アドリブは、「とっさに今作って今言うこと」
のように解釈されてるから、
ある映画の「このセリフは役者のアドリブ」
という豆知識が広まると、
「よーいスタートの直後、
本番中に役者が咄嗟に言ったもの」
と誤解されることがよくある。
実はそうではない。
本番より何日も前から、
役者が準備していることがほとんどだ。
そうではない、
「素のリアクション」狙いというのもある。
「ローマの休日」では、
ヘプバーンには内緒で、
「真実の口に手を食われた」と手を袖に隠したら、
彼女は本気で驚いたそうだ。
「シャイニング」では、
斧で扉を叩き壊すことは黙っておいて、
彼女をパニックに追い込んだらしい。
「スター・ウォーズ2(ep6)」では、
台本では「お前の父を俺が殺した」
とフェイクになっていて、
本番でいきなり「私がお前の父だ」
と言わせて、そんなバカなという顔を狙ったらしい。
昔やったCMだと、
オーディションでガチガチに緊張してた女優が、
あまりにもコメディとして面白かったので、
本番も「怖い監督と怒られる助監督」をわざとやって、
ここは怖い現場だと勘違いさせて、
女優をガチガチに緊張させたことがある。
(あとでネタバラシして誤ったけど)
これはもはや演技じゃなくて「素」よね。
アドリブではないよね。
「ロッキー」のランニングシーンで、
市場のおっちゃんがロッキーにリンゴを投げて差し入れしたのは、
本番でのアドリブらしい。
市場のおっちゃんは役者ではなく、本物の市場の人で、
若いボクサーにリンゴを差し入れしたつもりだったんですって。
ただ本番のそれがそうかはわからない。
テスト撮影したらそういう珍事件があったので、
それを取り入れようとなって、
本番でも何回か投げてくれた可能性もあるね。
AVのセックスはオールアドリブだろうか?
なんとなく段取りがあることはみんなわかってるよね。
カメラから見えやすい角度にすることは、
よくあることはわかっている。
反応は全部アドリブかな?
みんなが期待してることをやる演技かな?
その半々を楽しむことでもあるよね。
プロレスと似ていると思う。
一方、格闘技の試合は全アドリブだ。
八百長がないならね。
じゃあ、役者のアドリブは、
格闘技の試合のようなものか?
そうじゃないことがほとんどだ。
たとえば、
「ブレードランナー」の、
ルトガーハウアーのセリフ、
「オリオン座の肩の近くで炎を上げる戦闘艦。タンホイザーゲートのそばの暗闇で瞬くCビーム。そうした記憶もみんな時とともに消える、雨の中の涙のように。死ぬ時が来た」
はアドリブだと言われるが、
そんな長セリフをその場で思い付けるはずがない。
調べると、
もっと長いセリフがすでにあり、
それを彼がカットしたのだそうだ。
その代わり、
「雨の中の涙のように」を、
彼がつくったんですって。
これは、
「覚え切れないから短くしたろ!」と、
「それを一言でいうセリフを考えたろ!」の、
2つの動機がまざった結果であろう。
そしてよーいスタートから考えたのではなくて、
事前に準備してきたもののはずだ。
そしておそらくだけど、
事前に監督と相談して、
「こういう風に言った方がいいんじゃないか」と、
その場でやってみせて、決めたのではないか。
もちろん、元のセリフも撮ったうえで、
編集で判断した可能性も高い。
経験したところでは、
樹木希林は、台本を読み込んだ上で、
「どこで自分のアドリブを効かせられるか」を、
事前に沢山試してくるという。
セリフならセリフ、
仕草なら仕草。
とくに認知症の役だったので、
突然何を言い出すか、この時に目線をどこにするかは、
完璧に考えてきていた。
なぜなら、「毎回そのことをできる」から。
「その場で思いついたアドリブ」ならば、
何テイクも同じことを毎回できない。
だから、「このアドリブ(台本に書いてないところ)」は、
彼女の事前準備だったとわかる。
つまり、通しで総合的に演技する、
演技プランとして、
彼女は事前準備してきたことになる。
役者というのは、
「その役を生きる」ことである。
実のところ、
脚本には書き切れていない要素がたくさんある。
目線や息づかいまでいちいち書いてたら、
脚本のページ数は何倍にもなってしまうので、
脚本には文脈しか書かないものだ。
だから、ディテールは役者に任せる、
というのが脚本の立場である。
つまり役者たちには、
アドリブの余地が常に残されている。
それは、
「その場の思いつきをランダムに重ねる」ことではなく、
「余白を埋めて、守備一貫した人物像を創る」
ことが、
役者に求められている、ということだ。
脚本というのはリライトを重ねることで、
ある人物の気持ちが分断されたりすることはよくある。
役者はその傷を感じたら、
それを埋めることを芝居でやってくることすらある。
ありがたや、と監督的には思うわけだ。
これは、その場の思いつきでは間に合わない。
台本をもらって、本番に至る前に、
事前に沢山考えなければ思いつかないだろう。
それを演技プランというのだ。
そして、それを事前に監督と相談することを、
演技打ち合わせ、顔合わせでやるんだよね。
僕はそれを綿密にやりたい派なんだけど、
最近の売れっ子芸能人のマネージャーは、
1時間だけ事前に会えますとか言ってくる。
仕事の本質をわかっちゃいなくて、
ただ時間の切り売り役にしかなってないのは、
よくないマネージャーだよな。
つまりそれは、
台本のここをこう考えている、
ということの披露のしあいだったりするわけだ。
解釈違いになってたら困るから、
事前に解釈を摺り合わせると、
現場はとてもスムーズに進行できるし、
狙いに対してみんなが一丸になれるんだよね。
現場で迷ってたら遅いのだ。
それらすべてを、
アドリブという一語で理解するのは、
解像度が低いと思うわけ。
事前準備演技プラン、
その場のひらめき、
素の反応。
これらをひっくるめてアドリブというべきではない。
我々が脚本を書く時、
実はこの3つが入れ替わりたち変わり、
やってくることはよくあるよね。
それらを素材として、
10稿も書けば、
そのうち1本の線が見えてくるよな。
油絵みだいなものだ。
奇跡的なひらめきの稿を崩したり、
戻したりもあるし、
綿密な演技プランでどんどんよく練り直せるパターンもある。
演技と同じだ。
ていうか、演技の元をつくってるのだからね。
脚本家は演技に詳しくなるべきだ。
AVを見ている間も、
「ここはどれくらい素だろう?」
と観察する時間帯もあってよい。
女優の「素」ですら演技ということだってあるさ。
その虚実の汽水域が、フィクションなのだ。
2025年10月11日
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