにするには、
かなり高度な技術が必要で、
人類の1%ができるかレベルじゃないだろうか?
5モーラは8.5打、7モーラは11.9打必要だ。
できる人はドヤ顔していいよ。
それがタイパーだというのはわかる。
僕は小説や脚本を書きたいのであって、
タイパーのような高度な技術をマスターしたいわけではない。
できるなら、
素人のまま楽器を習わずに、
オーケストラを指揮したいわけだ。
そのためにどういうショートカットをするか?
という議論をしているのだ。
薙刀式は、その最短距離をいくやり方(のひとつ)だと思う。
僕がローマ字方式そのものに懐疑的なのは、
1カナを同時押しできたからといって、
ひとつづきで打てるのは、
僕にはせいぜい2〜3モーラが限界だから。
これは僕の技量が低いせいもある。
だけど、7モーラをひとつづきで打てるには、
10年くらいの年季がいりそうなんよね。
それを鍛錬するのは、作家にとって現実的じゃない。
薙刀式なら5モーラをひとつづきで打てるのは、
半年から1年でいけると思う。
あとは普段の文章量にもよるし、
すべての5モーラではなくて、
よく使うフレーズだろうけど。
1アクションをつまり、
微視的に見すぎてると僕は思うのさ。
1文節1アクションくらいなんだから、思考というのは。
で、タイパー攻略的には、
qwertyで打ちやすいようにチャンク化するらしい。
つまりqwerty依存文節みたいなことだ。
その1チャンクが日本語として不自然な箇所、
というのが僕のqwertyへの最大の否定点だ。
それは日本語を書く道具じゃねえだろと。
たとえばたのんさんのチャンク化の例を引用。
「きょうはあめがふっていた」
「kyouhaamegahutteita」
「kyo/u/ha/ameg/ah/ut/tei/ta」
「kyo/uha/ameg/ahut/tei/ta」
これは競技として0.01秒でも縮める方法論なので、
「文章を書く」ための方法論ではないことに注意されたい。
きょうは/あめが/ふっていた
きょうは/あめがふっていた
のように区切れて、はじめて日本語だろう。
薙刀式ユーザーは、
「いやもちろんそういう風に、
指や意識配分してるわ」だと思う。
ちなみに運指的には、【】をセンターシフト、()を同時として、
(WI)LC/J【R】(FJ)/【;】GEKN
きょうは/あ め が /ふ っている
になる。
CJは最速でつなげることはできるけど、
意識の上で分離してるんだからちょっと待ってもいいだろ、
という感覚。
1文節1アクションのつもりで打つこと。
1文節1シークエンス、と名付けようか。
そんな話は新配列の議論で、
あまりなされなかったような気がする。
助詞やら複合語やら活用語尾があるような、
日本語は複雑な構造をしているからだ。
でも複雑だから考えない、のではなく、
複雑だからこそどうシンプルに集約する?
を考えるべきだと思う。
他の原理があっても、もちろんよい。
岡さんのアプローチもおもしろいし、
統計的2連接で大数の法則的に収束するのだ、
たとえ悪運指が微視的にあっても、という新下駄のアプローチもおもしろいし、
連続シフトでつなげる、という飛鳥のアプローチもおもしろい。
和音漢直やステノワードみたいな、
Nキー同時押しで単語+活用形まで打ってしまうアプローチもある。
(できなさそうだけど)
2025年07月02日
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