2025年10月07日

映画は、ミラー細胞で見るものではない

感情移入論。


ミラー細胞というものがある。
人間やほかの動物に備わっているもので、
相手の仕草を見たら、
その感情が沸き上がる、
というものだ。

これはある程度文化的に支配されている。
中指を立てる風習を知らなければ、
怒りや挑戦は伝わらないだろうね。
ある程度表情で伝わるだろうけど。

で、
お芝居を、
「悲しい顔をしてるから、私まで悲しくなる」
と勘違いしてはならない、
という話をしたい。

「悲しい顔をしてるから、
この人は悲しいのだろうと想像する」
までは可能だが、
「私まで悲しくなる」かは保証しない、
ということ。

楽しい顔をしてたら、観客は楽しくなる?
怒りの顔をしてたら、観客は同じく怒る?

そんな簡単にマインドコントロールできるわけないやん。


CMではいまだにこの方法が効果的だと誤解されている。
美味しそうに食べる顔があれば、
その人はそれを食べたくなる、
とマインドコントロールできると、
信じているかのようだ。

自分に置き換えてみればわかるのに、
なぜ置き換えられないのか、
僕はいまだにわからない。

CM見て、うまそうだな、食べてみたいと思うことってある?

実は、「ただ食べるだけ」ではそうは思わないのよ。
「新しい食べる快感」を見ると、
オッと思うんだよね。

日清のカップヌードルは、
あさま山荘事件の生中継で、
寒い時に外でカップヌードルを食べてる機動隊員が映ったときに、
爆発的に売れたという。

それはCMで食べるさまよりも、
新しく見えた。
寒い朝に仕事で現場を離れられず、
それでも暖を取りつつカップヌードルを食うのは、
うまそうだぞ、と思えたのだ。

こういう出会いのものがあれば、
想像力が働く。
自分も体験してみたい、とね。


単なるミラー細胞では、
ここまで食べたいとは思わないのよ。
うまそうに食ってんなー、
悲しそうだなー、
笑ってるなー、
怒ってんなー、
でしかないのだ。

とくに、映像の制作者が信用ならず、
冷めた目で見ていればさらにだ。

つまり、ミラー細胞で反応できるレベルは、
たかが知れている。

にも関わらず、
「泣いてる絵を見せたらみんな泣く」
と勘違いしてる無知が多すぎる。


つまり、
何か感情が昂っている様を見せれば、
その感情になるわけではない。
どんなうまい役者でもそれは無理だ。
「ほんとうにそのような感情に見える」
までしか再現できない。

ではなぜ私たちは映画で泣くのか?
ストーリーによってである。


我々は、ストーリーによって、
その人が泣く理由を知っているのだ。
その人が抱える事情があり、
ずっとこらえてきたのだが、
あることがあり、
こらえきれず泣く。
そういう事情を知ってるからこそ、
我々は泣く芝居で、ほんとうに涙を流すのだ。

モンタージュ理論を理解していれば、
Aのあとに無表情な顔をしても、
Aに対して良好なリアクションをしている、
と感じるのであった。
つまり、リアクションの芝居は、
最悪無表情でもいいんだよ。
Aの「文脈」のほうが大事なんだよ。

つまり、
私たちが映画で泣くのは、
「泣く顔を見たから」ではない。

その事情に親身になり、
感情の爆発に耐えられないから、
映画で泣くのだ。
それが感情移入という行為である。


ミラー細胞で伝わるのは反射レベルだ。
そうではなく、
事情をわかり、都合が見えて、
なおかつどうしようもなく泣けるから、
我々は泣くのだ。
ミラー細胞を促す役者の芝居は、
そのトリガーにすぎない。

だから、
本当らしさや、間や、タイミングが、
重要なのだ。
嘘臭かったり、わざとらしい、
ご都合主義の事情では、我々は鼻白むのみである。
つまらないストーリーでは泣けないわけ。
泣けるのは、極上のストーリーのみだ。


もちろん、
ストーリーの事情を理解し、
親身になってあげるのは、
大きくはミラー細胞のおかげであろう。
それがなかったら、
我々は群れとして生きられないだろう。
仲間を助け、仲間とともに生きる生物は、
皆ミラー細胞が働いている。

だけど、
泣いてる顔があるから泣く、
という短絡ではないことを考えるべきだ。


つまり、
映画で感情が昂るのは、
そのストーリーによるものだ。
その昂る場面に至るまで、
長い時間を過ごしているからこそ、
主人公の昂りに対して、我々も昂るのである。

ざっくりいえば、「情が湧いてる」のだ。

我々書く者は、
だから、
どんなにリアリティがあり、
詳細な場面を書いても、
それは点の感情であり、
情がわくほどの親近性はないことを、
理解することだね。


今日もCMでは、
美味しそうに食べたり飲んだりするカットが、
山ほど流れている。
バカだなあ。
映像の何たるかを知らないど素人め。
まあ、15秒で情がわくのは無理だから、
刹那的になっているのだろう。

だからといってミラー細胞の反応は、
テレビから売り場まで持つまい。
posted by おおおかとしひこ at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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