2025年07月19日

【薙刀式】打ちやすさ

僕は薙刀式はとても打ちやすい配列だと考えている。
古今東西すべての配列を触ったわけでないのであれだが、
日本一打ちやすい配列の一つだろうと。

それは、実戦文というのは変換を挟むからだ。


最近、薙刀式は、
「つなぎの語で減速して、
そこで変換かけて文意を確定しやすいようになってるのでは?」
という仮説を出した。

 ○○の○○○は○○であり、
 ○○には○○○もある。
 だが、○○○を○○したとしても、
 ○○なのだ。

みたいなのが日本語の典型的な構造であり、
○○は話題の語、
その他はつなぎの語と薙刀式は分類している。

これを、通常より遅い打鍵を当てる
(シフトや同時打鍵で)ことで、
変換へのタイミングをコントロールしてるのでは?
と最近気づいたわけだ。


一方前記事でも議論した、
ランダムタイピングがある。
競技タイピングは「考えないこと」で速くなる。
だから、
速度にムラがあるべきではなく、
「の」「は」「であり、」
などで減速するなどはもってのほかで、
理想としては、
どの連続した2文字も等速度になることだろう。

これは意味を捨てているから出来ることだ。


だが意味を追求する、
実戦の創作文では、
変換単位や文節単位で考えることが、
必要なのでは?
と思う。

薙刀式は、それをつなぎの語あたりを境界線にするよ、
ということである。

これが、「文章を書く上での打ちやすさ」
ではないか、
と僕は主張したい。


ラクダエンさん:
> フタワフタバだと息つくヒマがないんだよね。行段で左右並行でキー範囲が小さくて同時押しもなくて、ずーーーーっと巡航速度出せる設計だから、変換も見えないし、止まらないと考えられない。薙刀式で句読点が裏なのもそれよね。

逆を考えると、
等速で扱える配列は、
どこかでブレーキをかける必要がある、
ということかしらね。



かつて作られた配列たちは、
タイピングゲームでの高速性のレベルを考えていたと思う。
つまり、
変換なし、
自分の中から出てくる意味を書き留めるわけではない、
句読点もなんならない、単語単位
のようなことだ。

変換ありでしかも自分の言葉を書いていく時に、
等速でキーを押すか?
ということだ。

つまり、思考には速度ムラがある。
日本語がそのような言語だからだ。

そのムラのリズムに、
薙刀式は合わせやすい配列だ。

仮にそれを七五調としたら、
等速打鍵は七五調に最適化されてないわけだ。
七五調に最適化されてる配列の方が、
「打ちやすい」のでは?
ということ。

もちろん、逆に等速タイピングが苦手になるだろう。


というわけで、
薙刀式の句読点が裏にいるのも、
そうした理由だと思う。

実戦の思考や文章とはどのようなものか?
等速度でずっと流れる信号ではなく、
大きくは流れに乗りつつ、
ストップアンドゴーがこまめにあるようなものではないだろうか。
読む側だって一定速度では読まないだろう。
じっくり読みたいところや立ち止まりたいところもあれば、
スピード感のある読み方のところもあるだろう。

そのテンポ感に、薙刀式はあってる気がする。
posted by おおおかとしひこ at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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