2025年07月03日

【薙刀式】連続的思考、文節1シークエンス、助詞での減速

これらがひとつの糸につながるのでは。


連続的思考とは、
筆を止めずに書き続けること。

間欠的思考(断続的思考)とは、
ある一定まで考え、書き、
筆を止めてまた考え、たまったら書き、
を繰り返すこと。

僕は前者のスタイルであり、
連綿と続く思考を止めずに、
その流れのまま文面に注ぎたいタイプ。
だからその思考を止めるような、
遅い打鍵がむかついて、
ここまでタイピングを研究してきたのだと思う。


qwertyでも連続的思考ができる人がいるかもしれない。
だけど自由文を10分程度あげている人は皆無なので、
調べようもない。
唯一めんめんつさんの動画で確認できるが、
予想通り間欠的であった。

薙刀式動画を見ればわかるが、
ほとんど僕は手を止めない。
段落頭でここからどっちに行こうかな、
なんて考えることもあるけど、
大体書きながら考えてるので、
考えも手も中断せずに、
たらたらと書いてるように見える。

それは考えを書き写しているのではない。
書きながら考え、
書くことが次の考えを促すのだ。

間欠的思考では、その行ってこいの幅が大きく、
パケットがデカい。
連続的思考では、その行ってこいの幅が、
文節より小さい単位で行われている。
小さなパケットで通信してる感じ?

フィードバックが速いのかな。



で。
qwertyローマ字では僕はそれが無理だったので、
薙刀式をつくった。
これは、
連続的思考を実現するための道具である。

そこで前記事と繋がってきたのだ。
1文節を1単位と考え、
その代表的な5音(モーラ)、7音(モーラ)を、
1シークエンスで書きやすいのが薙刀式だ。

文節末に来やすい、
助詞や助動詞は、
シフト側や同時押しに集中していて、
そこで半拍減速する。

例: の=スペースを押しながらJ
  が=FJ同時押し

ここと連続的思考が1本の線でつながる。


連続的思考を実現するために、
1文節をじゃらっと一連で打てる必要があり、
文末でやや減速して、
その時に思考と通信してフィードバックをし、
次の文節の手がかり(イメージとしては足がかり)に、
してるからでは?

という説。
もちろん思考-手の通信は文節末のみではなく、
常におこなっているのだが、
それをいったん半拍で文節単位まとめをやる、
みたいなイメージ。

僕は文節単位で変換をかけて、
1発変換でいけるやろと予測してる時は、
ノールック確定(次の文字を書くことで自動確定)してるが、
その時に思考通信をしてるのだろう。

変換がノイズだと僕が思うのは、
そのとき、
文と思考のつながりが切れるからだと思う。

で、文節単位でなく、文単位でも考えてて、
ノールック確定の変換ミスに気づくのは、
文の中の後半文節であることが多く、
このときに「戻って再変換して文末に戻る」
機能を持つショートカット群の編集モードを使いまくっている。

これは、
おそらく文節末助詞の減速程度では、
思考と通信して吐き出すことで精一杯で、
漢字が正しいかどうかのチェックができないからだろう。
経験的に「漢字変換ミスりそう」って思った時、
思考を一旦止める必要があり、
このブレーキノイズが僕の漢直への興味ベクトルを産んでいる。


たぶん、僕が考えて、
薙刀式で書いてる時に、
こんなことが起こっている。

連続的思考という目的があり、
その手段として、
1文節1シークエンス(主観的には1アクション)、
文節末減速、
があり、
それによって結果、連続的思考が実現されている、
ということかな。

これらはどれが欠けたとしても、
「俺が手書きで文章を書いてる感じ」にはならない。

だからタイピングに僕はずっとイライラしていたし、
なんならなるべくタイピングを避けてきた。
ある日ムキーって切れて、
「キー配列 変更」って調べるまでは。




間欠的な思考、執筆スタイルの人だと、
コピー打鍵に近いのかしら。
その分量は1文から数文だろうと予測するが、
それをシミュレートするのがタイピングゲーム
(変換あり)なのかしら。
だとしたら、
無思考で、手は文だけ写しゃあいいんだよ、
になるのかしら。

