2025年10月11日

アドリブはいつつくるか

アドリブは、「とっさに今作って今言うこと」
のように解釈されてるから、
ある映画の「このセリフは役者のアドリブ」
という豆知識が広まると、
「よーいスタートの直後、
本番中に役者が咄嗟に言ったもの」
と誤解されることがよくある。

実はそうではない。
本番より何日も前から、
役者が準備していることがほとんどだ。


そうではない、
「素のリアクション」狙いというのもある。

「ローマの休日」では、
ヘプバーンには内緒で、
「真実の口に手を食われた」と手を袖に隠したら、
彼女は本気で驚いたそうだ。

「シャイニング」では、
斧で扉を叩き壊すことは黙っておいて、
彼女をパニックに追い込んだらしい。

「スター・ウォーズ2(ep6)」では、
台本では「お前の父を俺が殺した」
とフェイクになっていて、
本番でいきなり「私がお前の父だ」
と言わせて、そんなバカなという顔を狙ったらしい。

昔やったCMだと、
オーディションでガチガチに緊張してた女優が、
あまりにもコメディとして面白かったので、
本番も「怖い監督と怒られる助監督」をわざとやって、
ここは怖い現場だと勘違いさせて、
女優をガチガチに緊張させたことがある。
(あとでネタバラシして誤ったけど)

これはもはや演技じゃなくて「素」よね。
アドリブではないよね。


「ロッキー」のランニングシーンで、
市場のおっちゃんがロッキーにリンゴを投げて差し入れしたのは、
本番でのアドリブらしい。
市場のおっちゃんは役者ではなく、本物の市場の人で、
若いボクサーにリンゴを差し入れしたつもりだったんですって。

ただ本番のそれがそうかはわからない。
テスト撮影したらそういう珍事件があったので、
それを取り入れようとなって、
本番でも何回か投げてくれた可能性もあるね。


AVのセックスはオールアドリブだろうか?
なんとなく段取りがあることはみんなわかってるよね。
カメラから見えやすい角度にすることは、
よくあることはわかっている。
反応は全部アドリブかな?
みんなが期待してることをやる演技かな?
その半々を楽しむことでもあるよね。
プロレスと似ていると思う。

一方、格闘技の試合は全アドリブだ。
八百長がないならね。



じゃあ、役者のアドリブは、
格闘技の試合のようなものか?
そうじゃないことがほとんどだ。

たとえば、
「ブレードランナー」の、
ルトガーハウアーのセリフ、
「オリオン座の肩の近くで炎を上げる戦闘艦。タンホイザーゲートのそばの暗闇で瞬くCビーム。そうした記憶もみんな時とともに消える、雨の中の涙のように。死ぬ時が来た」
はアドリブだと言われるが、
そんな長セリフをその場で思い付けるはずがない。

調べると、
もっと長いセリフがすでにあり、
それを彼がカットしたのだそうだ。
その代わり、
「雨の中の涙のように」を、
彼がつくったんですって。

これは、
「覚え切れないから短くしたろ!」と、
「それを一言でいうセリフを考えたろ!」の、
2つの動機がまざった結果であろう。

そしてよーいスタートから考えたのではなくて、
事前に準備してきたもののはずだ。

そしておそらくだけど、
事前に監督と相談して、
「こういう風に言った方がいいんじゃないか」と、
その場でやってみせて、決めたのではないか。
もちろん、元のセリフも撮ったうえで、
編集で判断した可能性も高い。


経験したところでは、
樹木希林は、台本を読み込んだ上で、
「どこで自分のアドリブを効かせられるか」を、
事前に沢山試してくるという。
セリフならセリフ、
仕草なら仕草。
とくに認知症の役だったので、
突然何を言い出すか、この時に目線をどこにするかは、
完璧に考えてきていた。
なぜなら、「毎回そのことをできる」から。

「その場で思いついたアドリブ」ならば、
何テイクも同じことを毎回できない。
だから、「このアドリブ(台本に書いてないところ)」は、
彼女の事前準備だったとわかる。

つまり、通しで総合的に演技する、
演技プランとして、
彼女は事前準備してきたことになる。


役者というのは、
「その役を生きる」ことである。

実のところ、
脚本には書き切れていない要素がたくさんある。
目線や息づかいまでいちいち書いてたら、
脚本のページ数は何倍にもなってしまうので、
脚本には文脈しか書かないものだ。

だから、ディテールは役者に任せる、
というのが脚本の立場である。

つまり役者たちには、
アドリブの余地が常に残されている。

それは、
「その場の思いつきをランダムに重ねる」ことではなく、
「余白を埋めて、守備一貫した人物像を創る」
ことが、
役者に求められている、ということだ。

脚本というのはリライトを重ねることで、
ある人物の気持ちが分断されたりすることはよくある。
役者はその傷を感じたら、
それを埋めることを芝居でやってくることすらある。
ありがたや、と監督的には思うわけだ。


これは、その場の思いつきでは間に合わない。
台本をもらって、本番に至る前に、
事前に沢山考えなければ思いつかないだろう。
それを演技プランというのだ。

そして、それを事前に監督と相談することを、
演技打ち合わせ、顔合わせでやるんだよね。

僕はそれを綿密にやりたい派なんだけど、
最近の売れっ子芸能人のマネージャーは、
1時間だけ事前に会えますとか言ってくる。
仕事の本質をわかっちゃいなくて、
ただ時間の切り売り役にしかなってないのは、
よくないマネージャーだよな。

つまりそれは、
台本のここをこう考えている、
ということの披露のしあいだったりするわけだ。

解釈違いになってたら困るから、
事前に解釈を摺り合わせると、
現場はとてもスムーズに進行できるし、
狙いに対してみんなが一丸になれるんだよね。
現場で迷ってたら遅いのだ。


それらすべてを、
アドリブという一語で理解するのは、
解像度が低いと思うわけ。

事前準備演技プラン、
その場のひらめき、
素の反応。

これらをひっくるめてアドリブというべきではない。



我々が脚本を書く時、
実はこの3つが入れ替わりたち変わり、
やってくることはよくあるよね。

それらを素材として、
10稿も書けば、
そのうち1本の線が見えてくるよな。
油絵みだいなものだ。

奇跡的なひらめきの稿を崩したり、
戻したりもあるし、
綿密な演技プランでどんどんよく練り直せるパターンもある。

演技と同じだ。
ていうか、演技の元をつくってるのだからね。


脚本家は演技に詳しくなるべきだ。

AVを見ている間も、
「ここはどれくらい素だろう?」
と観察する時間帯もあってよい。
女優の「素」ですら演技ということだってあるさ。
その虚実の汽水域が、フィクションなのだ。
posted by おおおかとしひこ at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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