僕は薙刀式はとても打ちやすい配列だと考えている。
古今東西すべての配列を触ったわけでないのであれだが、
日本一打ちやすい配列の一つだろうと。
それは、実戦文というのは変換を挟むからだ。
最近、薙刀式は、
「つなぎの語で減速して、
そこで変換かけて文意を確定しやすいようになってるのでは?」
という仮説を出した。
○○の○○○は○○であり、
○○には○○○もある。
だが、○○○を○○したとしても、
○○なのだ。
みたいなのが日本語の典型的な構造であり、
○○は話題の語、
その他はつなぎの語と薙刀式は分類している。
これを、通常より遅い打鍵を当てる
(シフトや同時打鍵で)ことで、
変換へのタイミングをコントロールしてるのでは?
と最近気づいたわけだ。
一方前記事でも議論した、
ランダムタイピングがある。
競技タイピングは「考えないこと」で速くなる。
だから、
速度にムラがあるべきではなく、
「の」「は」「であり、」
などで減速するなどはもってのほかで、
理想としては、
どの連続した2文字も等速度になることだろう。
これは意味を捨てているから出来ることだ。
だが意味を追求する、
実戦の創作文では、
変換単位や文節単位で考えることが、
必要なのでは?
と思う。
薙刀式は、それをつなぎの語あたりを境界線にするよ、
ということである。
これが、「文章を書く上での打ちやすさ」
ではないか、
と僕は主張したい。
ラクダエンさん:
> フタワフタバだと息つくヒマがないんだよね。行段で左右並行でキー範囲が小さくて同時押しもなくて、ずーーーーっと巡航速度出せる設計だから、変換も見えないし、止まらないと考えられない。薙刀式で句読点が裏なのもそれよね。
逆を考えると、
等速で扱える配列は、
どこかでブレーキをかける必要がある、
ということかしらね。
かつて作られた配列たちは、
タイピングゲームでの高速性のレベルを考えていたと思う。
つまり、
変換なし、
自分の中から出てくる意味を書き留めるわけではない、
句読点もなんならない、単語単位
のようなことだ。
変換ありでしかも自分の言葉を書いていく時に、
等速でキーを押すか?
ということだ。
つまり、思考には速度ムラがある。
日本語がそのような言語だからだ。
そのムラのリズムに、
薙刀式は合わせやすい配列だ。
仮にそれを七五調としたら、
等速打鍵は七五調に最適化されてないわけだ。
七五調に最適化されてる配列の方が、
「打ちやすい」のでは?
ということ。
もちろん、逆に等速タイピングが苦手になるだろう。
というわけで、
薙刀式の句読点が裏にいるのも、
そうした理由だと思う。
実戦の思考や文章とはどのようなものか?
等速度でずっと流れる信号ではなく、
大きくは流れに乗りつつ、
ストップアンドゴーがこまめにあるようなものではないだろうか。
読む側だって一定速度では読まないだろう。
じっくり読みたいところや立ち止まりたいところもあれば、
スピード感のある読み方のところもあるだろう。
そのテンポ感に、薙刀式はあってる気がする。
2025年07月19日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