そしたら、手がバタバタしようがなんだろうが、
タイピングゲームが速ければいいんじゃね?
ってなるのかもしれない。

そうじゃねえんだよ、
という僕の違和感は、
「qwertyは、連続的思考、執筆に使うには、
手の動線がふさわしくない」
とまとめることができようか。


連続的思考と、間欠的思考に、
優劣をつけるつもりはない。
それぞれのやり方でやればいいと思う。

だけどこれまで観察してきたように、
あるスタイルの人は、
自分と全く別のスタイルがあることに、
考えも至らず、みんな自分と同じだと信じ込んでいる。


連続的思考の人は多いのか少ないのかわからない。
おそらくそうした人が、
qwertyローマ字を批判して、
初期のオルタナティブ、
親指シフトに流れたのではないかと推測できる。

ただ、その後の連続的思考派は、
嫌々qwertyを使ってるのかはわからない。
それで、「タイピングが遅いんです」
と悩んでるのだとしたら、
そのqwertyは連続的思考を止める悪魔の道具だぞ、
と警告してあげたい。


手と思考をバラバラにしたい人が、
qwertyを使えばいい。
問題になるのは疲労度くらい?

僕は思考と手を両輪(まさに同時に回る両輪)
と考える派閥なので、
それにはqwertyはクソ中のクソだと激しく非難したい。


もちろん、連続的思考に薙刀式がベストである、
という主張をするわけではない。
連続的思考×qwertyができる人もいるかもだし
(世の中に見せてないだけで)、
その他の配列使いでそうしてる人もいるかもだ。

「爆速?動画見せてみろよ。なんだよおせーな」
という動画の人は、
連続的思考をしてるから、
「止めないカメの歩み」で、結果速いかもしれない。

1000字(変換後)/10分は、
相当速い部類に入ると思う。

というか、qwertyで1000出せる人は、
今のところトップタイパー3人ぶんしか動画がないので、
参考にならないのよね。
タイパー中級者や、プロライターの、
日常文打鍵動画を見てみたいのよ。

このブログ記事は1000〜2000字くらいなので、
これくらいの文章を書く動画を撮ってみて!
それで、間欠的か、連続的かもわかるし。



ちなみに連続的思考を鍛える方法として、
マラソンライティングというやり方がある。
「筆を止めない」を唯一のルールとして、
ずっと書き続ける訓練法だ。

書くことがなくなったら、「書くことがなくなった」と書き、
それでも出てこなければ、
「書くことがなくなった。どうしよう。何を書けばいいだろう?
えーっと、そうだな、昨日のあれを書くか。でもつまんないしなー、
まあいいや、昨日の飯の話をします」
みたいに思考をそのまま書くのだ。
内容は二の次にして、連続を重視する訓練法だ。

当時早撃ち自慢のタイパーめんめんつさんが、
いろは坂配列で挑み、
いきなり1時間マラソンやって肩を痛めた一件があった。
その時の感想は以下に詳しい。
https://menmentsu.hateblo.jp/entry/2020/04/13/214606

いきなりやるのは手が大変なので、
最初は5分、10分、20分くらいでやってみるのが良いと思う。



実際の原稿執筆になると、
数時間はこういうトランス状態になるわけよね。

もっとも、全く筆を止めないということはなく、
段落単位で長考するときもあれば、
トイレに行くふりをして長考する時もあるし、
スマホに逃げる時もあるけどね。

でも、90分(人間の集中力の限界あたり)、
ひとときも筆を止めないなんてことは、
書き物やってたら1か月に1回くらいあるでしょ。

僕は手書きではそれができる。
それをタイピングでも再現したくて、
現状にクソ不満があってやっている。
月に一回訪れる創作の神との時間を、
たかがタイピングごときに邪魔されたくないわけ。


現状のシステムを作った人は、
間欠的思考の人たちで、
連続的思考が存在するなどと露程も思ってないだろう。
そこに不満があるわけだ。
で、ないのならつくるしかない。


薙刀式なら、変換の時以外は、
大体連続的思考で書けることが、
「ひらがなのみで書いてみる」
という実験で確かめられている。
https://youtu.be/nTa-sFzolyw

このときの約2000が、
おおよそ僕の思考速度なのでは?
と推測している。

で、おそらく文節末の助詞や助動詞を、
少しだけゆっくり打つことで、
次を接着してるのでは、
と思うんよな。

なにせ無意識の領域だから、
自覚的にやるのも難しい。

ただ、自分のスタイルを実現しようとした道具としては、
薙刀式はいいぞ。
posted by おおおかとしひこ at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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