になるには、何が必要だろう?
最高の場面がまず絶対必要なものだ。
アツイとか、泣けるとか、思いが叶うとか、
勝利するとか、号泣するとかだ。
我々の感情がかつてないほど昂ぶり、映画ならではの感情が湧いてくるものだ。
音楽はドーンと鳴るだろう。デカい音量で、あるいはとても小さな音量で。
とにかく感情が揺さぶられ、
その映画独自のシーンになる、最高の場面が必要だ。
それはどのように脚本で書かれるのだろう?
音楽がドーン、などは脚本に書かないので、
セリフやト書きでそれを表現しなければならない。
つまりそれは、
音量や言い方や絵の良さではなくて、
ストーリーの良さで表現されている必要があるということだ。
何かしら感動したり、グッと来るものがあれば、
絵や音楽で増幅していけばよい。
その種が脚本に書かれていなければならず、
それはストーリーということである。
何もない平板な場面にしか見えていないなら、
脚本を書き直す必要があるだろう。
たとえば「最高の音楽が鳴るから、最高の場面なのである」
は脚本的に最高の場面じゃないよね。
極論、音楽が鳴らなくても最高の場面になるように書いておくべきだ。
さて。
もしその場面だけが最高だとしても、
まだ最高のストーリーじゃないよね?
あることがあって、こういうことになって、
こういう時があって、
最後の最後にこうなるから、
最高のストーリーになるんだよね?
最後に大勝利する最高の場面があるとしたら、
それだけじゃないよね?
ピンチがないと盛り上がらないし、
それをうまいこと切り抜ける場面もいるし、
あんなにダメかと思ったのに、ここから逆転するのか、
という流れもいるし、
最初こんなにダメだったのに、こんなに頑張って、
という場面もいるだろう。
つまり、
最後に大勝利するには、走馬灯のようにこれまでの場面がよぎるのが理想だ。
ラスト、仮に抱き合ってぐるぐる回るとして、
それがスローモーションになったら、
これまでの名場面たちが全部挿入されるようになってなければならない。
もちろん、名場面たちの挿入はないほうがよい。
なぜなら、再生されるのは観客の頭の中であるべきだからだ。
そういう風に思わず、
「ああ、大変だった、でも勝てて良かった、
あれは辛かったし、あれも大変だったし、ほんとうに頑張ってよかった」
となるようなことを、
回想して考えてもらえばもらうほど、
ラストが効くからだね。
そうなっていないような、
途中のあれこれがないと、
ラストが最高のストーリーにならないよね。
というわけで、
最高がほしいなら、
それまでの流れも最高になっていないと良くないわけだ。
ずっと勝ちまくって最後も勝つなんて、
全然平板で面白くないよね。
どん底があって、起死回生があって、さらなるどん底があって、
勝てると思ったら勝てなくて、なんて紆余曲折が、
あればあるほど面白いはずだ。
つまり、
結局はラストのカタルシスのための、
すべては前菜なんだ。
ラストから逆算しろ、というのはそういうことなのだ。
最高のクライマックスがあるから、
そこに至る最高の紆余曲折をつくるわけだね。
そしたら、どん底はじまりのほうが絶対面白いよね。
それが決意して何かを変えるところからやって、
それが徐々に拡大して、
一旦は調子に乗るのだが、何かにぶつかってやめる?となり、
いや、それでもやり続けるのだ、となり、
内部の軋みとかが表面化して、
やっぱり空中分解となり、
でもやり続けることで再構築がされて、
いけるかも、となり、
ここの踏ん張りどころを越えればいけるまで回復して、
最初はくじけるのだが、
いや行ける、となって、
最高の恐怖を越えたら行ける、
ということになるまで頑張るしかないとなって、
ついに勝利をつかむ、
という風になるはずだ。
もちろん、これらの順番や頻度は異なるだろうが、
最高のストーリーというのは、
こうした王道の最高さを持っているはずだ。
まったく別のパターンの最高をつくってもいいよ。
でも脚本的な流れは、
たぶん大体これからそんなに外れていないだろうと思う。
最高の脚本とは、最高の場面につながる、
最高のストーリーのことである。
起伏は偶然できるのではなく、こちらが意図してつくっている。
ジェットコースターの設計のようにね。
スリルがあり、リターンがあり、予測があり、
予測はずしがあり、みたいにね。
それを最高にするには、ストーリー次第ではあるが、
思いつきだけでできないことはたしかだ。
つまり、最高のストーリーは、
最高の技巧でのみつくることができる。
2025年10月09日
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